Omerta

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺の全てを掛けて

 

 

 

 

 

――― 愛してるぜ、ゾロシア。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

preface

 

 

 

 

 

ロロノア・ゾロがこの館に連れてこられたのは、今年16を迎える熱い晩夏の時期だった。

 

自治体が設立した孤児院は、予算が少なく環境も粗悪だった為、学校の教える知識より生きるための知識と、生き抜くための経験が優先される日常だった。

街中も住宅に住まない大人達が、生きているのかそれとも既に息絶えているのか分からない状態で放置された場所だ。

 

ありとあらゆる犯罪が大手を振って歩く最悪の溜まり場。

そんなスラム街でゾロは育った。

 

 

 

 

何時しかその町を仕切るマフィアの準構成員になっていた少年は、カポ・レジーム(幹部)の目に留まりファミリーのカポの家に連れてこられた。

 

 

古いレンガと白の壁の巨大な屋敷は、緑豊で広大な庭を抱えその空間だけが別世界だとゾロは思った。

カポ・レジームに訳もわからず連れられて入った部屋には、口髭が三つ編み姿の厳つい表情をした老人が席に座っている。

 

「そいつがチビナスの遊び相手か?年齢は幾つだ?大きすぎないか?」

「はい、こいつの名前はロロノア・ゾロ。今年で16歳です。今後の事もありますのでこの位が丁度良いかと……」

 

話の内容がいまひとつ理解できないゾロは、目の前に座る威厳に満ちた男がこの街を仕切る【バラティエ】のカポだと言う事をここで始めて理解した。

何故下端の準構成員である自分が、いきなりこの家に連れてこられたのか分からない。ただ男としてオロオロする事が許せず無愛想な表情を貫き通した。

 

「好い目をしている」

 

呟いたカポの声は、ゾロの耳に届く。

品定めをされていると感じたゾロは、老人の顔から視線を逸らさなかった。

 

「パティ。そいつをチビナスのところへ連れて行け」

「わかりやした」

 

 

 

それからゾロは、中庭に面する長い廊下を歩き緑の低木で囲ったプールへと案内された。

 

そこは絵に描いた様な白いプールサイド。

ブルジョア階級そのままの光景に、プロレタリアの世界にいた自分とは真逆の世界に苦笑いを浮かべたゾロは、揺れて光を乱反射する水面に視線を向けた。

 

気を緩めたその目の前を1匹のボルゾイが駆け向けていく。

その動きを目で追ったその先に、白いパラソルの下車椅子に座る1人の子供が目に入る。

 

白のブラウスは、金糸の髪と共に柔らかな風に揺れている。

ボルゾイの咥えていたボールを光溢れる笑顔で受け取った子供は、ブルーアイを細めて両腕を伸ばし犬の首へと回す。

 

先程カポの言った『チビナス』とは、この子供の事かとゾロは冷静にその光景を観察した。

 

「あそこで犬と戯れているのが、カポの孫サンジーノ様だ」

「サンジーノ?アイツは男なのか?」

「口を慎め、サンジーノ様だ」

 

クワッと声を荒げたパティは、声を潜め話し始めた。

 

「最近、カポの息子……アンダーボス(ナンバー2)のアイスバーグ様が暗殺されたのを知っているな?」

「……あぁ、べラミーとか言う新参者の奴等が起こしたんだろう?」

「そうだ、アイツはワポル一家に属しているんだが、アイツ等はここ数年力を伸ばしている。田舎者の身の程知らずが、この島を狙っているのは知っているか?」

「あぁ」

 

この街は特殊な街だ。

本来マフィアは、1都市に1ファミリーが基本である。しかし、ここは4つのファミリーが集まっている。

 

ゾロが属する『バラティエ』、カポは重鎮であるゼフ。この街で一番の古株である。

過去をさかのぼればバラティエと同じファミリーだった『ロッビオ・バッフォ』。若くしてカポの座に収まったのがシャンクス。

『ビアンコ・バッフォ』は、ロッビオ・バッフォと小さな諍いが耐えない。カポはエドワード・ニューゲート。

そして、『ヴォルペ』は、先ごろカポが変わったばかりのフォクシー。

 

微妙な力配分でこの街のマフィアは、お互いをけん制している。

コミッション(ファミリーのボスの集まり)と呼ばれる組織を作りここ数年は大きな抗争をしてこなかった。

 

そこに貧困地区に本拠地を構えるワポルが、勢力拡大の為にこの街に手を出し始めた。

ワポル一家は、田舎の小さな組織だった。

しかし、麻薬の生産や加工と販売。身代金獲得に人身売買と資金確保に力を注いだ結果、その勢力も拡大した成り上がりの一家である。

 

 

 

「ご家族で乗っていた車を襲撃されて、亡くなったのはアイスバーグ様と奥様。唯一生き残ったのがサンジーノ様だ」

 

犬と戯れる子供の顔には、大切なものを失った暗さなど微塵も感じさせない光が彼を包んでいる。

 

「サンジーノ様も無事って訳じゃなかった。脊髄を痛めてなぁ……命は取り留めたんだが、後遺症が残ったんだ」

 

グスリと涙脆さを見せたパティは、車椅子を押しながらプールサイドを進むサンジを見詰めた。

無邪気な子供らしい笑顔で犬と戯れるその周りには、柔らかな陽だまりがある。

ギスギスした世界に身を置くゾロとしては、その空気がとても高貴に思えた。

 

「自力排泄は出来るようになった。そこまで出来るようになったのも奇跡だと医者は言っていた」

「……二度と歩けないのか?」

 

冷静な声のゾロが、カポ・レジームに質問する。

首を横に振った男は、小さく息を吐きゾロの疑問に答えた。

 

「サンジーノ様は諦めていない。……今でもリハビリを続けていらっしゃる」

「……で、俺は、あの子供の介護をするのか?」

 

ゾロはここに連れてこられた理由が知りたくて、非礼な質問をする。

そんなゾロの言葉を気に留める事無く、カポ・レジームのパティはゾロの顔をジッと見詰めた。

 

「名目はサンジーノ様の勉強相手だ。家庭教師が来るからな、一緒に勉強すればいい。…名目だがな」

 

ゾロは舌打ちした。

今まで勉強などした事が無い。いや、する時間は全て生きる為の事に費やされてきた。

今更机に向かって数字や、小難しい文章など見たくは無い。

 

「お前がやるべき本来の仕事は、サンジーノ様を護る事だ。傍で、片時も離れずお使えしてその身を呈して護る。その為にお前のようなイカ煮込み野郎は一から訓練をするぜ。射撃・格闘術・身辺警護における知識。車の運転も基礎から叩き込む。それだけじゃねーぞ?応急措置法に生理学、法学に経営学、情報処理も覚えなきゃならねー」

「……おいおい」

「ファミリーのトップに携わるんだ、秘書学も必要になる。国際関係論も基礎から学べ。敵の考えを読むために犯罪学も必要になる」

「……そんなにかよ」

 

途方も無い言葉にゾロは天を仰いだ。

 

「これは基礎の基礎だ。それ以上にこのバラティエに関する掟も覚えてもらう。……どうする?今なら止める事も出来る」

 

悪ふざけではないとカポ・レジームの声と眼差しが言っている。

 

 

ゾロは、パティの言葉を再度脳内で繰り返す。

この仕事を引き受けたら引き返す事は絶対に出来ない。餓鬼の遊びでしかなかった街での気楽な暮らしには、二度と戻る事が出来ない。

仲間も、そこにあった小さな特権も地位も、全て捨ててマフィオソー(正式構成員)として生きていくのだ。

 

とてつもない大きな仕事。

 

 

自分の命を差し出してもあの少年を護る事など出来るのだろうか?

 

そこまでする価値があるのだろうか?

 

 

 

 

犬の首に抱きついていた少年は、弾みでズルリと椅子から転げ落ちた。

慌てたパティが駆け寄る。

 

「何とも無い!てめェは俺をレディーと間違えているのか?男ならこのくらい1人で大丈夫!!」

 

鼻柱の強い声がゾロの耳に届く。

上半身の力だけで、転げ落ちた床から車椅子へと移動する少年の額には、暑さのせいだけでは無い汗が滲み出ている。

事件から3ヶ月と経っていないのだから、少年の怪我はまだ完治とまではいかないのだろう。

それでも泣き言を言わず必死に行動する様は、お金持ちの温かな温室育ちだけではない強さをゾロに見せ付ける。

 

ゼーゼーと息を切らして車椅子に座った少年の頬は赤く、喉の渇きから何度も唾を飲み込む。

パラソルの下にあった卓上に、洒落たデザインのグラスに水滴の付いた飲み物があるのをゾロは見つけ、それを取ってサンジーノの傍へと歩み寄った。

 

クッと強気の目線がゾロを捉える。

小さいながらも見知らぬ相手に警戒心を解かない。徹底的に危機管理を仕込まれている少年は、手を背と背凭れの間に滑り込ませ、見知らぬゾロに冷えた声を発した。

 

「てめェは誰だ?」

 

サンジーノの背後でカチャリと撃鉄を引く音がする。

答えによっては手に持つそれで自分を打ち抜くつもりなのだろうと、ゾロは目を細めながらグラスをサンジーノへと差し出した。

 

「コイツは、今度お前の勉強相手になる男だ」

 

少年の警戒を解くために柔らかな口調で話しかけたカポ・レジームは、ゾロの持っていたグラスを受け取りサンジーノへと渡した。

僅かに緊張を緩めた少年は、受け取ったグラスを傾け一気に飲み干す。

大きな息を吐き出し一転、好奇心旺盛な歳相応のブルーアイズでゾロを見詰めた。

 

「俺の勉強相手?……って先生?」

「違う」

 

ゾロは即答する。

パティも苦笑いを浮かべながら説明を付け足した。

 

「家庭教師の先生は、前紹介したモンブラン・クリケット先生だ」

「やっぱりあの栗みたいのを頭に乗せた人か……。俺は、もっと綺麗なレディーに教わりたかった」

 

項垂れている子供は、本気なのか大人ぶっているのか。

理解に苦しみながらゾロは見守る。

 

「ここにいる野郎は、お前の勉強相手でもあり遊び仲間…って所だな」

「……ふーん」

 

頭の先から爪先まで、何度も往復してゾロを見る少年。

眉尻を下げた情けない表情で、サンジーノはゾロに訊いた。

 

「てめェも10歳?……にしては老けてないか?」

 

その言葉にパティは身を捩って笑っている。

ゾロも何とも言えない言葉に頭を掻きながら咳払いをした。

 

「俺は今年で16になる」

「えっ!!嘘っ!!」

「……何が嘘なんだ?」

16歳でも老けすぎ……」

「うるせーっ!!」

 

実は少し気にしている見た目年齢を、初対面の少年に言われてむきになる。

ちょっと大人気なかったと、まだ大人にならないゾロは隠れて舌打ちをした。

 

そんな2人のやり取りにパティは床を叩いて笑い続ける。

可笑しい事を話しているのだろうか?ゾロは冷ややかにカポ・レジームを観た。

 

16歳のてめェが俺と一緒に勉強するのか?」

 

強気の言葉とは裏腹に、少年はゾロの顔をジッと見詰め何かを探っている。

 

「俺は……、まともに勉強してこなかったからな。それくらいからで丁度いい」

 

外気の温度だけではない顔の赤みを帯びながら、ゾロは少年の言葉に受けて立つ。

 

「悪いが俺から断る。俺と付き合って遊ぶって言っても……」

 

そこで言葉を止めたサンジーノは、自分の膝を拳で軽くトントンと叩くと、俯き長い前髪で表情を隠し一言小さな声で言った。

 

「こんな脚だから……楽しくないと思うぞ。」

 

静かになったプールサイド。

時折風に吹かれた木々たちが、葉を揺らす音が辺りに響く。

 

クッと顔を上げて泣きそうな瞳で笑顔を見せたサンジーノは、ゾロに小さく首を振りこの件は断った方が良いと表情で語りかけている。

 

「どーせ、ジジーが強引に……てめェをここへ連れてきたんだろう?無理する必要ねーよ、俺には友達いるし」

 

言葉と共に車椅子の横で大人しく伏せていた犬へと視線を向ける。

強い日差しの中、犬は主人に忠実なのかその場から動く事をしない。

 

その言葉にゾロはここへ来るまでの館の雰囲気を思い出した。

広い建物に贅沢な空間と調度品。

しかし、どこか無機質で人気の無いこの館は、静かを通り越して淋しさが支配している。

勿論、身内が亡くなったばかりなのだから華美に賑やかなのも変だ。

だが、温かみの無いこの館には、女毛どころか住人が居ないのではないかと疑りたくなる。

 

その中で少年は、歳相応の遊びも出来ず1人孤独に犬と遊んでいる。

広い敷地内で狭い世界に囚われて暮らしている。

 

喜びも悲しみも楽しみも怒りも……全て独りで抱え込み、話し相手もいない無の空間。

 

 

その少年が、孤独と決別できる絶好の機会を、自ら破棄しようとしている。

ゾロが気に入らなかった訳ではなさそうだ。

この特殊な世界に、満足に動けることが出来ない自分に、年下の自分に縛り付ける事を怖がった10歳の少年が、精一杯の気持ちを口にした乱暴で優しい言葉。

 

ゾロは、面映い気持ちでサンジーノを見た。

 

「そいつの名前はなんていうんだ?」

 

犬を見詰めてゾロは突然の質問を投げる。

蒼の瞳をキョトンと見開いた少年は、主人の顔を仰ぎ見るボルゾイへ再度視線を向けた。

 

「……オールブルー」

 

名前を口にした照れ臭そうな表情が、10歳の子供らしい。

ゾロは、口角をクッと上げて初めてサンジーノと目線が会う高さに膝を突き、ゾロに視線を移したオールブルーの頭を乱暴な仕草で撫でた。

 

「じゃぁ、今日から俺とお前とオールブルーは仲間だな」

「……仲間」

 

見開いた目が更に大きく広がる。

驚きと戸惑いそして嬉しさと混ざった瞳の色は、この少年の本心を全て曝け出しているようだとゾロは感じた。

 

「今日から仲間なのか?」

「あぁ、今日から、だ」

 

言葉を区切ってサンジーノに言ったゾロは、カポ・レジームにこの仕事を受ける意思を視線で伝えた。

 

少年がおずおずと右手を差し出す。

 

「俺の名前はサンジーノ。お前の名前は?」

「俺は、ロロノ……」

 

名前を口に出した時、カポの部屋を出る際言われた事を思い出した。

 

 

『今回の事、引き受ける気ならばお前の過去を捨てろ。名前を替えて新たに生まれろ』

 

そして、その時貰った名前を初めて口に出した。

覚悟と決意を込めて……。

 

「俺の名前はゾロシア」

「……ゾロシア」

 

ギュッと握った子供の手は薄く小さく、まだ頼りない。

しかし何時か、この少年は大人になりアンダーボスの座に修まりカポの座へと上り詰めるのだろう。

 

光の中で柔らかく微笑む少年に全てを掛けてみよう。

 

 

ゾロシア、16歳の晩夏。

――― 全てはここから始まった。

 

 

 

 

 

Continued