Secret eyes

 

 

 

 

 

 

サンジが『本気の好き』を知ったのは、そんな前の話ではない。

 

 

 

 

 

 

初恋はいつだっただろう。

魚の形をした船でその恋を知った。甘く…夢見る乙女のようにフワフワした恋だった。しかし、見ず知らずの客相手の恋は、あっという間に消え去り何時しかそれも思い出す機会が減ってしまった。

 

ただ覚えているのは、レディーが掲げるワイングラスとレッドネイル。僅かに口角を上げた誘う唇。

恋に恋をしていた幼い恋心。シュチエーションに酔っていた子供の思い込みだったのだろう。恋に憧れたのか、ただ大人に憧れたのか冷静に分析しても今となっては何も残らない。

 

 

 

 

 

そう、今となってはただ過去にあった出来事なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Secret eyes

    By 南玲奈

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、サンジは恋をしている。

相手は同じ船の人物だ。その人物が夏の日差しの似合う秀麗な少女でもなければ、月明かりに凛と立つ聡明な女性でないことが悔やまれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

修羅の道を歩き、天に剣をかざし、信じる己の道を邁進する男。

 

 

 

 

 

 

 

その野望のために命を落とすことに恐怖を見ない剣士……ロロノア・ゾロ。

 

 

剣士の誇りを胸に抱き、馬鹿が付くほどのクソ剣士。

女性至上主義の自分が、どうして剣以外に目もくれない男を好きになってしまったのかはどうでもいい話だ。

どの道自分は『本当の仲間』とは見られていない事を重々承知している。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ただ、ゾロが信頼して自分の道を預けた船長に請われ、成り行き上雇われたコック。

 

 

 

 

 

 

 

 

彼の意識には、サンジがその程度の存在だと理解していた。

 

愛想の悪い剣士が、本当は温厚で仲間を大切にする事を、この船に乗るものは皆知っている。

口が悪く寝ぐされて日常生活不自由人が、尊大な態度の中に僅かながら見せる思いやりが優しい事も知っている。

 

しかし、それは限定された者達への顔であって、決して同じ年の自分には向けられない事も理解しているのに…。

その証拠に、サンジはその名を1度も呼ばれたことが無い。通りすがりの島に住む住人さえその名を口にするこの男が、同じ船に乗り共に航海を続ける自分の名前は一度も呼んだことがない。

 

 

 

「ゴルァーーー!クソマリモッ!!てめェは世のために一度死んで来い!!!」

「てめェが死ねクソコックッ!!その面さらせっ、ダーツの眉に剣先ぶっさしてやる!」

 

日常的に行われる喧嘩は、ある意味サンジにとっては大切な時間で、それ以外の接点を見出せない為に必要の無い喧嘩を吹っ掛けてしまう自分が女々しくて情けなくなる。

しかし、そうでもしなければこの男の視界に自分が移ることも無く、何処かの食堂に居るコックと代わらない扱いだろうと判ってしまう。

 

 

 

 

フと脳裏によぎったのは、

 

 

 

 

自分以外のコックがこの船に乗っても何も変る事の無い剣士の日常。

 

 

 

 

 

 

 

鍛錬をし、

 

食事をして、

 

酒を飲み……

 

自分以外の誰かと話し…

 

 

 

 

 

 

 

 

眠る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう、この船に乗るコックは自分以外でもロロノア・ゾロにとって何も変ることが無いのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

そう思った時、振り上げた足が僅かに止まり現実を見詰めた。

 

 

 

眼光鋭く自分を睨む剣士。

白刃の上を光が走り、空をも切り裂く。

 

美しい剣を振るうその男の姿を見る。

 

 

 

 

 

 

本当は仲間として見てもらえないだけではなく、その存在すら嫌がられているのではないか。

 

実は、コックの存在が鬱陶しいのではないか。

 

自分は、殺したいほど憎まれているのではないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう思った時、足が止まった。

 

 

 

 

 

 

幼い頃に好きになったレディーの顔が思い浮かんだ。

 

切れ長の瞳を印象付けるブルーのアイシャドウを思い出した。

 

 

 

 

 

 

しかし、その顔を思い浮かべても自分の恋心はときめかず、白々しく感じるのみだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今、恋をしている。

 

相手は同じ船に乗る同い年の同姓。

 

 

 

 

 

 

 

戦う姿を見るたびに、瞳を伏せた。

 

意外と聡い剣士に、自分の心を読まれないために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これが初めての恋かもしれない。

…愛と恋の差など判らない。ただ、ロロノア・ゾロが好きだと理解している。

 

思考を占拠するのもこの男だけで、寝ても覚めてもの言葉ではないが意識は彼に向かっている。

だから瞳を隠し本心を言葉にしないために罵声を浴びせる。

 

 

 

 

報われない恋に焦がれる乙女のように立場を楽しむ事も出来ず、

 

成就することを祈ることも出来ず、

 

見詰めることも出来ず、

 

 

 

 

 

 

想いを封印して『たまたま』同じ船に乗っている人間として扱われる。

 

 

 

 

 

 

遣る瀬無い想いを抱き続けて…………

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺はどうしてこの船に居るんだ?」

 

 

 

呟いた言葉は風に乗って誰の耳にも届かず、その直後ゾロの放った白刃をただ静かに見詰めていたサンジは、メインマストに叩き付けられ意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『――― 吐き気を訴えたら知らせてくれ』

『わかった』

『点滴が終わる頃もう一度来るけど……』

『覚めたら何か喰わせる。だからお前は寝ろ、明日もある』

『うん、ゾロも無理しないで』

『俺は大丈夫だ』

『サンジは丈夫だから…そんなに心配しちゃいけないぞ…』

『あぁ』

『本当に事故なんだから、気にしちゃいけないからな……じゃぁ、おやすみ』

『あぁ』

 

 

 

 

 

 

何処からか声がする…

 

誰かが俺の名前を呼んだ。

 

 

 

悲しくて…

 

痛くて…

 

 

 

懐かしく新しい声。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

船医の歩く足音は、床を打ち独特の響きを残す。

 

その姿を見送ったゾロは、ラウンジに用意された寝具に横たわるサンジの横に胡坐をかき、大きな掌を熱で赤みを差して寝ている彼の頬へと沿わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゾロにとってこの船のコックとは相反する事が多く、気が合わない代名詞になっている。

 

 

 

 

しかし、自分の本心を知ったのはつい最近で、それを認めるには多大なる苦悩があった。

 

それでも、その心を解き放つことはせず、いつも突っかかってくる男に対峙して高揚感を噛み締めていた。子供じみた行動に自分を鼻で笑い飛ばしたくなるが、結局そんな中でも唯一の接点を自ら消すことが出来ず、日課となったじゃれ合いの喧嘩に身を投じていた。

 

何時もの通りに罵倒と斬撃を浴びせれば、男は必要最低限に身体を動かし攻撃を避ける。そして飄々とかつ大胆に攻撃を仕掛けてくる。

能力者でもないコックに言葉とスピードで圧され、負けじと自分も言葉を吐いた。

 

 

 

 

『てめェが死ねクソコックッ!!その面さらせっ、ダーツの眉に剣先ぶっさしてやる!』

 

 

言葉と共に放った太刀。

 

 

 

 

 

その時、僅かに止まった足技。

 

ゆっくりと顔を伏せて前髪でその瞳を隠した。僅かに覘く口元は薄っすらと笑いを帯びて、まるで何か幸せの中に漂うようにゆっくりと足を下ろす。

 

 

放ってしまった剣は止めることも出来ず、避けようとしないコックに大声を張り上げた。

 

「コック!!」

 

 

 

抵抗無く飛ばされた痩身は、後ろにあったメインマストへと打ち付け、バウンドして床へ転がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

呆然と見詰める先は、血が広がる甲板とピクリとも動かぬ金糸の男が持つ痩身。

 

 

 

 

洒落でもなく、

 

 

悪夢でもなく

 

 

悪戯にしては性質が悪く……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サンジ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

始めて口にしたその言葉は、酷く痛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

動く気配にゾロは意識無く寝ているコックの顔を見た。寝ていたサンジは、重い瞼を開けたが夢と現の間を暗い空間に視界を向けている。

 

「…覚めたか」

 

自分でも驚くほどの静かに囁く優しい低音が、サンジに言葉を掛ける。

 

「……コック」

 

ゾロは、返事もしないサンジの視界に顔を出し、整った眉を顰め再度声を掛けた。

 

「おい、聴いているのか?」

「…………」

 

視界に顔を出しているのに、サンジの焦点はどこかを彷徨っている。

 

「コック!」

 

少しだけ声に力を入れて声を掛けると、塞がれていた唇が僅かに開いた。

 

「なんでこんなに暗いとこに居るんだ?」

「あ?」

「電気はどうしたカルネ?」

「………カルネ?」

「非常灯つかねーのか?」

「おい、コック!」

「今日は、予約入っているんだろう?やばいだろうが……」

 

その言葉にどう反応すべきか一瞬悩んだ。

 

サンジの口から出た『カルネ』と言う人物に思い当たる節は無い。ただ、『予約』と言う言葉に、サンジは今海上レストランに自分が居ると思っているようだ。

 

「寝ぼけるな、ここはメリーの上だ」

 

優しく声を響かせる。

 

「非常灯点けねーと冷蔵庫内がやばいだろうが!」

「……おい!?」

「他のクソコック達は何してやがる!」

「コック!」

「ジジーから連絡は入ってねーのか?」

「サンジ!!」

 

肩を掴み揺す振り、自分の顔をサンジの青い瞳に映す。

しかし、その視線は自分に絡まることが無い。

 

「今日のメインは…豚バラ肉のブレゼにする、アミューズ・グールはソムリエに任せる。続いてコンソメと太刀魚、口直しのレモンシャーベット。牛のフィレと続けてガトーをデザートに。」

「……おい」

「グズグズするな」

 

弾かれた様に立ち上がったゾロは、船医が眠っているだろう男部屋へと駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うん…ゾロの言う通りサンジは目が見えていないね。後、意識も記憶が混濁している。」

 

ゾロの剣幕に起こされた船長と見張り台から騒ぎを見ていたロビン、影の指揮官であるナミがゾロと共にサンジの様子を伺う。ウソップは、ナミの指示で見張り台だ。

 

「昼間の喧嘩で?」

 

ナミの戸惑う声がゾロの背中を切る。

魔女と言われるこの少女が、実は仲間想いの人情味溢れる人物である。普段は『金』の事には事厳しいが、その心の強さは何処までも仲間を大切にしているのだ。

サンジの診療を終えた船医が振り向き皆の顔を見回す。

普段は頼りない子供の瞳が、医者としての強さが光る真っ直ぐな色へと変っている。

 

「身体を打ち付けたとき、頭も強く打っていたんだ。脳は…皆が思っている以上に繊細に出来ている」

「もうサンジの目は観えねーのか?」

 

何時もより真剣な少年船長が、船医の顔を見る。

 

「判らない」

「どーゆー事だ!?」

「一時的な事かもしれない。でも…ここでは断言できないんだ」

 

ゾロの質問に首をゆるく振りながらチョッパーは答えた。

 

「この船に積んである機材では、脳内がどうなっているのか解らない。もしかしたら出血による脳の圧迫から、この症状を引き起こしているかもしれない」

「……なら早くその機材がある場所に行ければ良いんだな?」

「出来るだけ早く!」

 

強くうなずき肯定した船医の顔を見たルフィは、その視線を航海士へと移す。

 

「夜も進むわよ!皆交代で動かしましょう!!」

 

多くを語らなくとも聡い航海士は船長の意を汲み行動を起こした。

 

「夜は私とゾロが船を動かす。昼間はロビン、私の代わりにログを見てくれる?」

「かまわないわ」

「ウソップとルフィが昼間を担当。食事は…ウソップね」

 

今頃見張り台の男は、人使いの荒い航海士の言葉にくしゃみをしているだろう。

 

「上手くいけば4日で入港できるわ!」

「俺は?」

「サンジ君の治療を優先して」

 

チョッパーの質問に簡潔な返答をナミが返す。

 

「俺も船を動かすの手伝うぞ!」

「駄目だ。チョッパーはちゃんとサンジを治すんだ」

 

真っ直ぐなルフィの眼差しがコックの生命を船医に託している。

 

「大丈夫だ、サンジは治る!」

 

根拠の無い自信がクルー達に波紋のように広がり、その場に居た全ての人間はお互いの顔を見合わせ頷いた。

そして、天井に瞳を向けたまま、青い表情のサンジに視線を向け、意を決したように動き出し各々やらねばならない事を正確にこなし始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――― ゾロ…ゾロ」

「んあ?」

 

チョッパーに声を掛けられたゾロは、浅い眠りから目を覚まし、大きく伸びをした。

 

ゾロは、夜の作業を終えるとサンジが寝るラウンジのベッドに背を預け眠る。時折目を覚ましては、寝ている金髪の男に声を掛け、その細い髪を撫でた。

時には手をサンジの額に当てて、自分は目を瞑り呼吸を整えて瞑想に入る。その行為を不思議に思ったウソップが聞いた答えは、精神を統一し『気』をサンジに送っているのだという。

確かにそれを送れば青白かった顔が、ゆっくりと血行が良くなり頬に赤みを戻す。この行為をすることが出来るのは、この船ではルフィとゾロぐらいだろう。しかし、ルフィがその気を出すのは強敵と対峙した時だけで、ましてや自分でコントロールして相手に送るという芸当が出来るレベルの問題ではない。

だからこうしてサンジの額に手を当てて気を送るゾロを、仲間たちは邪魔しないよう静かに見守っている。

 

サンジはゾロの声や髪を撫でられる感覚に目を覚ますが、その視界には現在を映していない。過去を彷徨いうわ言の様に呟いては、またスーッと眠りに落ちていく。

それを見るチョッパーは、ゾロに負担がならない程度続けるように依頼した。

聴覚や触覚だけで、現在のサンジを元に戻るとは思えないが、それでもこの行為が決してゼロではないことを知っている。民間治療でも理に適ったものはあるのだ。

 

今日も早朝からサンジのベッドに身体を預け寝ていたゾロは、夕食時船医に起こされた。

傷つき眠るサンジの顔に光が当たり過ぎない様配慮した仲間がカーテンで仕切ったその場所から出たゾロは、夕食を摂りながら引継ぎをするナミとロビンを視界に入れる。

キッチンに立つのは、見慣れた金髪のコックではなく長い鼻の狙撃手。何時もとは違う風景に胸が痛むのだが、それは表情には出さず、空いている席へと腰を降ろした。

 

「ルフィはどうした?」

 

何時もならば豪快といえば聞こえが良いが、喰い散らかしている我が船長の姿が見当たらない。

 

「今、船長さんは見張り台にいるわ」

 

食後のコーヒーを飲むロビン。

 

「まだ島は見えないって言っているのに…馬鹿なんだから」

 

考古学者の隣に陣取り、引継ぎをしていたのだろうナミは、呆れ顔ながら笑っている。

 

「飯は抱えていったから、そこにあるのはゾロの分だぞ!キャプテン・ウソップ特製カレーだ!!」

 

何処から持って来たのだろうエプロン姿のウソップは、皿洗いの真っ最中だ。

暗くなりがちな雰囲気を皆で盛り上げている。それは、ゾロが今回の事でかなり気落ちしているのが見て取れるから…。

 

用意されたプレート前に腰掛けて手を合わせる。

 

 

 

食事を作ってくれた狙撃手に感謝を……

 

専門ではないログを見続け、責任を負う考古学者に感謝を……

 

美容の敵だ!と文句を口に出しつつ、最善を尽くす航海士に感謝を……

 

今回の事を決して責める事無く、太陽に守護され強い眼差しで道を示す船長に感謝を……

 

幼いながらも細かな薬の調合に全力を尽くす船医に感謝を……

 

 

「いただきます」

 

この銀のスプーンは、この船のコックが夜中皆寝静まった後磨いているのを知っている。

 

 

 

口に入れたカレーは、何時も口に入れるカレーとは違ったが、温かな味がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……もんだ……喰え……」

 

カーテンの向こうから声が聞こえる。サンジが目を覚まし、また過去に漂っているのだろう。

船医と目を合わせ、2人揃ってサンジのベッドへと移動する。

 

寝かされているサンジは、夢現で誰に向かってか話している最中だった。

 

「キノコには、大切な栄養素があるんだ。大丈夫だ、てめェは丸のままで無ければ喰えるんだ。現に昨日作ったハンバーグに……」

「今回は俺達の事みたいだね」

 

枕元に座ったゾロへ船医が脈を取りながら話し掛けて来る。

その時によって違う過去は、時には笑いを誘い、時には怒りを押える事も儘ならない話だったりと変化がある。昼間話していた内容は、航海途中に寄った島での買出し時の会話だった。たぶん相手は中年層の女性だったのだろう。褒めちぎる言葉の数々の中に、その島特産の野菜に関するレシピも出てきた。地酒の話し、加工された魚の話し、発酵させた調味料の話しと専門的な会話の最中、その店の主らしき男性と話をしていた。

子供のような笑顔をトッピングにして、楽しそうに話すコックは幸せそうだった。

 

「……クソ旨いだろう」

 

口角を上げて笑うサンジは、今日も幸せの中にいる。

 

「ウソップ、騙されてキノコ食べちゃったみたいだね」

「そうみたいだな」

 

夢の中のサンジは、本心を話す。

普段過剰なまでの愛を女性人に囁き、男には口汚い言葉を発するその男が、夢の中ではその本心を隠すことなく素直に言葉を発する。

普段の斜に構えた姿からは想像できない幼さを見せるコック。実は非常に照れ屋だったことが明るみに出て、クルー達はサンジの見方を少し変えた。

年長ぶる彼が実は可愛い存在なのだと知って、心が優しくなる。

 

「おら、クソゴム!それはチョッパーに特別用意した肉だ。てめェの前にある皿以外から勝手に喰うんじゃねー!」

「夢の中でもルフィは蹴られているのかな?」

「……たぶんな」

 

ソロ達の会話を聞いた航海士と考古学者、そして狙撃手は、カーテンを開けて楽しそうにサンジの様子を見詰めていた。

 

「肉なら今日の分はまだ在る。それでも足りないなら俺の分を喰えばいい」

 

その言葉に一同がムッと顔を顰める。

そうやって自分を大切にしないコックを何度見てきた事だろう。簡単に誰かの為に犠牲になる事を良しとするプライド。ためらうことをしない彼を、何度苦い思いをして回りは見てきだだろうかこのコックは知らない。

 

「サンジ君にはキツクお説教しないと駄目ね」

「コックさんは、自分を大切にする事が周りに居る人に対しても優しい事だと知ってもらうほうが良いわ」

 

女性人の言葉は正論で。そかし、その瞳は優しさに溢れていた。

 

「しかし、悪魔の実を喰ったからって、中身は人間なんだ。ちゃんと野菜も喰え。バランス良く喰わねーと、いざって時力でねーぞ。てめェは、戦う以外脳がねーんだから……」

 

その言葉にドッと皆の笑い声が沸く。いつの間にか部屋へ入って来たのだろう、船長もニシシと笑って納得している。褒められている勘違いしている節もあるが、この際誰も突っ込まない。

 

「…野菜足りないか?ヒトヒトの実喰っても草食だった頃の胃袋はそう簡単には雑食にならねーだろうし」

「俺の事だね」

 

ウキウキとゾロの顔を見るチョッパーは、サンジが次に何を言うのか楽しみにしている。

 

「塩気少ないほうが良いのか?今度上陸したら野生のタヌキに肉喰わせてみるか…」

「えぇぇぇ!!」

 

チョッパーが泣きそうな顔でゾロにしがみ付く。

 

「俺はトナカイだ!」

 

半泣きの船医は、ゾロに訂正しろと言わんばかりだ。しかし、言ったのは寝ているコックなのだから、ゾロとしてみれば理不尽に怒られている。苦笑いを浮かべながらチョッパーお気に入りのピンク帽子をポンポンと軽く手を置き、小さくため息をついた。

 

「…ナ…ミシャンは何時もキュートだ〜〜〜〜!!」

「夢の中でもラブコックなんだな…」

 

呆れたウソップの言葉に、皆が笑いながら頷く。

寝言の最中でも鼻の下が伸びている。腰をくねらしていないのが不思議なぐらいだ。

 

「賢くて可愛いなんて……素敵だ〜〜………も、この頃根を詰め過ぎだよ。酷く肩が凝って頭痛いでしょう……」

「そうなのか、ナミ!」

 

コックの言葉に船医は驚き航海士の顔を伺う。乾いた笑いを浮かべながらナミ小さく息を吐いた。

 

「少し前にね、毎晩がんばちゃったのよ。でも…サンジ君が心配するから止めたわ」

「うん、そうだね。寝不足は頭痛を酷くするよ」

 

すでに終わったことなので、敢えて船医はこれ以上のことを言わなかった。

 

「サンジは周りをよく見ているなぁ。俺が肉喰いたい時も直ぐにわかるぞ!」

「いや、ルフィは何時も肉だから!」

 

ビシッと突っ込むウソップは、その視線を肉好きな船長から寝ているサンジの顔へと移した。

 

「でも、いつでもサンジは皆のことを見ているよ。俺が腹痛い時も消化の良い物出してくれたりするしなぁ」

「そうね、サンジ君はいつでも皆の事を優先しているものね」

 

ゾロは少し顔を歪めた。

この船のコックは、表面上男尊女卑ならず女尊男卑を徹底的に貫く女好きだ。しかし、根の部分では、誰にでも平等に気を使い繊細な気配りをする。

時々それはゾロ自身もあるのだが、その確立は少なく、この船にたまたま乗り合わせた人間に向ける社交辞令程度でしかない。

 

コックから自分だけは阻害されている。

 

そんな気分を何度も感じていた。

しかし、胸の中に住むコックに向かう気持ちは止めることも出来ず、ただただ仲間達に向けるその優しさを妬ましいと何度思ったことか。

 

「ロビンちゃん…………だ〜〜!」

「今度はロビンか!」

「鼻の穴膨らんだぞっ!!」

「ふふふ」

 

クールなロビンも笑みを浮かべる程のくずれっぷりのコックは、一瞬にしてその表情を真剣なものへと変える。

 

「この船の仲間たちだけじゃ寂しい?」

「…………」

 

サンジの言葉を聴いた考古学者は笑いを納めて表情を硬くした。

 

「まだ、日も浅いから仲間と打ち解けないのかな?ロビンちゃんは照れ屋さんかな〜?」

 

語尾が延びちゃった所がだらしなさ全開なのだが、サンジの言葉は船長の胸に引っかかりを作った。

 

「……ロビン」

「もう、大丈夫よ船長さん。確かに初めは凄く皆を警戒していたわ。でも、…今は大丈夫よ」

 

太陽の眼差しが真っ直ぐ黒髪の考古学者へと向かっている。知的な瞳のロビンは、小さく笑って「大丈夫よ」と同じ言葉を口にしたが、その視線は直ぐに違う方向へと移動させてしまった。

まだ、彼女の中に壊すことの出来ない壁が存在するのだろう。それをサンジは的確に見ていた。

 

この船のコックは、白く細い指先から作り出す愛情の篭った料理の外に、さりげない気遣いから皆の心の栄養も管理している。

それがこの船に乗る仲間全てに対して当たり前のように。

 

 

 

水が生きるもの全てに当たり前のように。

 

空気が地上に生きるもの全てに格差なく与えられるように。

 

風が大地を洗うように。

 

 

 

わけ隔てなく与えられている。

男と女への態度の差はあれど、根底に流れる情は何も変らない。

 

 

 

 

それが……悔しいと思うのは、子供じみた独占欲からか。

 

 

 

ゾロは眠る男の顔を見詰め小さく息を吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

「……マリ…」

 

先程より小さな声で呟くテノール。

 

『マリモ』

 

と、言ったのだろう。さす人物はこの船には1人しかいない。

 

「ゾロのことは夢の中でもマリモなのね」

 

航海士は笑っている。

しかし、その瞳は切なげに細められている。

力ないサンジの呟き。普段彼は、この船の剣士に向かって罵詈雑言を並べ立て、喧嘩上等の臨戦態勢で皮肉な笑い浮かべている。

弱気な彼を観たことなど一度も無い。

 

なのに、今発した言葉は、聞き取るのに精一杯の音。

 

ありえないほど弱った彼を見るのはゾロにとっても傍で見ていたクルー達も驚きだ。

 

 

「……寝てばっかりで……臭えんだ……」

「夢の中でも怒られているぞ?」

 

ウソップは、同情気味にゾロの肩を叩く。

 

「酒ばっかりじゃ身体が出来上がらねーんだ!ちゃんとバランスの良い物喰って初めて強く成れるんだっ!!判っているのかクソ剣士……」

「うるせーぞ、グル眉」

 

ゾロの声も心なしか弱い。

サンジが倒れてから、威勢の良い金髪の男の声は甲板から消えた。

あれば在ったでウザイと嫌悪していたこの言葉が、自分にとってどれ程大事だったか改めて痛感する。

 

接点の無い同い年の仲間。

 

せめて喧嘩だけでもその関わりを持ち続けようとした。しかし、幼稚な考えはこの男を傷つける結果だけを残したというのに…。

 

「てめェは、俺の作った飯を喰って……強くなって……天辺に駆け上るだろう!鷹の目ブッ倒すんだろう!!鍛錬ばっかりじゃ強くなれねーんなら……俺でよければ幾らでも相手してやるから……それ位しか俺には協力できねーから……強くなれゾロ……」

 

その言葉に身体を固めたゾロ。

 

 

 

今、コックはなんて言った?

 

今、コックはなんて言った?

 

今、コックはなんて言った?

 

 

何度もリフレインでサンジの言葉がゾロの頭を駆け巡る。

 

 

『天辺に駆け上るだろう』

『俺には協力できねーから』

 

『強くなれゾロ』

 

と。

 

「……コック」

 

サンジの心は全てにおいて平等に……。

どんな些細なことにおいても、わけ隔てなく……。

 

それが例え喧嘩であろうとも、意味がある。

 

 

「そのくらいしか、俺に出来ることはないから……嫌われてるって分かってるけどよ〜……でも俺は、てめェをなんかの形で支えて協力してーんだ。……うざってーだろーけどよー」

「嫌ってないかいねー……お前の事を嫌っているわけねーだろう」

 

 

こんな状況下なのに、嬉しいと思う。

 

こんな状況下でそのことを知った事が、悔しいと思う。

 

 

「ゾロ、耳赤いわよ」

 

ゾロの後ろに陣取っていたナミは、サラリとゾロが気付いていない事を口にした。

恥ずかしさの余り後方を見て睨み付けても、この船を預かる航海士は肩を竦めただけで気後れひとつしない。

 

「…けど、てめェ……隠しているつもりらしいが……グリンピースを腹巻に入れるのは止めろ。共食いだからって苦手なのは分かるが、豆にはてめェに必要な栄養素が一杯在るんだ……」

 

クルー達がドッと笑う。

ゾロは、悪戯のばれた子供のように頭を掻きムッと表情で拗ねる。

確かに自分はグリンピースが苦手である。決して食べれないわけではないのだが、あれを食べるとせっかくの料理が不味く感じてしまう。

そもそも、ゾロの育った村には、グリンピースなどと言う洒落た豆なんて無かった。初めて口に入れたのは、海賊狩りとして旅に出てからの話し。飯屋に入り炒飯を頼んだ時に入っていたそれは、バサバサしていて皮が口に残るなんとも言えない食感だった。豆自体は嫌いではない。ただ、あの緑のコロコロとしたグリンピースだけは好きになれなかった。

この船では一度も口にしたことが無いが、たぶんサンジの作った料理の中に入っている豆は、他の食材と共に口に入れても違和感無く食べられるだろう。

分かってはいるが、どうも食指が伸びない。

自分はばれない様にしていたつもりだが、この船のコックは目敏くその行動を見ていたのだ。

 

 

見ていた。

 

 

そう、嫌われて無視されていたと思っていたのは、自分の思い込みでサンジは自分を見ていたのだ。

 

「おめでとうゾロ。良かったわね」

「……何がめでたいんだ?」

「しっかり愛されているじゃない」

「誰が誰にだ」

 

オレンジの髪を持つ少女は、クスリと笑って剣士の肩をポンと叩き小悪魔的な笑顔を向けた。

 

「サンジ君はちゃんとゾロを見ていたわ。見ているだけじゃない、ゾロの野望を自分の願いに変えて支えている。愛が無くちゃ出来ないわよ」

「サンジがゾロにか!?」

 

ウソップは、ナミの言葉に大声を張り上げる。

この船の戦闘員2名の間に愛だ恋だなんて考えただけでも寒い……と言うより怖い。

 

「このゾロだぞ!ラブコックのサンジだぞ!ありえねーだろう!?」

「そうか?俺はサンジが好きだぞ。飯も旨いし」

 

首を傾げるルフィの手には、どこから持ってきたのだろう肉の塊。ゲインと頭を殴ったナミは、驚き顎を外さんと大きく口を開けた狙撃手に笑いを向けた。

 

「そう?結構似合っていると思わない?フワフワと動き回って自分を顧みず人に尽くしてしまうサンジ君と、どっしりと構えて自分の道を邁進するずぼらなゾロ。どう?」

「ずぼらは余計だ!」

「問題はそこじゃないだろう?」

 

腕を組み突っ込むウソップを尻目に、トナカイの船医は「人間は男同士でも!」と、新たな発見に興味津々だ。

 

 

 

 

「うーーん。じゃぁ、もうひと頑張りしますか!」

 

大きく伸びをしてナミが立ち上がるのを合図に、皆それぞれの持ち場へと赴くために腰を上げた。

 

「雨は振りそうだけど風は文句なしだから飛ばすわよ!上手くいけば明日の日の出前に島が見えるはずなの」

「俺も片付けが終わったら手伝うぞ」

 

チョッパーは俄然張り切り両手を挙げる。

 

「俺もここが終わったら手伝うからな」

 

ウソップは着慣れないエプロンをポンと叩き自慢の鼻を撫でた。

 

「あなたは休んで、長っ鼻君。昨日からほとんど休んでいないでしょう?もう少し私は起きているから」

 

ロビンは、手に持っていた読みかけの本を上げてにっこり微笑む。

 

「俺はもう駄目だ。早く起こしてくれナミ!」

 

船長は欠伸をして目を擦ると、隣にいた航海士の名を呼んだ。

 

「分かっているわよ。早く起こすから手伝いなさいよ!」

「おう!でも。その前に腹減ったんだけど……」

「「「まだ食べる気かっ!!」」」

 

何人かが同時に突っ込むが、突っ込まれた本人は笑っている。

 

ゾロも口角を僅かに上げ、仲間たちの笑い声に促され夜の航海のためにその場から立ち上がろうとした。

 

「ゾロはサンジ君の側に居てあげて」

 

何か含みを持たして航海士が言う。

 

「ゾロ、サンジを頼むぞ!」

 

信頼の眼差しで船長が言う。

 

「このキャプテン・ウソップ様に任せれば大丈夫だ!!」

 

気の良い男はゾロの肩を叩き、歯を見せながら笑った。

 

「点滴終わったら教えてくれ」

 

責任感のある船医は、真っ直ぐな眼差しでゾロに声を掛ける。

 

「剣士さん。コックさんをお願いね」

 

年上の彼女は、フワリと余裕の笑みを見せる。

 

 

 

皆、この船に乗る皆がゾロの大切な宝物だ。

 

 

 

誰一人欠くことのできない大切な仲間だ。

 

それを教えてくれたのは、この船に誘った船長。

 

絶望の中に光があることを教えてくれたのは、航海士。

 

勇気の強さを教えてくれたのは、狙撃手。

 

生きる大切さを教えてくれたのは、船医。

 

常に客観的に判断する事を教えてくれたのは、考古学者。

 

 

そして………

 

 

見守り続けたいと強く願う事を知ったのは、サンジに出会えたから。

 

 

「ゾロ、数日ドタバタしてお祝いできなかったけど、今日ゾロの誕生日よね」

 

先程含みのある顔をした航海士の言いたかったことはこの事らしい。

 

「お誕生日おめでとう!宴会出来なかったけど。言葉だけでもね」

「おう、プレゼントは年中受け付けてるぞ。何なら借金無くせ」

「誰が無くすと思っているの!?」

 

意地悪く笑う2人を見ながらカレンダーを見たほかの者たちも声を揃えてゾロに祝いの言葉を掛ける。

 

「おめでと、剣士さん」

「ゾロ、おめでとう!」

「そうか!誕生日なのに洒落た料理出せなくて悪かったな」

「そうか!ゾロ誕生日か!!なら今から宴会だ!!!」

 

ゲインと再度頭を殴られたルフィは、両手で痛む頭を押さえてニシシと笑う。

 

「ありがとうな」

 

穏やかな表情でお礼を言えるのも、このクルー達が仲間の素晴らしさを教えてくれたから。

 

 

 

でも、一番聞きたかった声は、この中に含まれていない。

 

 

静かに寝ている男へと視線を向ければ、アクアブルーの瞳は瞼の下に隠されて見る事が出来ない。穏やかに規則正しく上下する薄い胸板が、遣る瀬無い気持ちに拍車をかける。

 

少しこけた頬へと手を添えれば、低い体温が伝わり愛しさが込み上げてくる。

 

「お前も何か言え……コック」

 

思わず呟いた言葉へと返る言葉は無く、ただ静かに船が水を切る音がラウンジ内に響くだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その島に到着したのは、夜も明ききらない時間だった。

 

 着岸するにも島の内部の様子も分からない。偵察と病院設備の確認をかねて、ウソップとチョッパーそしてロビンが小船で上陸した。

吹きっさらしの甲板にショールを巻いて立つナミは、仲間の吉報を信じて小さく見える島を見詰める。起こされたルフィは、サンジお手製のハムを食べ見張り台から島を見る。その表情に笑顔は無い。

サンジの隣でまどろんでいたゾロは、碇を下ろした後に再度サンジの隣に座り仲間がもたらす吉報を待っていた。

 

陽が海上に昇る頃戻ってきたロビンとウソップは、船医が妥協できる設備を持った病院を見つけた事を知らせに帰ってきた。チョッパーはその場に残りサンジを迎え入れる準備に入ると言う。

島自体は、経済的に裕福とはいえないが治安が良くある程度の生活基準も満たされていると判断できる。

ナミは速攻着岸準備に入った。

 

 

 

 

 

 

 

「ウソップは船に残ってくれるのね。ロビンは案内をお願い。……ルフィ、あなたはどうする?」

「ナミ、腹減った」

 

サンジが治ることを確信したルフィは、先程の硬い表情から一転にこやかに空腹を訴える。額に手を当てて大きく溜め息を吐いたナミは、船番の狙撃手に視線を向ける。

 

「あぁ、ルフィには俺が飯を用意する。このウソップ様の手に掛かれば、どんな素材だろうと高級料理として食卓に―――」

「じゃぁ、お願い」

 

話の腰を圧し折ったナミが、次に視線を向けたのはゾロだ。

 

「サンジ君運んでくれる?」

「そのつもりだ」

「船医さんからの伝言。『慎重に運んでくれ。特に頭を強く揺すったりして衝撃を与えるのは絶対駄目だ!出来るだけ早く丁寧にだぞ!』」

「解った」

 

頷いたゾロは、ラウンジに入り毛布にサンジの痩身を包み横抱きに抱えあげた。

その身体は思った以上に軽く、大の大人の男とは思えないほど。ここ数日点滴のみで栄養を補給していたコックは、体重を確実に減らしていた。

 

その原因が自分にあると思えば、何処までも後悔に苛まれる。

今、この瞬間自分命が尽きたとして、未練は残るだろう。しかし、後悔は残らない。……筈だった。

だが、今はこの腕に抱きかかえる男の事に後悔の念のみが大きく残るだろう。

 

大切にしてきた想いを告げぬ前に傷付けた自分。

 

せめて……もう一度皮肉めいたその笑みを見せて欲しい。

自分の想いは成就されなくてもいい。もう一度その温かな心が宿る料理を口にしたいと、心から願っている。

 

 

「ゾロ、準備はいい?」

「あぁ、構わねぇ」

 

甲板に姿を現した剣士に声を掛けたこの船の経済管理人は、案内役のロビンに目配せをし、船に残る船長と狙撃手に手を上げると、船医の待つ病院に向かって走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「脳には異常が無かったよ」

 

検査室からサンジを乗せたベッドが出てくると、その後から追うように出てきた優秀な船医はニッコリと笑って待ち構えていた者たちへ声を掛けた。

大きく息を吐きその場にへたり込んだナミは、「人騒がせなんだから」と口調では怒りを表すが、僅かではあるが目には涙が溢れている。その肩を励ますようにポンと叩いたロビンも安どの表情が色濃い。

息を細く吐き出したゾロは、部屋へと移されているサンジの後に付いて歩き出した。内心は怒涛のように感情が入れ替わる。

 

安堵・怒り・寂しさ・嬉しさ……

 

自分でも分からない感情も溢れ出てきて自分は何故こんなにも大声で叫びたいのか訳が分からない。

 

そして、何を叫びたいかすら分からない。

 

ただ言えることは、コックは自分の前から居なくなることは無い。それだけで歓喜に似た胸の高まりが身体を支配している事だ。

 

 

「脳には異常が無かったけど、本当にデリケートなものだから油断は出来ないよ」

 

安堵に胸を休めていたクルーたちは、ピクリとその身体を硬直させた。

 

「目覚めるまでは油断できないんだ。目覚めても何か障害が残っているかもしれない。……兎に角、静かに経過を見よう」

 

まだ子供じみた甘えん坊の表情をするチョッパーが、その言葉の真実に深みを与えている。

目が覚めなければ、食を取れないサンジにとって色々と障害が出てくるのは当たり前なのだ。

顔を見合わせたクルー達は、皆無言で頷きあった。

 

「とりあえず私はこの島でのログの調査と、ホテルの手配をするわ。ロビンは……」

「えぇ、船長さんたちに伝えに行けばいいのね」

 

立ち上がりほこりを払いながら今後の行動に話しを振ったナミに、察しの良い考古学者は話を引き継ぐ。

 

「私も手配できたら船に戻るから待っていてね。……で、ゾロ!」

「おう」

 

テキパキと話しを進める女性陣を無言で見ていたゾロに聡明な考古学者は、ニッコリと微笑んだ。

 

「サンジ君の付き添いしていてね!絶対離れないでよ!!」

「絶対…か?」

 

首を傾げるゾロを見てロビンもナミも意味ありげに小さく笑う。

 

「お前達、何企んでいやがる?」

「人聞きの悪いこと言わないで!ただ、ゾロ、あなたが外出したら2度とサンジ君の傍に戻ってこられないじゃない!」

「俺が迷子になるとでも思っているのか?」

 

ムッと唇を結んだゾロに、ロビンは首を小さく横に振った。

 

「いいえ、迷子になるとは思わないわ。でも、戻ってこられないのは確かね」

「……それを迷子ってーんだ」

 

ボソリと反撃した呟きは、彼女達の耳に届く前に払い落とされた。

しかし、サンジの傍に居ることは、ゾロとしても本意である。これ以上言葉を出し薮蛇になる前にとゾロはサンジの入った個室へと足を向けた。

 

「ゾロ!」

 

航海士が名前を呼ぶ。

振り向けば、先程までの笑いを無くし真剣な眼差しのナミが真っ直ぐ剣士を見つめる。

 

「アンタもちゃんと食べなさいよ。サンジ君が起きた時、『ゾロが倒れていました。』なんて馬鹿らしいから」

 

言葉は揶揄めいているが、仲間を思う気持ちは身体から溢れている。

言い返すこと無く頷いたゾロは、今度こそサンジの寝る個室へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

ゾロが病室に入った時には、サンジの周りに沢山の機械が設置され、小さな電子音が室内に響いていた。左腕には点滴がサンジの生命を繋ぐように少しずつ落ちている。

 

昼の時間帯だと言うのに暗く感じるのは、遮光カーテンがきっちり閉じられているためだ。室内灯のみに明かりを求めるこの雰囲気にゾロは眉を顰めた。

しかし、医療面では全くの土素人である自分が何かを言うことはお門違いである。

ゾロは点滴の射されていない右側へと腰掛、布団に隠された右手を掴み両手で包んだ。

額にそれを押し当て目を閉じる。

この場で自分が出来ることは、サンジに気を送り続けること。それ以外何も無い。

時々目を明け寝る金髪の男の表情を伺うが、何も変わることはない。チョッパー自身船と違う治療は何もしていないと言っていたのだから、病院へ入って直ぐ目覚めるなどと言うことはありえないのだ。

 

分かっていても……島に着けば、病院で診てもらえばサンジは治るとどこかで思っていた。

 

しかし、実際は、何の手立ても無くただ時ばかりが過ぎていく。サンジの命を数えるが如く響く電子音が煩わしいだけだ。

 

再度瞼を閉じ額に押し当てたサンジの手の温もりを感じ取る。

 

 

「俺の誕生日に馬鹿デッカイ『バースデーケーキ』焼くって言ってたのは嘘だったのかよ。甘いもんが苦手だから、ブランデー効かせたケーキ喰わせるって言っただろう。約束守れ……。誕生日の祝いぐらい言えアホダーツ」

 

 

 

 

ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ……

 

 

 

 

返ってくるのはむなしい電子音のみだ。

 

「コック……なんであの時振り上げた脚を下ろしたんだ?何であの時泣きそうな顔で笑ったんだ?何であの時遠くを見ていた?」

 

 

 

 

ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ

 

 

 

 

「お前は俺を嫌っているんじゃねーのか?」

 

 

 

 

ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ

 

 

 

 

「俺はお前が気になる」

 

 

 

 

ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ

 

 

 

 

「キッチンに立つお前を見ると、腹ん中温かくなる」

 

 

 

 

ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ

 

 

 

 

「お前が甲板で楽しそうに洗濯している姿を見ると幸せな気分になる」

 

「コック、お前が俺を見て笑うとちっぽけな平和が大切だと思う」

 

「笑って、怒って、喧嘩して……お前が笑って、皆が笑って……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前が好きだ……サンジ」

 

 

 

 

 

 

 

ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「好きだぞ」

 

 

 

 

「だから、目を覚ませ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ・ピ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サンジ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

額に当てた手が僅かに動く。

ハッと顔を上げたゾロの視界には、目を開けたサンジの姿が。その視線は相変わらず遠くを見ている。

 

「戻って来いサンジ!!」

 

遠くを見るサンジの瞳がゆっくりゾロへと流れてきた。

 

「サンジ!!」

 

ゾロの背後にある過去を見ているのか、独特な眉を眉間に寄せたサンジは点滴針の刺さる左手を躊躇いなくゾロの頬に当てた。

その勢いに台が傾いてベッドへと倒れてくるのを慌ててゾロは片手で支える。絡むことの無い視線だけは外さず、ジッと蒼の瞳を覗き込んだ。

 

「その涙は誓いの涙だろう?未来の海賊王に『2度と負けない』って誓った涙だ。そんなもん捨てちまえば、傷つくことも無いのにな。…やっぱ、てめェは馬鹿だ」

 

そういわれてゾロは始めて気付いた。

自分が涙を流していることを。優しく頬を拭ってくれる優しく細い指先は、自分が想像しているよりも冷たい温度だ。

 

「未来の海賊王と未来の大剣豪。同じ船に乗るお前らは、強い絆で繋がってんだな」

「……………コック」

「くいなちゃんとクソゴム船長。お前の全てだ」

「そんな事は無い。俺には―――」

「何時か俺がグランドラインに出たら、てめェはもう大剣豪になっているのか?」

 

ゾロはグッと奥歯を噛み締めた。

サンジの中では、ゾロは『コックとして以外必要とされていない』と思っているのだ。過去も現在この瞬間も、そして未来も。決して自分を傍で見ようとはしてくれない。

 

はなから諦めて自分を頑なに守り続けるコック。

 

「…コック。サンジ、ちゃんと俺を見ろ!過去じゃなくて、今目の前にいる俺をその目に映せ!!」

「………ゾロ」

「ちゃんと俺を見ろ。俺に意識を向けろ。お前の曇った目で現実を確認しろ!!」

 

ガラス玉の青い瞳が、ゾロの顔を静かに見詰める。

 

「俺を気にかけろ!俺を必要と言え!」

 

壊れそうな男に覆いかぶさり、その身体を抱きしめた。

 

「俺の全てがルフィとくいなだと思っているんなら、それで良い。だがな、それを全部ひっくるめて俺の全部をお前にやる。過去も今もこれからも、全部全部……全部てめェにやる!!」

 

首筋に顔を埋め叫んでいる自分は、なんて子供なんだと呆れるもう一人の自分がいる。だが、ゾロはその感情を抑えることが出来ない。

 

「だから、俺を欲しいと言え!誕生日に約束のケーキを焼かなかった馬鹿コックは、誕生日プレゼントに俺をちゃんと欲しがれっ!!………俺もお前が好きだ。サンジ」

 

最後の言葉は、少し掠れて言葉にならなかった。

 

 

 

 

 

 

規則正しく刻む電子音。

 

 

 

 

心臓が確かに動いていることだけは教えてくれている。

 

 

 

 

 

「頼むから……俺を―――」

「…つめてぇ」

 

突然耳に届いた声は、小さく頼りないけれど確かに抱きしめる男の声。

ガバッと身体を起こし痩身の男を見下ろす。クールブルーの瞳は、薄っすらと瞳を見せて覗き込むジェイドグリーンに絡んだ。

 

「泣くほど……腹…減ってんのか?」

「……コック」

 

呟くほどに小さな声だが、その話す内容は確かに現実のゾロを確実に見ているからこそ出る言葉。

大きく目を見開いた剣士の顔を、サンジは小首を傾げて様子を見詰める。何が起きているのか理解できないコックは、不思議そうにゾロの顔を見詰めた後、部屋の中を確認する為に視線を廻らせて、再度覆い被さりサンジを覗き込むゾロへと視線を戻した。その仕草が幼い子供のようで、ゾロは現実に戻ってきたサンジへ涙を流しながら笑いかけた。

 

「ここは…何処だ?」

 

掠れた声がゾロに訊ねる。

 

「島の病院だ」

「…ふーん。で、てめェは何で泣いている?」

「泣いてないていねー」

「……そっか」

 

そう呟いた痩身のコックは、無意識に左胸のあたりに手を彷徨わす。たぶん煙草を探しているのだろう。

 

「色々…迷惑かけちまったみたいだな……」

「あぁ、散々だ。誕生日も過ぎちまったしな」

「ええっ!」

 

ガバリと音を立てて上半身を起こしたサンジを、ゾロは慌てて手を貸して再度寝かしつける。いきなり起きて目が回っているのだろう、金髪の奥ではしかめっ面でじっと身体を硬くしている。

 

ゾロはその青ざめた顔を覗き込みながら、安堵の溜め息をひとつ吐き出した。

どんなに具合が悪かろうと、この男は『今』に戻ってきたのだ。

また喧嘩して、いがみ合って、笑って、背中を預けて戦う高揚とした旅を送ることが出来るのだ。

 

それ以上に、腹の中を温めてくれる存在がもう一度自分を見てくれる。

 

自分の思いが通じなくてもいい、打ち明けるつもりもない。

ただ、戻ってきてくれたことがこんなにも嬉しい。

 

 

 

自然と笑みがこぼれる。

 

 

「約束したのにな……クゾでっけーバースデーケーキ焼くって。悪かったな」

「てめェが戻って来ただけで、俺は十分だ」

 

全ての思いをこめて言葉を紡ぐ。

 

「……じゃぁ、何で泣いてるんだ?」

 

まだ止まることを知らない涙が、頬を濡らしサンジの顔へと降り注ぐ。その頬を細い指が優しく拭って手の平をヒタリとゾロの頬へとあてがった。

 

「俺に出来ることがあるのか?」

「てめェにしか出来ないことだ。二度と俺から離れるな」

 

その言葉の意味を掴めないサンジは、あさって方向へと目線を向けて暫し眉を寄せる。しかし、その内容に赤面しギンと睨むと、覆い被さり顔を覗き込む剣士のわき腹あたりを膝で蹴り上げた。

 

「て、てめェ……なに言ってっ!!」

「俺の剣で傷付けちまってすまない。だから二度と…てめェを傷つけない。何者からもお前を傷付けない」

「俺はてめェなんかに守ってもらうほど弱かねーぞ!!」

「あぁ、知ってる。だが、もう二度と傷つけない。身体も心も」

 

耳まで真っ赤に染まったサンジの顔に惹かれてゾロはすべらかな頬へと唇を寄せた。

先程まであれほど自分の想いなど伝えなくても良いと思っていた。にも関わらず、今はサンジの全てを欲しがる自分がいる。

 

「お前が戻ってきてくれたことが、俺にとって何よりの誕生日プレゼントだ」

「ぞ……ゾロ……」

 

首筋に顔を埋め、サンジの匂いを嗅ぎながらその身を優しく抱き寄せる。

 

「お前が一番傍にいて欲しいと思う……サンジ」

 

呼びなれない名前は少し早口になったが、今のゾロにとってこれが精一杯の気持ちだ。

抱きしめられている男がどんな表情なのかは分からないが、小さく息を呑んだことは分かる。

 

夢の中を彷徨っている間にこの男の想いは聞いている。

ならば、後は自分へ落とせばいい。

 

「……一番って言ってもよ…、くいなちゃんとかクソゴムとか…。てめェは野望が一番で…」

「全部ひっくるめてお前のモノにしろ!」

 

言っていることが無茶苦茶だろう。だが、ここで引くことは出来ない。そうすれば、この男の心を永遠に失ってしまう。

 

「でも…よぉ…」

「俺が欲しいのか?欲しくないのか?」

 

顔を上げて迷う瞳を捉えれば、首筋まで真っ赤に染まった可愛げのある男の表情を捉えることができる。

ニヤリと不適に笑ったゾロは、パクパクと開閉する薄い唇に自分の唇を押し当てて、再度その視線を捕らえた。

 

「夢の中のてめェと話した。だから、お前に俺の全部をやる。かわりに嫌がっても俺はお前を貰うぞ。丸ごと全部、その夢も、馬鹿の付くほど優しいところも、弱いところも、迷う心も。全部、全部俺が貰う。……いいな」

 

相手に拒否権なんて与えない。

もし拒否しても、その本心は知っている。

押せばいい、奪えばいい、雁字搦めにして揺れる心を捉えればいい。

 

唇をキュッと噛んだサンジは、泣きそうな顔でゾロを見上げる。真っ赤な顔から睨むその視線は、迫力の欠片もなく。

 

「畜生……」

 

ギュッと青の瞳を瞼で隠し、悪態を吐くサンジは小さな声で再度「ちくしょう」と呟いた。

 

「いつかてめェの横に綺麗なレディーが現れて……」

「そんなものいらねー」

「てめェが大剣豪になって、俺が邪魔になった時……」

「死ぬまで傍に居ろ」

「離れねーぞ……俺は、あ…あ…愛しちゃったりすると、しつこいんだぞ!」

 

その言葉にゾロは破顔した。

自分の想いを現実のものとして受け入れてくれた。

内に秘めた痩身の男の想いを口に出してくれた。

その事がこんなにも嬉しい。

 

「お前だけだって言ってるだろう。例えこの先、俺達の立ち居地が変わって本気で戦う時が来ても、俺の魂は必ずお前の傍にある。だから、俺以外に目を向けるな。俺をお前の特別にしろ。俺の中でお前が一番なように……」

 

それ以上は言葉に出来ず、ゾロは想いの丈を全てこめて痩せてしまった身体を抱き寄せた。

抵抗なく抱き込まれた男の腕が、自分の背に回ったことがこんなにも幸せだと…、その温もりを肌で感じながらゾロは笑みをこぼした。

 

「遅くなっちまったけど……誕生日おめでとさん」

 

肩に乗せた小さな頭が照れながら呟く。

 

「おう」

 

その返事も素っ気無いものとなったが、もう気にも留めない。

 

「ずっと……好きだったぜ、てめェの事」

「これからもずっと好きでいろ」

 

 

もう時期心配性の主治医がこの部屋に訪れるだろう。

だが暫しの短い間、想いが通じた者同士、ただ抱き合い温もりを身体で感じあう時間はもう少しありそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2007/01/08