Voice

 第1章 −夢−

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あの時 あの頃。

 

唯、それだけでよかった。

 

 

 

 

 

 

 

己の種の違いゆえに、報われないと分かっていても、

 

己の我が侭の為に、王の未来を暗く染めようと、

 

己の未熟ゆえに、太陽の輝きを放つ森の帝王を束縛しようと、

 

己の脆弱な生の為に、大地が讃える強き力を削ぎ落とそうと。

 

 

 

 

 

 

 

不釣合いだと分かっていても、

 

 

 

 

 

唯………、

 

 

 

 

 

 

唯………、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

傍にいたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Voice

 第1章 −夢−

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何処から持ってきたのだろうか?

籠いっぱいに入っていた干し柿をヘタまで食べつくしたゴム人間は、ガタンと椅子を鳴らし立ち上がると、駆け出し部屋から出て行こうとしている。

ゾロが説明に来るまで待つと言った筈なのに、気まぐれな船長の行動に航海士は、その背中に声を掛けた。

 

「ちょっと、ルフィ!ゾロが来るまで待ちなさいよ!!」

「やっぱり駄目だ!」

「何がよっ!!」

 

クルリと振り向いた船長の言葉に意味が分からず、思わずナミは同じルフィとトーンで声を張り上げた。

 

「サンジの居ない所でサンジの話を聞くのは駄目だ!」

 

その言葉に皆ハッと息を呑む。

たとえサンジが目を覚ましていなくても、サンジの過去に関わる大事な話しを、まるで欠席裁判状態で話を進めるのはフェアではない。正義感の強いルフィにすれば、許されざる事だろう。

納得したナミは、頷き席を立った。

 

「分かったわ。サンジ君の部屋に皆で行きましょう。」

 

無言で頷いたルフィは駆け出し部屋から出て行く。遅れて席を立った仲間達も、後を追い小走りにその背中を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――― バタン!!

 

大きな音を立ててサンジの部屋の扉が勢いよく開け放たれた。

真剣な顔の麦藁帽子を被った少年は、大きな口を開き何か言おうとした瞬間に背後からの鉄拳でその言葉を飲み込んだ。

 

「静かにしなさいよっ!サンジ君寝ているのよ!!」

「ゴベンナシャイ!!」

 

舌を噛んだのか、ルフィの声がくぐもっている。

ナミは、サンジの様子を伺おうと頭を押さえる船長からベッドへと視線を動かし、思わず赤面した

 

静かに寝息を立てるサンジのベッドに腰掛けたゾロは、眠るサンジの表情を優しく見詰めている。

惜しげもなく送られる愛慕の瞳。目を細め、口角をわずかに上げるゾロから見たことも無い優しい表情には、何処か淋しさも漂っている。

無骨な指先で金糸を掬い上げ、温かな掌で白い頬を包み込む。

 

繰り返し、繰り返し。

 

周りに集まって座るクルー達を気にせず続けられる行為は、見ている者も甘い空気に染められて、遠慮がちに視線を逸らしてしまう程。

 

 

 

数分の時間が過ぎた時、ゾロはその動きを止めゆっくり集まった仲間を見渡した。

 

「大工はどーした?」

「見張りがいないのは危険だからと、見張り台に行ったわ。」

 

ゾロの斜め前に陣取ったロビンが完結に答える。

その返答に頷いたゾロは、もう一度サンジを見て船長へと視線を向けた。

 

「サンジが居ない所で、サンジの話しをするのは嫌だ。」

「……そうだな。」

「だから、皆でここに来た。」

 

僅かに寝返りをうったサンジの手が、無意識にゾロの手に触れる。

遠慮がちに握られた白い指先は、まるで迷子の子供のようで。その手をゾロはギュッと握り返した。

 

「……何処から話せばいいか良くわからねーが。」

 

そう前置きしたゾロは、息を一つ大きく吸いゆっくりと吐き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゾロが語った昔話。

 

それは、とある島のありふれた森での小さな出来事。

豊かな大地に育まれた森と河、湖と空。広大な森には虎を頂点とした食物連鎖があり、虎を頂点とした社会があった事。

人の手が全く入らない広大な未開の地には、多くの生き物が喜びや哀しみを得て力強く生きていた事。

 

 

 

そして、その時代ゾロは若い虎であった事。

 

 

 

「俺がまだ、その森を治めるほどの地位は無かった。老虎が引退間近で後継者候補として俺は生きていた……そんな時だった。雨季の始まりに木の根っこの辺りで、小さく丸まって濡れていた子猫に会ったのは。茶トラの小さな猫だ。泥と雨で見られたモンじゃねーほどグチャグチャで、それでも生きようと必死に身体を丸めて命を繋いでいた。」

 

子猫は、森の近くにある村の飼い猫だろう。

迷子になって森に入ってきてしまったようだが、見知らぬ土地で雨に濡れて寒さと飢えから震えていた。

 

ゾロは、その猫を食べる事無く、自分の塒へと連れて帰り生かし続けた。

それが、その時代のサンジなのだと。

 

「……どうしてゾロは、猫を食べなかったんだ?」

 

チョッパーが素直に疑問を口にした。

誰よりも自然の掟を知るトナカイには、虎の行動が不思議でならなかった。

少し困った様に笑ったゾロは、サンジを見て小さく笑う。そして瞼をゆっくりと閉じると、思い出の世界から湧き出る言葉を口に出した。

 

「その猫を喰っちまったら、全てが終わると思った。時が止まって世界が終わると思った。実際はそんな事ねーんだが。」

「ゾロは……、虎だったゾロは猫だったサンジ君を好きだったの?」

「俺とコイツは、好きとか嫌いとか、そんな時限の話じゃねーんだ。」

 

グッと握り締めた拳は、何を語りたいのだろうか。

そのままゾロはゆっくり目を開けて、無言のままサンジへと視線を向けた。

 

「コイツにとって、世界の全ては俺に繋がっていた。生きる森も仲間も、空も河も、コイツが愛する全てが俺を基準とした世界だった。……だから、俺はコイツが、……サンジが愛するモノ全てを護ろうと決めた。愛とか恋とかそんな薄っぺらな言葉じゃ言い表せないが、コイツが生きて愛しているささやかな風の流れさえも大事にしようと決めた。」

 

だが…。

と、ゾロは言葉を止めた。

 

 

一拍の間の後、クルーたち全てに視線を送りこう言葉を続ける。

 

「だが、……この馬鹿猫は、森のお節介な奴らの口車にまんまと乗せられて、願いの女神の居る崖から『飛び降り』やがった。それが俺の為と信じて疑わなかったんだろうな……。」

 

 

 

ゾロは知らない。

サンジが崖から『落ちてしまった』ことを。

自ら進んで命を捧げたわけではないのだが、結果論としてサンジが崖から落ちたことは、ゾロに『自ら命を絶った』と今だに勘違いされたままになっている

事実を伝えようにも、落ちてしまった本人がその記憶を無くしているのだから仕方が無い事なのだが。

 

「ゾロはそれからどうしたんだ?」

 

ウソップが、眉を顰め真剣な眼差しでゾロに問う。

口角を上げたゾロは、頭を掻きながら乱暴に答えた。

 

「俺は、コイツの後を追った。今の俺が考えれば馬鹿なことをする奴だと思うがな。だが、その時の俺はそう判断した。その事について四の五の言う気はねーが、結局追って崖から飛び降りて俺は『願いの女神』に会ったんだ。」

「そいつ強いのか?」

「闘ったわけじゃねーから分からないが。」

 

好奇心旺盛な少年は、真剣な眼差しの奥に隠しきれない興奮を滲ませ、ワクワクとした気持ちを滲ませゾロに聞いた。

 

「その女神はどんな姿だったの?」

 

好奇心とは別に、学者の顔をしたロビンが興味深げに質問する。

 

「姿は見てねーよ。俺が感じ取ったのは……風だ。」

「風が願いを聞いてくれるのか?」

「さあな。実際に姿を見たわけじゃねーから、何とも言えねーが。」

 

好奇心が溢れ出す船長と狙撃主、船医は、興味深げに目を大きく開け、前のめりでゾロの言葉に聞き入る。

 

「ゾロの願いは何だったの?」

 

他のクルー達との興味とはまた違った視点から、ナミが聞いた。

 

「俺の願いは……」

 

言葉を止めたゾロは、サンジの髪を弄り僅かに笑みを浮かべた。

 

「願いは、『未来永劫俺の傍にサンジがいる事。』どんなに時が流れても、どんな姿になろうとも、必ず俺の傍で生きる事。それが俺の願い。」

「輪廻転生……の考え方ね。」

 

ロビンが補足した。

輪廻転生の言葉の意味を理解できない数名のクルーが、首を傾げ考古学者に助けを求める。

説明を苦も無く、表情を変えないロビンは静かに言葉を口にした。

 

「輪廻転生と言うのは、ある宗教の考えで死んだ人間は、必ずこの世の何らかの生き物として生まれてくる。と言う考えなの。本来の教えとはだいぶ掛け離れた解釈となってしまったみたいだけど。」

「じゃぁ、俺も誰かの生まれ変わりなのか?」

 

大きな目がいっそう大きく開いたチョッパーが、何かを期待して興奮気味に話す。

その問に明確な返答をしなかったロビンは、フワリと笑うだけに留まった。

 

「じゃぁ、俺はシャンクスの生まれ変わりなのか?」

「……まだ死んでいないし。」

 

大好きな記憶の中の男の名を口にしたルフィは、何か勘違いしたようだが、隣のウソップに呆れながら突っ込みをいれられて何が間違っているのか首を傾ける。

そんな空気にゾロは、声を立てて笑った。

 

「俺は神を信じないが、実際事が起これば事実を受け止める他ねーからな。」

 

僅かに肩を上げ、諦めに似た表情を見せたゾロに聡い航海士はこう切り出した。

 

「願いの女神は等価交換が原則よね。ゾロは願いと引き換えに何を取られたの?」

 

まさかそんな質問をされるとは思ってもいなかったゾロは、ベッドに腰掛けたまま僅かに身体を硬直させる。

苦々しい表情を僅かに浮かべ、珍しく皮肉に彩られた笑みをナミにみせた。

 

「俺が選んで代価を差し出すわけじゃねーんだ。願いの女神には代価として何かを奪われる。コイツの場合は、『記憶の中から、俺……虎のゾロを消した。ただ、生まれ変わっても、記憶の無い唯1人の存在を追いかけて、苦しい恋心に生きる気力さも奪われる。だから、何時の時代もその誰かを追い求めて生き続ける。』と。俺は、『何度生まれ変わっても、サンジとの記憶は消える事無く続く。そして、過去の記憶をサンジに話せばその時代の俺たちは、望まざることではあるけれど、離れ離れになる。』と言った。実際その通りになったしな…。唯俺は、傍で過去の事も話せず、苦しむサンジを見ているほか無かった。」

 

サンジの髪を梳き、悲しげな色を滲ませたゾロの瞳は、苦悶の表情を浮かべ眠り続けるサンジへと注がれている。

過去の時代にこの2人は、どうしていたのか興味を注がれるが、何と無く聞いてはいけない領域に感じられて皆ゾロの言葉を静かに待った。

 

「色々な時代のコイツと出会った。そこは、泥沼の戦場だったり、焼かれて消えていく森の中だったり。敵だった時もあった、違う種族の時もあった。男だったり女だったり。でも、どの時代でも俺はサンジの傍にいた。」

「……それでも、サンジはゾロの事気付いていないんだろう?淋しくなかったのか?」

 

鼻を啜りながら、チョッパーが聞く。

その言葉に僅かな笑みを見せた剣士は、呟いた。

 

「………そう言う感情は、始めの頃だけだ。」

「でも、サンジ君の事好きなんでしょ?」

「だから、好きとかの次元じゃねーよ。そもそも、淋しいとか悲しいとか、夢や幻の記憶に心を痛めるか?暫くは引き摺るかもしれないが、結局今の自分じゃねーからな。」

 

何処か遠くを見て話すゾロは、何処か今のゾロでは無い様に見える。

僅かに目線をサンジに向けたゾロは、ふと笑みを浮かべこう綴った。

 

「第一、今の俺には、心に決めた事がある。悪いがコイツばかりに気をとられている時間はねー。」

「それじゃぁ、サンジ君が可愛そうじゃない!!」

 

ナミは、声を荒げた。

 

「どうして?サンジ君の事大切なんでしょ?誰にも取られたくないんでしょ!?だったら、強引にサンジ君の気持ちを自分に向かせれば良いじゃない!!過去とか関係なく、今のゾロでサンジ君を奪えば良いじゃない!!」

「それじゃぁ、意味が無いんだろ?」

 

ナミの言葉に冷静な表情の少年船長が切り返しす。

真っ直ぐで単純な少年は、みょうに本質を見ぬ抜く力がある。麦藁帽子の少年は、真一文字に結んだ唇で何かを理解したと語らずも告げている。

その表情にナミは少し息を吐き気持ちを落ち着かせた。

 

「……ゾロは、サンジ君に何を求めているの?」

「何も求めちゃいねーよ。ただ、コイツがゆっくりと寝られる事だけだ。悪夢を見ずに馬鹿みてーに笑って航海をして欲しいだけだ。」

「それじゃあ、ゾロが報われないじゃないか!!」

 

淋しさを知っているチョッパーが泣きながらゾロの膝元へと駆け寄った。

 

「楽しかった思い出を話すことが出来ないのは、凄く悲しい事なんだ!些細な事を思い出して、その話を共有できない辛さは、心を痛くするんだ!!」

 

止まらない涙を拭う事をしない小さな船医を、ゾロはトントンとあやす様に背中を撫で、優しく笑った。

 

「過去は過去だ。今の俺じゃねーんだ。第一、俺がコイツと話したいのはそんな陳腐な話じゃねーんだ。今を話して前を見て生きていきてーんだ。」

 

グスングスンと鼻を鳴らす船医の頭をポンポンと撫でて落ち着かせると、船長にゾロは視線を移した。

 

「俺の我が侭だ。今度の島では、コイツと俺の船番は外して欲しい。その次の島では、全部俺が受け持ってもいい。」

「………それでサンジもゾロも幸せになるのか?」

 

ルフィが見せる目には、強敵にしか見せない強い視線。見た者が怯むほどの力が入った視線をゾロへは、真正面から受け止めた。

 

「幸せになるかはわからねーが、とりあえずコイツを悪夢から開放してあげる事はできるかもしれねー。」

「ちゃんと………2人とも船に戻って来るんでしょうね?」

「当たり前だ。」

 

何かを危惧したナミは、ゾロを睨み問い詰めるが、ゾロは口角を僅かに上げて切り返した。

 

「何で船を降りなきゃいけねーんだ?俺もコイツも、目指すモノがあるんだ、降りるわけねーだろーが。」

 

その言葉に船長は頷く。

 

「分かった!ゾロ、サンジを頼むぞ!!」

「ルフィ!!」

「ナミ、ゾロを信じろ!!」

 

心配するナミに笑って言い聞かせたルフィは、立ち上がり大きな欠伸をした。

 

「じゃあ、俺は寝るぞ!明日は冒険だっ!!」

「馬鹿!サンジ君とゾロが船番から抜けるのよ、アンタも船番するのよ!!」

 

のんきな台詞に怒った影の支配者は、ルフィの耳を引っ張り大声で言い聞かせる。

その光景に皆が笑い、船長に続き皆立ち上がった。

 

「ゾロ、サンジを頼むぞ!」

 

チョッパーが泣きながら言う。

 

「ちゃんと真っ直ぐ目的地まで行けるのか?」

 

揶揄って笑うウソップが声を掛ける。

 

「結果を教えてね。」

 

表情を柔らかくしたロビンが部屋を後にする。

 

「ちゃんと出向までに戻りなさいよ、そうしないと借金増やすわよ!」

 

心配を言葉で隠し、ナミが言う。

 

「ゾロ、約束だ!」

 

船長の表情を見せたルフィが、ベッドに腰掛けたゾロに言葉を送り頷く。その言葉に無言で頷いたゾロを確認した船長は、ニカっと笑って部屋を後にした。

 

 

 

残されたゾロは、閉められた扉を暫し見詰め寝ているサンジへと顔を向けると、ゆっくり自分の唇をサンジの唇へと押し当てた。

 

「もう少しの辛抱だ、サンジ。そうしたら、楽になる。」

 

僅かに離した唇が、囁きながら言葉を綴った。

 

 

 

 

 

   Up 2008 01 03