ある澄み渡ったアトモスフィア |
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へぇ〜……、ここが『道場』ってやつか!」 「あぁ」 ゾロとサンジは、ゾロが幼少の頃から使っている道場に来ていた。 両親の存在は知らない。生きているのかそうでは無いのか…。自分のルーツは途絶えている。乳児の頃から施設で育ったゾロは、そこの館長であった男から剣の道を教わった。その道場に金髪の男を連れて来たのだ。 ウィークエンドの早朝、少しばかり寒さが肌に痛みを残す。鼻の頭を赤くしながらサンジはゾロに促されて靴を脱ぎその建物へと足を踏み入れる。 板張りの床に壁に見慣れない文字で書かれた縦長の紙。ゾロはそれを『掛け軸』とサンジに説明した。 グルリと興味深げに周りを見回したサンジから視線を外したゾロは、鍵の掛った棚へと足を向けた。暫しその前で作業したゾロが持ち出して来たのは『日本刀』三太刀。そのうちの一太刀をスラリと鞘から抜き静かに動きを止めた。 窓越しに入る朝日に照らされた白刃の太刀は、冷たい光りを放ちながら美しい存在感を見せ付ける。 サンジは、その圧倒感を背負う男を、複雑に絡み合った感情を飲んで静かに見詰めていた。 ハリケーンの町で… 第2部 【ある澄み渡ったアトモスフィア】 ゾロはハリケーンの日に出会った男にバイクを返しに行った時、指定された店の裏口から顔を出し中に居たコックへ声を掛けた。そのコックはゾロよりも身体が大きく、とてもコックに見える風貌では無い。どちらかと言えば『そのテ』の男と勘違いされても不思議では無いだろう。 「てめェ、この店に何の様だ!?」 柄どころか口も悪い。 見知らぬ男がいきなり裏口から入って来たのだ、警戒心も在るのだろう。だが、目の前の男は人間的にどう贔屓しても『良い人』には見えない。 しかし、着ている服は正しく『コック服』。内心余り関わりたくないと引気味に成りながらもゾロはその男に声を掛けたのだ。 「………あぁ…!?」 声を出してさて?とゾロは首を傾げた。 あの嵐の日、金髪の男は色々と話をしていた。それこそマシンガンの様に一人賑やかに話し続けていた。しかし、肝心の名前は聞いていなかったのだ。 ――― さて、なんって説明するか? 『エロコック』『グル眉毛』『ヒヨコ頭』『女好きの顎鬚野郎』……。 思い付く代名詞は色々あるが、男の勤めるこの場でその言葉は失礼か? 「バイクを ―――」 「サンジのバイクか!?悪かったな、話は聞いているぜ。」 「………」 すんなりと話しが流れた事にホッとしたゾロは、男が厨房へと声を掛ける姿を黙って見続ける。 「サンジーーー!」 「ウッセー!クソ野郎!!仕事中だっ」 ガチャガチャと奥から調理中だろう推測する音と、威厳の在る男の声で指示する厳しい声が聞えて来る。 そして聞き覚えがあるが相変わらず口汚い男の声がし、奥からひょっこりとヒヨコの頭がこちらを覗き込んだ。 「バイク来たぞ」 「!!」 いかにも不機嫌な顔をした金髪の男は、ゾロを見るとパッと表情に華を咲かせ早足で近付く。クリアブルーの瞳がフワリと細められ口角を僅かに上げる。 ゾロはその表情にドキリとし暫し見詰めていたが、瞬時表情を不敵な笑みに変えたサンジと呼ばれる男に現実へと引き戻された。 「迷わず来れたか?迷子マリモちゃん」 「ウルセー、ダーツ眉」 「あぁ!喧嘩なら買うぞ、オラ!!」 「――― !てめェ」 「チビナスッ!サボってんじゃねーっ」 「チビナス言うなっ!!クソジジー」 口を開こうとしたゾロより先に厨房から先程指示を与えていた男の声が響いて来る。その声の主に振り向きざま罵声を口にする所は彼らしいが、『チビナス』と言う言葉にゾロは色々と想像してみた。しかし、目の前の金髪男から『ナス』のイメージは浮かばない。それでも慣れない想像をしていればサンジはゾロの手首を掴み慌しくその手の平に小さな銀の鍵を落した。 「悪いがそこの階段を上がって三階の部屋で待っててくれ。後で昼飯届ける」 「これは?」 ゾロは訳が解からず眉を潜め、目の前で落ち着き無く奥の厨房を見るサンジに質問を投げる。 「俺の部屋が在る、そこで適当に寛いで待ってろ!」 そう言葉を残し、ゾロの返事を聞かないままサンジは職場である厨房へと駆け出して行ってしまった。 呆気に取られたゾロだったが、まだバイクの鍵も返してはいない。小さく溜め息を付き頭をワシワシと掻きながら、ゾロはサンジが言った階段を昇り部屋へと足を入れたのだ。 その日からゾロはサンジの部屋へちょくちょく足を運ぶようになった。仕事を終えたゾロが夕食をまともに摂らず酒だけで済ますと聞いたサンジが怒り半強制的に部屋へ呼んだのだ。 サンジに誘われるまま夕食を食べに来ているゾロだが、決して嫌々な訳では無い。サンジが用意する食事は美味い上に酒も旨い。ギスギスした職場から解放され、歳相応の会話も楽しめる。………少しばかり五月蝿いのが玉に傷だが。 それでも言葉の悪さとは裏腹に、温かく優しくくどく無く自分を包み込むサンジの空気をゾロはとても気に入っているのだ。 今まで付合った女達は違かった。飯を作ってくれる女もいたが、それこそ押し付けがましく、その行為に意味を持たせて見返りを要求する。ゾロ自身仕事が忙しく会う暇が無ければ『私と仕事どちらを取るの!』と泣き喚き終いには勝手に別れを告げる。別段こちらが頼んで付合った訳では無いから、離れて行ってもたいして気にも掛けずに来た。 サンジは男で無論恋人では無い。しかし、出会って時間も侭無いゾロの都合を責める訳でもなく、不規則に現れる客人を当たり前の様にもてなす。態度は悪いし口も悪いが、見返りを要求された事など無い。上っ面だけ見ていれば浮いた軟派な男に思えるのだが、その懐は何処までも深い。 おおらかで繊細。サンジの人柄を知れば知るほど、ゾロはサンジから離れる事など出来なくなった。 ゾロは会社でもその雰囲気を変えていた。 無論周りが気付く事が皆無な程僅かな変化だが、彼を理解し支えてくれる一部の上司達は柔らかく変化したゾロの空気を感知し、その変化を快く感じていた。 「ロロノア君。最近良い事でも在ったのかい?」 「パガヤ次長、何がですか?」 廊下ですれ違いざま声を掛けて来たのは総務部のパガヤ次長。見た目口調ともおっとりとした雰囲気の年長者は、掴み所の無いその人柄でライバル視が強い社員達を総括する男で在る。 普段はまるで昼行灯の様に用を成さないと正面から陰口を叩く者がいるのにもかかわらず、その表情は何時も穏やかだ。しかし、その内に秘めたる強さを持っている。ゾロは彼から社会人としての容を教わりそれを実行して来たのだ。 サーバーに用意されていた少し煮詰っている珈琲をコップに注ぎゾロに手渡したパガヤは、相変わらずの笑顔で先程の話題に再度触れる。 「なんだか君が歳相応の表情を見せるのが増えて来たからね。私は良い事だと思うよ」 「………」 サンジと会う様になり、ゾロは少しだが『余裕』が出来た。それは何故だか解からないが、心身共に調子が良いのと関係しているのだろう。 酸味の強い珈琲を飲みながら、ゾロはパガヤの言葉を待つ。 「色々あると思うけどね、今の君は昨日の君より大きく成長している気がするよ。ロロノア君」 「恋人でも出来たのかね、ん?」等と余計な一言がついてはいるが、ゾロがこの会社の『ガーディアン』だと知る数少ない理解者の一人である。パガヤなりにゾロを心配している事を理解するに十分だった。 『恋人』では無いが、ゾロにとっては今やザンジは、誰にも代わることの出来ないポジションへとその存在を示している。 パガヤに自分を心配してくれている事に対して照れながらもゾロは会釈をすると、その場を後にして唯一ガードシステムを操作できる特別室へと足を向けた。 その日も仕事を終えたゾロが、外階段から勝手知ったるサンジの部屋に上がり込みバイク雑誌を眺めている。内階段から廊下へと軽やかな足音が聞えて来るのはサンジの足音だ。軽くリズム良く歩くその音は、どこかダンスのステップを思わせる。胡座をかいて座っていたゾロは、起ち上がりサンジの部屋のドアを開けた。 トレーに乗せられた色取り取りの食事とビール、空きっ腹には幸せの光景だ。ゴクリと生唾を飲み込んだゾロにサンジはトレーを押し付けるように渡した。 「今日の夕飯だ、先食ってろ」 「……お前はどうする?」 「もう暫らく時間が掛る」 「待つ」 「腹減ってんだろう?良いから先に食え」 「てめェを待つって言ってんだ」 「……それなら…」 トレーを受け取ったゾロを暫し見詰めたサンジは、首を僅かに傾げ考え込むように瞼を伏せる。一拍の間を置いた後、眉を寄せサンジはトレーをゾロから取り上げると顎で奥の扉を指した。 「遅くなるから風呂入って行くか?着替え……は、サニタリールームに棚が在る。使っていねー下着あるから使え」 「それは悪ぃ」 「てめェが遠慮か?別にかまわねーよ。で、夕飯は俺の仕事が終わったら再度運んで来てやる」 「その食事は?」 「来るの待ってたら冷めるだろう!?温かいものは温かく、冷たいものは冷たく美味しく頂く。だからこれは下の野郎共にくれてやる」 サンジはトレーに乗っているビールとツマミとして一品のみをゾロに押し付け、再び階段を降りて行った。 相変わらず食事に関しては強引だと思いながら遠慮無く入浴を済ませ、サンジの運ぶ食事をソファーを占拠しビールを水代わりに飲みながら待った。 まるで居候…、または新婚のような現状にゾロは笑いが込み上げて来る。 『恋人でも出来たのかね、ん?』 昼間パガヤの言った言葉が脳裏を駆ける。確かにサンジが女性ならば間違い無く『恋人』のポジション的な行動だろう。 しかし、サンジは男で、口悪く足癖も悪い。喧嘩仲間かタメの友達、それがサンジとの正しい距離の筈だ。 だが……、その言葉がしっくり来ないのは何故だろう? ゾロは、白と落ち付いた蒼で統一されたセンス在るサンジの部屋を見渡しながら、胸に引っ掛かるモヤモヤを無視しながらビールを飲み干し部屋の主を待ち続けた。 そんな事もあり、ゾロとサンジは急速に距離が近付いた。 顔を合わせば罵詈雑言飛び交う日も多い。売り言葉に買い言葉で取っ組み合いの喧嘩に縺れ込む事も在った。しかし、サンジは訪ねてくるゾロを受け入れ、ゾロもそれを当たり前の様に求めて行く。 まるで昔からの友人の様に当たり前で、それでいて友人と言うカテゴリーには当て嵌まらない不思議な存在。言い表すことの出来ないその存在価値に、ゾロの心は自分自身気付かない深い場所で微妙に揺れていた。 普段の自分ならスッパリとその答えを導き出すか、まったく持って無視するだろう。しかし、無視する事は許されない気がして出来ない。その上、ここ数日会社のガードシステムにコックの噂を聞き付けた模倣犯らしきクラッカー達が、防御壁に破壊工作を仕掛けて来るのだ。 無論、相手にならない雑魚ばかりだ。クラッカーと称するクラッキング専門の破壊工作集団は、個々のパターンもあれば、集団で来る時もある。あくまでコンピューター技術に精通しているハッカーと違い、改ざんや破壊を主としているクラッカー達をゾロの開発したガードシステムは、一刀両断でそれを捉え破壊している。 作り上げたシステムに不安は無いが、緊張とストレスは増え考える事も増えてくる。ゾロはガードシステムと『コック』の事で頭の殆どを占拠されていて、ザンジとの距離に意識を向ける余裕は無いのも事実だ。 そんな日常を癒してくれるのもサンジなのだ。 ゾロには友達が何人も居る。勿論、気の許せる友人達は、身寄りの無い自分にとって友達以上に仲間意識が在る。時々偶然に出会うかメールの遣り取り程度の付合いになっているが、会わないからといってその関係にヒビが入る事は無い。 しかし、彼らは『仲間』では在るのだが自分を癒す存在では無い。むしろ年下と言う事もあり『護るべき仲間』意識が何処かにある。強気な姿勢を見せる事は当たり前だが、弱音を吐ける場所では無い。 サンジに対して弱音を吐くかと言えばそうでは無いが、サンジの持つ独特の雰囲気が言わずと全て聞き入っているようで、心の中で消化出来るのだ。 だからゾロは、余計サンジの事を気にかける。だが、忙しさを理由に本心と向き合う事は避けている。 今日もサンジの部屋で本心と向かい合う事はせずに毛足の長いラグに胡座をかきながら座る。ゾロの前に小さなテーブルをセッティングした部屋の主は、見た目にも美味そうな料理を次々と並べてくれた。 始めて来た時はゾロには名前など理解できない洒落た料理を出されたが、今では決して話した事が無い自分の好みの食事をサンジは当たり前の様に並べ向かい合い食事をしている。 そのささやかながら細かなサンジの心使いがゾロを癒してくれるのだ。 「――― で、今日の客はスゲークソガキだったんだぜ」 「どんな奴だ?」 ゾロは、ネギ味噌を塗りオーブンで香ばしく焼き上げたパリパリの薄い油揚げを口に入れながら話しを促す。辛口の酒には良く合う一品だ。サンジは、視線を少し上へと移しその光景を思い出しながら呆れた声で、 「それが、クソガキはいきなり予約無しにご来店よ!『腹減った〜、肉くれーっ!!』て」 「………そいつ、顔に傷なかったか?」 「良く知ってるな!?知り合いか?」 「あぁ、知り合いだ」 「たまたま予約キャンセルの席があってそこへ案内したらしいんだが……」 その続きを話そうとしたサンジは、一人思い出し笑いをする。ゾロは、そんなサンジの無防備な笑顔につられて笑みを零す。 「同席したのはオレンジの髪をしたそれは美しいレディーと、何故か上半身裸にベストを羽織った野郎とそのガキ。時期外れの麦藁帽子被ってやがって…」 「ルフィーって名前だ。アイツは何時もその麦藁帽子を被っている。……大切な人から貰ったらしい。上半身裸って奴は、ルフィーの兄貴だ、名前をエース。女はナミだ」 「ふぅ〜ん、ナミさんね。……で、まぁ良く食う良く食う!まるでゴミ箱に投げ入れているぐらいの勢いだ。そんで、裸野郎は食事中いきなり寝やがった!」 「……何時もだ」 「何時もかー!」 食べて呑んで、雑談して笑う。 「――― 本当にバイクの修理費いらねーのか?」 「あぁ、俺も払っていねー。直してくれた奴は、板金屋じゃねーからな。アイツ……ウソップって言うんだが、発明家に成るのが夢で、クソ役に立ねーもんばっかり創ってやがる」 「例えばどんなモン創ってるんだ?」 「『自動歯磨き粉出し』は、電源入れて10分しねーと使えねー。『勝手に整髪機』は、毛がかなりの勢いで抜ける。だから人の役に立ったんだ、気にするな」 「そうか!だからてめェは禿げてるのかっ!!」 「俺は禿げてねーって言ってんだろう!!」 「怪獣デコマリモーーー!!」 喧嘩して、警戒無く笑う。 「――― まぁ、その客見事なオカマなんだが、どう見ても苦しい訳だ」 「苦しい?」 「クソ野郎にしか見えないんだな〜。化粧はしてるがレディーには到底見えない!心はレディーなんだろうけどよ……」 「まあ……、全てのニューハーフが美人じゃねーだろう」 「そんで、ウエイターがトイレに案内した時一悶着あった訳よ!『アチキの何処が男なのよっ!!』て」 「……不憫だな」 「どっちが?」 「………店が」 「なんで店だよ?」 「じゃぁ………トイレが」 「!!!」 何気ない会話、温かな食事。落ち付いた空間。 「――― DVDで観たぜ、てめェの言ってた剣術。平べったくて大きく反った刀振り回して「アチョー!」とか言うやつだろう?」 「アホ、それは違う青竜刀って名前の刀だ。お前の観たのは俺が使う刀と種類が違うし、剣術も全く違う」 「刀ブンブン無駄に振り回して「ホー!」とか「アチョー!」とか言わねーのか?」 「言うかボケッ。俺の使う剣は日本刀ってんだ」 「やっぱ無駄に動くのか?」 「DVDで観たって言うのは体術が先で、そこに剣術が付いたモンだ。だから動き事態違うんだ」 「ふ〜ん……、動かねーのか」 「そりゃぁ、間合いとかとる為に動くが基本は静だ」 「両手に持ってグルグル回ったりしねーんだ……ツマンネー……」 「まぁ、人によっては両手に持つな……。俺は3刀流だが」 「3本って……両手に1本ずつ持ったとして………残りはどこだ?」 暫し金髪の男が考える。 「両手に1本ずつで、最後の1本は ―――」 サンジは、ポンと手を打ち人差し指でゾロを指し確信めいた言葉で言いきった。 「解かった!背後からの敵を討つ為にケツの穴だ!!」 「アホーー!入る訳ねーだろうヒヨコ頭!!てめェの脳味噌に皺ねーんだろう!?だから『ナス』か!?」 ムカツク事もある。だが、言葉を封じず心の底から話す幸せ……話せる幸せ。 ゾロは身体に沁み込んで来る心地良さを、今更手放す事など出来ない。普段意識せずとも全ての生き物が『空気』が無くては生きられない様に………。 それが日常と化した時事が動いた。 薄暗いコンピュータールーム。画面を食い入る様に見詰めていたゾロは、固まった身体を椅子の背凭れに預け大きく伸びをした。 先程から何回となく不正アクセスが確認できる。今日も雑魚ばかりでその動向を確認するのも億劫になるが、それでも画面を埋め尽くし流れる英数字の羅列を長時間見入っていたのだから、身体も固まり目もジンジンと痛む。 首を軽く回し肩を数度トントンと叩けば、まるで年取ったオヤジの様だとゾロは自虐の笑いを浮かべた。 「こんな時は美味い珈琲が飲みてーよな……」 独り居るこの部屋で、ゾロは誰に言うでもなく無意識に声に出した。 思い浮かべたのは金髪の男が煎れてくれる珈琲の味。苦味と酸味がバランス良くブレンドされた珈琲だ。サンジ自身がブレンドしたと聞いているそれは、飲めばホッと息を吐くような癒しの味。何処か下手な喫茶店の珈琲など足下にも及ばないそれを、砂糖やミルク等で濁すのは失礼に感じストレートで飲んでいるが、それを思い出せば無性に飲みたく成る。 「クソー……、スゲー飲みたく成って来た」 頭をガリガリと掻き項垂れて大きく息を吐き出す。密閉されたゾロと一部の上役幹部のみが出入りできるこの空間で、息が詰る思いのゾロは再度大きく溜め息を吐き出した。 気合いを入れ直し再度画面へと目を向ける。相変わらず雑魚がウォールに手を出しているが、何ら進展が無くソードの出る機会も無い。 ゾロのガードシステムは、中央メインシステムを守る為主に防御のウォール3壁と攻撃の3太刀がある。世間ではこのガードシステムを『スリー・ソード』と呼んでいるらしい。しかし実際その3太刀を使った事は稀で、ゾロ自身もこの太刀を使ってハッカーやクラッカーを返り討ちにした記憶は遠い所だ。 ウォールと太刀と言葉にしているが、実際は英数字の羅列である。もっと厳密に言えば、フラグOn・Offの世界である。イメージとしてゾロはそう言うプログラムを作り出した。 世間で言う『スリー・ソード』もあながち間違いでは無いが、有名に成れば成る程それに挑む者も増えてくる。ゾロとて普段は違う業務を任されている。ガードシステムのみを担当している訳では無い。この頃はそちらが滞ってきてしまい、その事もイライラする原因の一つだ。 自分の作ったウォールの上を新しい不正アクセスの数列が動いている。しかし、それは何処か不思議な動きをしている為、ゾロはそれに視線を向けた。 まるでそれを品定めする様に上っ面だけを撫でる感覚。吟味されているような……間合いを見ているような。……そんな動きだ。 トントントンとリズム良く触れて離れる。そしてまた滑る様に動きウォールとの間合いを取る。その繰り返し。 無論、ウォールに触ったからと言って即ガードシステムの3太刀が攻撃に出るのでは無い。現に先程からアタックを仕掛けて来ている雑魚共は、ウォールに何の傷も着けられ無い為攻撃システムには全く無視されている。 そして、この奇妙な動きのアクセスプログラムにも反応はしていない。しかし、ゾロは画面を食い入る様に見詰めながら嫌な汗がこめかみから頬へと流れ落ちるのを感じていた。 何と無く解かるのだ、コイツはヤバイ!と。 剣術を習うゾロはその力量を測る事に長けているのだろうか、こんな時も相手の存在を正確に捉えている。 今までじゃれている雑魚とは全く違う力……感覚。だからと言って今こちらのプログラムから内部に入れば隙を突かれて命取りになり兼ねない。通常ハッカーもクラッカーもそうだが、相手領域にアタックする時にはアシストを付けて不測の事態に備えるのだ。だが、今現在ゾロにはパートナーと成る実力を持つ仲間は居ない。だからゾロは、自分の作り上げたプログラムを信じ、その動向をただ見守るしか術が無いのだ。 ウォールを吟味するかの様に撫でられて間合いを取る。トントンとリズムを取り相手の出方を待つ。不気味な動きを繰り返すプログラム。相手の意図が全く掴めないゾロは、ただそれを眺めていた。手にジックリと汗が滲みグッと拳を作る。 刹那、そのプログラムがアタックを掛けて来た! 間合いを取ったと思った瞬時、一瞬の内に近付きウォールを一撃で破壊したのだ。通常、ウォールを破壊するには、小さな穴を見付けそこから崩すのが常だが相手はそんな常識など無視し、力技でウォールを崩したのだ。 ゾロは目を見張った! 今までこんな事は無かった。一瞬の内に破壊された第1ウォール……。間髪いれず第2ウォールへと進む破壊プログラム。 ゾロの『スリー・ソード』は、直様それを確認し攻撃に出る。しかし、手が出せずうろついていた雑魚プログラムが乗じて侵入して来た為そちらの対応も余儀なくさせられている。 一刀両断に薙ぎ払う『スリー・ソード』……雑魚など物の数では無いが、あの攻撃力が強いプログラムの早さに追い着く事が出来ない。ゾロのプログラムも早さには定評がある。だが、相手の方がスピードでは上手だ! 相手はどれだけ軽いプログラムなのだろうか?とゾロは焦る。 単純なプログラムな程その処理スピードは早い。しかし、細かで変則的な破壊作業などをプログラミングすれば必然的に重くなるのが当たり前の世界。ならば、その部分は、相手がコンピューターを見ながら直接操作しているとしか言い様が無い。 『天才』 その文字がゾロの頭を駆け抜ける。 「ガチンコで当たって破壊力はどっちが上か……」 画面を見詰め息を殺す。 きりの無い雑魚を払っていれば、相手も第1層と第2層の狭い空間で雑魚が多すぎ間合い(領域)を掴めないのか、自分の周辺に居たプログラムを瞬時に叩き潰し活動の領域を広げている。 その間『スリー・ソード』が相手との間合いを詰める。 一太刀目が振るわれた! 「避けやがったっ!!」 ゾロは椅子から立ちあがり画面を食い入る様に見る。これこそ始めての経験だ……。 二太刀目が追って振るわれた。前の攻撃を避けて次に来る場所を推測していた為、二太刀目は相手の正面へと向かっている。 「斬れる!」 確信したゾロは口角を僅かに上げたが、次にはその顔を青くさせた。 真正面から受けて立ったのだ! ぶつかり合うプログラム。だがそのパワーは『スリー・ソード』が上手だった。しかし相手はゾロの力を受け止めて更にその力を利用して第一層まで退いた。そして……仕掛ける事無く逃走し始めた。 無論、ゾロのプログラムも追跡を始める。しかし、スピードは相手が上手。遠距離相手の破壊技を繰り出したが、相手の置いて行ったダミープログラムに引っ掛かりまんまと逃げられてしまったのだ。 「………逃げられたか」 ゾロは呆然と画面を見入っていた。 その日から、ある一定の時間にそのプログラムは現れた。時間にすると15時から16時の間に現れる。 スピード破壊力を増しながら現れるそれに、ゾロも対応してプログラムを強化する。 相手を傷付ける事もあるが、自分も傷着くことが多い。力的には性質は違うものの五分と五分と言った所か。 スピードは相手、パワーはゾロ。 切り倒す自分のプログラムに対し、相手は叩き潰すイメージ…時折切られる感覚もある。 相手の名前は解からないが、多分このプログラムが『コック』と呼ばれるクラッカーのプログラムなのだろうとゾロは思う。 『まるで食材を ―――』 誰かが言っていたその言葉を思い出せば「あぁ……」と納得する感がある。ウォールを吟味する様に歩くあの感覚……自分がトマトか魚にでも成ったら捌かれて潰されて……。 毎日毎日戦い、そして改良し……また戦う。決着の着かない攻防に、ゾロは疲れを感じていた。 忙しさの為に1週間程あの部屋には行っていない。帰宅も深夜を過ぎてヘトヘトに成ってベットにダイブし、食事も侭成らない毎日。昼食時間すら惜しみ惣菜パンを珈琲で流し込みコンピューターと向き合う。 見えない相手に毎日戦いを挑まれて、ゾロの身体も精神も一杯一杯の所へと追い詰められていた。 今日も日付が変わり重たい足を引き摺り自宅アパートメント前へ着く。薄暗い階段に一歩足を置いた時、暗闇に小さな灯りを見付けた。 「お?生きていたなミドリマン!」 「お前……なんでここに?」 黒い細身のスーツを着た金髪の男が、最上段に腰掛けてニヤ付きながらゾロを見下ろしている。男の横には小さな紙袋が置かれていた。 「この頃来ないから様子見。光合成だけで生きて行けそうだけど……な。誰かに飯炊きさせてんのかと思ったんだが、てめェの凶悪面でレディーが来るとは思えないし」 言いながらその場に立ち、紙袋を持ってゾロの所まで降りて来る。コックの持つ紙袋からは空きっ腹に歓迎された良い匂いが漂ってくる。唖然とその様子を見ていたゾロは、それでも声を出した。 「なんで俺ん家を?」 サンジはポケットからカードを取り出しゾロの目の前でヒラヒラ振って見せる。 「脳味噌も筋肉してるから、俺の部屋に大事なモン忘れて行ったんだ」 奪う様に取りそれを見ればゾロの免許書。普段電車以外に乗り物に乗らない為忘れていた。 「てめェ飯食ってんのか!?頬こけたんじゃねーか?飯はちゃんと食えって言っただろう!!」 「毎日こんな時間に帰宅してれば飯なんて食う暇なんかねえ」 子供じみた表情でムッとするゾロを、サンジは睨む様に見詰める。 「風呂は?」 「それぐらい入る」 「洗濯は?」 「暇がねー」 「朝飯は?」 「時間が在れば少しでも寝る」 「てめェはアホだ」 「お前に言われたくねえ!」 「俺ん所に来い」 「???」 話しの流れに着いて行けず、ゾロはサンジを見詰める。 吸い終わった煙草を床で踏み潰し、サンジは挑む様にゾロを真正面から見据えた。 「仕事忙しいんだろう?落ち付くまで俺の部屋に来い。美味い飯ぐらいなら食わせてやる」 「………」 「部屋は明日俺が掃除しといてやる。直に着替え持って来い」 「だが……」 「マトモに飯食ってねーよーな奴が口答えするな!」 「………」 口煩いコックの表情が、僅かだが歪んでいる。それは怒りが表面に押し出されている事で見落としがちになるが、明らかに苦しそうな感情が含まれている。 尊大な態度ならばこちらも出様があるのだが、何時もと明らかに違う感情の出し方にゾロは頷いた。 「暫らく世話になる」 「てめェの顔色良くなったら叩き出す!」 背を向けて歩き出し近くの柵に腰掛けた金髪のコックは、煙草を取り出し火を着けている。ゾロは階段を昇り数日泊まる事を前提とした荷物を持ち自室を後にした。 翌日、ゾロは弁当持参で出勤した。 朝早くから起きて朝食と昼食の弁当を用意してくれたコックは、ゾロから自宅の鍵を預かると少々高飛車な物言いでゾロを会社へと送り出した。 しかし、言葉とは違って社員食堂で開いた保温弁当はバランス良く詰められて美味しい。性根が優しい彼だからこそ出せる味を、ゾロは久し振りにゆっくりと昼食を取りながら腹に収める。そして、何時も以上に気合いを入れてコンピューターと向き合えば、時間があっという間に過ぎ時計の針は16時を指していた。 「……今日は…来ねーのか?」 毎日15時から16時の間に来ていた『コック』と思われるクラッカーが、今日は来なかった。ただ単に時間がずれたのかと油断せずに待てば、18時を過ぎても現れる気配すらない。 腑に落ちないがゾロは本来任されている仕事をこなして本日の業務を終わらせて居候を決めたサンジの部屋へと帰宅する。時計の針は21時を指していた。 「お?早い帰還だな、クソミドリ」 部屋の扉を開ければ、上半身裸のサンジがタオルで髪を拭きながら視線を向けてくる。まさか男が居ると思っていなかったゾロは、不意を着かれその姿を固まったまま見詰めてしまった。 濡れて濃い色をした金の髪 上気した桜色の頬 アクアマリンの瞳 小さな頭を支える細い首…… 浮き出た鎖骨 白い素肌は木目細かいのだろうか? 均等に無駄なく着いた筋肉が雄の色香を煽る 色素の薄い胸の飾りは有り得ない程エロい…… 薄い胸板 細い腰 小さな尻は細身のパンツでその線を強調する ゾクリと背中に電流が走る。 あってはならない感情……感覚に、ゾロはその視線を強引に外しサンジが聴き取れる程の小さな声で「……帰った」と、間抜けな返答をするだけで精一杯になった。 そんなゾロをどう判断したのか、サンジは白いシャツを掴みゾロの横を通り過ぎ 「今から飯用意すっから、風呂入って来いよ」 朗らかに言い残し部屋を出て行ってしまった。 頭を掻き自分の下半身に目を遣れば愚息は確実に反応している。 …確かに忙しい毎日で暫らく抜いてはいなかった。だからと言って男の身体を見て反応している自分の下半身は何を考えなのだろう?溜まっているのは解かるが、相手は金髪グル眉顎鬚男。口が悪くそれより先に脚が出る凶暴コック。 そしてゾロの心をさり気無く汲み取り……見返りを求めず無償の付合いをしてくれる大事な『友人』。 「………友人」 呟いた言葉の響きが空しい。そもそも友人に劣情を抱くのだろうか? 嫌、劣情では無い!軽い気持ちや簡単な捌け口としてサンジを見てはいない。 掛け替えの無い唯一は、友達としては見れない存在なのだとゾロは雷に打たれる様に気が付いた。 気が付いたが………、どうする事も出来ない。 男同士…ましてや女性好きのサンジにこの想いを押し付けることなど到底出来っこ無い!想いを簡単に口から出し、気まずい雰囲気の侭会う事を避けられれば……。 ゾロの背中に再度駆け抜けたモノは、甘い電流のような性交を望むモノでは無い。 これは……恐怖。 サンジを失うと考えただけで額から嫌な汗が噴出してくる。 今更失う事など出来ない『サンジ』と言う名のカテゴリー。しかし……複雑に交錯するこの想いはどうすれば良いのか?身体の中を熱い想いが駆け巡る。 無くせない想い…諦められない恋慕に身が切り裂かれそうだ。 目を背け思考の隅に追い遣っていた形成しないそれを突然思い知った自分の心は、あまりにも非道な本心だった。 「友人……友人のままで傍に居れれば……」 声に出し頭の中では割り切ろうと勤めてみても、心が、身体がそれを認めてはくれない。 どうにも成らない想いは、報われる事も昇華する事も無くただ自分の中で燻り続けるのだろうとゾロは天井を見ながら大きく溜め息を付いた。 風呂上りのゾロを待っていたのは、見た目匂いとも食欲をそそる夕食の数々とキリッと冷えたジョッキのビールだった。 先程の想いを内深く隠しゾロは大袈裟な程嬉々としてテーブルに着く。両手を合わせ飛び付く様に夕食へと手を伸ばせば、呆れながらも優しく微笑むザンジの視線とぶつかった。 「そんなに餓えていたのか?」 「……うめー」 ゾロの言葉に驚き目を大きく開けるコックは、次の瞬間満面の笑みを見せる。 「当たり前だ!俺の作った飯がクソ美味いに決まってるだろう!」 などと尊大な言葉は吐いているが、その表情は何処までも嬉しそうで幼い。 ゾロは、目の前の男の顔を呆けた様に見惚れてしまった。 「……何だよ!?何か俺の顔に付いてるか?」 「いや……間抜け面だよな」 「あぁ!!てめェには飯は食わせねー!!」 「ワリイ……、ウメーなこれ。なんて言う料理だ?」 「あっ……え?……これか?『イカの鱈子和え』だろ。これが『茄子のふくさ味噌』に『たけ芋煮』。こっちが『鶏もも立田揚げ』定番だな。で、これは
―――」 話を逸らしサンジの言葉に頷きつつゾロは酒をハイペースで飲みながら食事に手を付ける。そうでなければ過剰に意識してしまい、まともにサンジと話す事など出来ないのだ。 「そうそう、忘れていた」 話しが中断し、サンジは立ち上がるとサイドボード上に置かれた小さな鍵をゾロへと渡した。 「今日、掃除して来たぞ!何時から掃除して無かったんだ?きったねーぞ!!だからてめェの頭はカビ頭なのか!ミドリなのか?」 「ワリー……てーか、誰がカビ頭だと!?」 強気な言葉を吐くわりには、目線を合わす事無く鍵を受け取る。 「茸栽培して無いだけ誉めてやる。それで……」 サンジは笑いを堪えて出来るだけ皮肉めいた表情を作ろうと努力している。が、実際は、無駄な努力と成っている。 「お前のベットの下に隠してあったエロ本、マガジンラックに飾っておいたぜ!てめェ独り暮しなんだから隠す必要ねーだろう?筋肉エロマリモちゃん」 堪えきれなかったのだろう、サンジは爆笑し目に涙を浮かべている。腹を抱えてゾロを見るその顔は、して遣ったりの表情だ。 ゾロは思わずガウッとサンジに威圧した。 「あぁ!!俺はエロ本なんて持ってねーぞ!」 「しかし在ったんだからてめェのだろう?エロ剣士。そうそう!パジャマと一緒に籠へ放ってあった腹巻洗濯して乾いたぜ、ミドリ腹巻ちゃん!」 「!!!」 まさか見られるとは思ってもいなかった。 エロ本は本当に覚えが無い物だ。大方遊びに来た悪戯好きのウソップかエース…誰かがそっとベット下に忍ばせたのだろう。だが、腹巻は言い訳など出来ない程に自分が愛用している物だ。 考えてみれば、サンジが部屋を片付けると言った時点で腹巻は隠すべきだったと今更ゾロは後悔する。 施設時代は、皆半強制的に腹巻を着用させられていた。だから習慣として夜腹巻が無いと落ち付かないゾロは、大人に成ってもそれを身に着けている。 友達には黙っていた……。無論、サンジにも言うつもりは無かったのだが、見付かってしまうとは思いもしなかった。 悔しさ紛れにサンジを睨めば、笑いの収まりが付かないサンジがヒーヒーと涙を流しながら笑っている。 しかし……、その瞳は、何処か何時もと違う色を湛えていて苦しそうだった。 翌日の15時23分、例のプログラムが現れた。 昨日来なかった事でゾロは、相手が大幅にプログラムを修正したのだろうと予測していた。こちらも気合を入れてバージョンをアップしたガードシステムで迎え撃つ。 何時も通りに第1層を破壊したプログラムに、ガチンコ勝負でゾロのプログラムが迎え撃つ。ここまでは何時も通りだ……。 しかし、その後が違っていた。 明らかに動きが違うのだ!戸惑うような、躊躇するような動き。ゾロの作ったプログラムから逃げ次層には手を出さず、グルリとウォールを回ると逃走し始めたのだ。 プログラムに戸惑いや躊躇などは本来ある訳が無い。しかし、相手方のプログラムは、その殆どがオペレーターによる直接命令で動かす破壊プログラムだからだろう、その動きが妙に人間臭い。 あっという間に逃げた不正プログラムを、ゾロは唖然と画面を見詰め瞬きすら忘れてしまった。 肩透かしも良い所だ。 真っ向から勝負を挑んで来たプログラム。 それが……何故? 混乱の中でゾロは思考が追い付かずその日の業務を終えた。 翌日も、その翌日も、15時過ぎに現れるプログラム。だが、その行動は不可思議極り無い物だった。 ゾロの作ったプログラムと正面からぶつかる事も多々在る。しかし、その時間は僅かで、その中で敢えて弱点を指摘するかの様な攻撃を仕掛けて逃走する。 ウォールの不備を教えるが如く第1層の穴から侵入して第2層へと移動する事も在る。 『ここに弱点が在る。これを直せ』 と言わんばかりだ。 取り合えず指摘された弱点は、修正プログラムで補強し更なる強さのガードシステムを作り出している。 余りにも腑に落ちない相手プログラムの行動に首を傾げる毎日だ。 首を傾げると言えば、金髪コックもそうだった。 相変わらず大口を開けて馬鹿笑いをするサンジは、滑稽な程ふてぶてしくて口が悪い。しかし、何処か……何かが彼を苦しめている。……そんな感じがして成らない。 元から少し陰の在る男だった。 その金髪に似合わない陰の在る表情を時たま見せていたが、それとは違う何かをこのコックはここ数日内に秘めている。 何処か儚く罪悪感と戦う憂いのある表情を無意識に見せるコック。 煙草を咥えて遠くの世界に漂うコックは、僅かな期間だがゾロが注意深く接してきた男と明らかに違いが有った。 自分が居候する事で疲れさせてしまったのだろうか?とも懸念したがどうやらそうでは無いらしい。かと言って配慮してプライドの高い男に声を掛けても、罵声であやふやにされるのがオチだろう。 今日も空虚な瞳をさ迷わすサンジをゾロはただ見詰めていた。 「なぁ……」 観ているのか解からないTV画面から視線をゾロへと向けたコックは、特徴のある金の眉根を寄せて唐突に話し掛けてくる。 「……?」 視線でその先を促せば、言葉を出すのを躊躇したのだろう何度も口を開閉し奥歯を噛み締める。暫し沈黙が続いた後、それでも不器用なまでに作り笑いを浮かべて差し障りの無い会話を始めた。 「明日は……休みか?」 金曜日のディーナータイムを終えたバラティエは、火が落されて静寂を保っている。サンジも何時も以上に賑わった店を片付けて、遅い夕食に在り付いていた。 「あぁ、会社全体が休みになる」 「休日出勤しないのか?」 「まぁ……明日、明後日は休む」 休日の外部侵入を阻止する為、コンピューターは全て落されることに成っている。新薬製造に携わるコンピューターは、実験中の数値を得る為に起動しているが、外部との接続を切っている為それは数に入らない。 物理的セキュリティーに関しては、会社ホストコンピューターと切り離されている為ゾロが危惧することが起こらない。となれば、自分は休みを取り来週に備えて英気を養うべきだ。 「俺は店があるから部屋にいないが……てめェはどうする?」 「どうするって………何がだ?」 「週末は家に戻るか?それとも寝腐れているか?ここに居るなら昼飯を用意する」 ゾロはサンジの目を見詰め暫し考えるフリをした。 帰った所で何をする訳でもない、どうせ寝ているだけだ。飯も近くのストアーで出来合いを調達し口に入れるだけだろう。 何よりサンジの傍を離れるのは寂しい。 頭を掻いて俯いたその顔は、サンジの部屋に居られる事を思い喜色満面だ。息を吸いその表情を隠しながら顔を上げたゾロは、きっぱりと「寝ている」と言いきった。 何度か瞬きをした金髪の男は、ゾロの言葉を受け取ると何時もの口の悪さを見せずこっくりと頷いた。 「じゃぁ……、12時頃昼食届けるから勝手に食ってろ」 「てめェは食ねーのか?」 目を細めいかにも目の前の男を馬鹿にした視線を投げたコックは、呆れながらも 「バーカ、コックが12時から昼食とってどーする!?誰が飯作る?仮にも俺はバラティエの副料理長だぞ!ペーペーの人間ならまだしも、俺がきりきり舞いな状態の店放って休んでどうする!アホマリモ!!」 「……てめェ!!…じゃあお前は何時に昼食食うんだ?」 「何時も3時頃から4時ごろまで休憩する。だからてめェは先に食え」 話しながら机に置かれたタバコに手を付けて火を点す。フーと肩の力を抜きながら吐き出す紫煙の行方を金髪のコックは眺めていた。 『何時も3時頃から4時ごろまで休憩する』 その言葉がゾロの何かに引っ掛かった。 昼食のラッシュ時間をこなし、自分達が順番に食事に着くと成ればそんな時間なのだろうと頭では理解できる。が、何かがゾロの第6感を刺激する。 『3時頃から4時ごろまで休憩する』 この言葉の何処に引っ掛かりが在るのだろうかと首を傾げ頭を掻く。ささやかな警告を発するそれは、早く気付けとばかりにゾロを不安にさせる。 また自分の世界で何かを考えているサンジを見詰め、ゾロはその6感が指す何かを注意深く考え始めた。 翌日11時過ぎまで寝て居たゾロは、布団から這い出してリビングへと向かった。寝過ぎの為か頭がズキズキ言っているが、気にするほどでもないので軽く無視をする。ゾロの指定場所となっている足の長いラグにドカリと座り卓上を見れば、布巾が被せてあるサンドイッチとポットに入った珈琲が用意されていた。 無論、この部屋の主人は居ない。 立ち上がり窓から店先を見れば、休日のランチタイム前だからだろうか?11時30分開店前だと言うのに既に順番を取る為の長い列が出来ている。 厨房は戦争状態なのだろう。真剣な眼差しの金髪コックの姿を思い浮かべ腹を温かくする。折角用意してくれた朝食を摂る為、再度卓上前に足を運び手を合わせそれを口に入れた。 咀嚼しながら改めてサンジの部屋を眺める。 綺麗に整頓された白と蒼の空間。本棚には料理関係の本と、数冊のコンピューター関連の本が綺麗に並べられている。簡素な机には、ノート型パソコンとプリンター。 コルクボードに張られた数少ない写真は、どれもサンジの幼い頃の写真だ。小さなコック服を着て大人達と並ぶその姿が、負けず嫌いの少年が全面的に押し出されて笑いが込み上げて来る。 その隣の写真は、運動会の写真だろうか?1位の旗を持った少年が生意気な眼差しで写真に移っている。 最近ゾロはサンジと駅迄走った事がある。遅刻寸前の電車へ向かう最中、忘れ物に気付いたサンジが追い掛けて来てくれたのだ。男の足は速かった。決してゾロは足が遅い訳ではない。走る事で負けた事など1度も無い自分が、呆気なく追い付かれた事を思い出す。 『コンピューター』 『コック服』 『足が速い』 この言葉にゾロの6感が反応する。 細い眉根を潜め眼光に力が入る。 胡座をかいた片足を起ててその膝に顎を乗せる。額に手を当てながらゾロはゆっくりと思考の中へ入って行った。 『3時頃から4時ごろまで休憩する』 『コンピューター』 『コック服』 『足が速い』 関連の無い言葉。 しかし、ゾロにはこのキーワードが繋がっていると思える。 しかしキーワードは足りていない。何か大事な事を見落としているとゾロは自分が今直面しているあらゆる事を思い出した。 『クラッカー・コック』 『俊足のプログラム』 『15時から16時までに姿を現す』 『1日だけ姿を現さなかったプログラム』 『突然変わった破壊行動』 『頼りないサンジの瞳』 『ここ数日のサンジの態度』 『遅い休憩時間』 『部屋の掃除と洗濯』 その時期は?その時間は?その動きは? ゾロの中で形が作られて行く。 まるで学生時代に習った証明問題の様に……。子供の頃遊んだジグソーパズルの様に……。整然と積み重ね完成させる積み木の様にゾロの中で答えが導き出されて行く。 しかしそれは、途轍も無い答えでそれに囚われる事は危険極り無い。 仮にその答えが正しいとしても、物証に成るモノは何も無い。あくまで卓上での理論に過ぎない。 だが……、ゾロを打ちのめすだけの確答と判断できた。 その日の遅い昼食は、慌しい食事となった。 見習いコックに呼び出されたゾロは、店の休憩所らしき場所に案内されて食事を取った。賄い食というらしい。 サンジは、部屋に飛び込むとダイエット中の女性でも少ないだろう量の食事を口に入れ、慌しく部屋を飛び出して行った。店でイレギュラーな事が起こりそれに対応する為オーナもサンジも朝からこの調子だとコック仲間が教えてくれた。 部屋を出て行く時投げて寄越したサンジの視線が、何処か寂しそうに見えたのは気のせいか? 部屋に居た何人かの男達と会話をし、「世話に成った」と挨拶をして再びサンジの部屋へとゾロは戻って行った。 『副料理長は何時も、俺達にちゃんと休息時間を取らせる為に独り奔走しているんですよ』と、新入りコックがゾロに話した。 土曜のバラティエは忙しかったのだろう、夕食と言うより夜食に近い時間食事と酒を持った部屋の主は、疲労した顔を薄ら笑いで誤魔化しながらゾロと向かい食事を取る。 余り強くない酒をチビチビ飲む姿は、精一杯の虚勢で見てるだけで切なくなる。それでも場を和ませようとアヒルの様に立て続けで話すコックのプライドを、ゾロは黙って聞いていた。 「てめェの言ってた『日本刀』ってやつ、一度俺に見せる気ねーか?」 「……いきなりなんだ?」 「だから〜、今日、その『日本』って国の包丁をジジーに見せてもらったんだが、スゲーんだ!これが刃物か!!てぐらいに感動してさ……。だから
―――」 煙草に火を着けながら話すコックは、酒の勢いもあるのか何時もより興奮気味だ。 軽く『日本刀』の話しをするサンジだが、ゾロから見れば何処か挑む様に見えて成らない。それはサンジのもう1つの顔を警戒してか、それとも気のせいか?どちらにしても決死の覚悟でその話に触れた様に思える。 だからゾロは、色々悩むよりいちかばちかの賭けに出た。 「構わねーよ。で、何時が良いんだ?」 「――― !!良い…のか?」 「別にどって事じゃねーだろう?」 グラスに口を着けながらゾロはサンジの瞳を覗く。やはり何処か様子がおかしい。ゾロの了承を聞き瞼を伏せ笑った表情は、嬉しさの他に悲しみも見て取れる。 お互いの休みがズレテいるので、ゾロが休みの明日早朝に道場へ行くと約束した。 始めて見る道場で、落ち付き無くキョロキョロしている金髪の男を待たせ、ゾロは金庫から日本刀を3太刀だしそのうち1太刀を鞘から抜いて見せた。白刃の全てを見せる様にサンジに対して水平に構えて見せる。 息を飲むサンジを横目で見れば、驚きと嬉しさ。悲しみと決意……何かに踏ん切りを付けたその自棄的な表情が、ゾロに不安を与えた。 泣き笑いじみた表情のサンジ……。 掛ける言葉も無くゾロはその体制で見詰める。 暫らくの静寂……緊張。朝靄が室内に入り始め、そこに光に筋が当たる。幻想的な室内の空気を壊したのはコックだった。 ゾロにクルリと背を向け、頭を僅かに傾ける。普段は言葉数の多い男の仕草には見えず、ゾロは息を詰めた。 「俺の独り言だと思って黙って聞いてくれ」 罵声も揶揄も無いサンジから出た言葉の響き。相手がどう考えたのかを無視する様にそのまま言葉を連ねる。 「ある男がいた。瀕死のガキだったそいつは、血の繋がりが無い人の良い有名なコックに引き取られた。……そのガキのオヤジが其処で働いていたって理由だけでだ……」 どうやらサンジは自分の過去を語り出したらしい。しかし唐突に話し始めたサンジの思惑に、ゾロは困惑しながらも無言を貫いた。 「愛情を知らないガキは、引き取ってくれた男に恩返しがしたくて早く一人前のコックに成りたかった。どんな事でも我武者羅にこなした………。何年かして、そのガキに始めて責任が付く仕事を任された。それがレストランのホームページ作製担当だった」 再び静寂が支配し緊張感が漂う。俯いていた金髪の男は頭を上げて続きを語り出した。 「『任された仕事』に有頂天に成った馬鹿なガキは、直にコンピュータに飛び付いた。そしてネット社会を知った。面白かった……。自分の知らない世界がこんなにも簡単に解かる事も楽しかったが、唯々楽しかった……」 「………」 「……クソガキは調子に乗ってチャットをして色々な友達を増やした。その中に1人『ハッカー』がいた。あくまでハッカーであってクラッカーでは無かったが、そのガキは勘違いしたんだ……、セキュリティーを打ち破るって響きに興味を覚えた。それが犯罪だとは知っていた、だが、軽い気持ちでそれに取り組んだ。……万引きやバイクの改造程度の罪悪感だった。……侵入するだけで満足だった」 ゾロは話を聞きながら太刀を鞘に収める。 心境は複雑だった。やはり自分が考えていた通りの答えをその口から聞く事が苦しかった。それ以上にその事を自分に打ち明けてくれているサンジが愛しい。 「そんなある日、幾ら遣っても侵入できないエリアがあった。ムキに成って何度もアタックした………そこが……クロコダイルの本拠地だった。逆に捉えられて脅されて……自分の個人情報を暴露しちまった……。世間を知らないクソガキが、訳も解からず取った行動が命取りに成った。散々脅されたよ…、仲間にならなきゃレストランを潰すと……」 ゾロは納得した。そしてこの話が嘘では無いと確信できる。 どうしてこの男が『クラッカー』などと言う犯罪者になったのかイマイチわからなかった。人が傷付くことを誰よりも嫌うこの男が、どうしてそんな世界に身を置いたのか理解できた。 「……世間にコックと呼ばれたその男は、多くの人々から幸福を奪った。会社が潰れ家族諸共路頭に迷い命を絶った奴らもいると聞く。……情けないがそれでも恐怖から辞める事が出来ずにいた」 金糸の髪が大きく揺れてサンジはゾロと向き合った。 覚悟を決めた真っ直ぐな藍瞳がゾロに向けられる。美しい……何処までも美しい蒼の瞳。 「また依頼が来た。今度は『ホークアイ製薬』の新薬に関するデータの取得と抹消。ガードシステムの破壊が内容だった。俺は何度かそのガードシステムにアタックをかけた。そんなある日、お前の部屋を掃除しに行って見付けちまった……。てめェがあの会社のガーディアンだって書類を……」 「ナルホド……それで妙なアタックを仕掛けたわけだ。」 沈黙を護っていたゾロが口を開く。言葉に詰ったサンジは顔を歪め目を伏せる。 「こんなこと言える立場じゃねーことは解かっている。だが……頼みがある」 「何だ?」 「俺に時間をくれないか?俺が蒔いた種を刈り取る時間をくれ」 「どーゆー事だ?」 「………これ以上、誰も傷付けたくねーんだ。だから……鰐の野郎を捕まえてサツに突き出す!」 優麗な眉を潜め、ゾロはサンジを見詰める。 キッと顔を上げて向かい合うゾロを見たサンジは、意志の強いその瞳を再度ゾロへと見せ付ける。迷いの無い瞳だった。 「信じられねーんだったら今直ぐサツに俺を突き出して貰ってかまわねー。いっそその刀で切ってくれても結構だ!」 「そんな馬鹿なことはしねー」 ゾロの顔を歪む。 「だから……てめェは家に戻れ。俺は店を辞めて潜伏しながら鰐対応のプログラムを作ってアタックをかける」 「………勝てんのか?」 「………」 強気なサンジの瞳が逸らされた。それは自爆行為なのだと物語っている。相手を道連れに出来れば上出来と言っているような物だ。 舌打ちしたゾロは、サンジへと歩み寄り鞘を持たない逞しい右腕を伸ばし男の胸座を掴んだ。 「今度は俺が話す、黙って聞いてろ!」 「!!!」 「誰がてめェの言い成りになるか!『自分が蒔いた種だから刈り取る』ふざけんなっ!!鰐に喧嘩売られたのは俺だ、俺がカタを付ける!『家に帰れ』?それこそふざけるなって言うんだ!!誰がてめェを離すかっ!俺から離れられると思ってるのか!?てめェは自分がどれだけ俺に影響を与えているのか解かっちゃいねー。潜伏するなら一緒に潜伏して最強のプログラムを作る『手伝い』をさせてやる。てめェとなら俺の目指す高みに行ける!絶対負けねー!俺の為に……てめェの為に俺は負けねー!!」 胸座を掴まれたままの男は何時も以上に饒舌に話すゾロを驚き瞳を大きく開いて見詰めていたが、我に返るとゾロの手を掴んで自分から引き離そうと力を込めた。しかし、力ではゾロが上だ。 掴み返した手をそのままに仕方なく言葉でゾロに歯向かう。 「簡単に潜伏するなんて言うんじゃねー!このクソミドリ!!全てを捨てて逃げ隠れるんだぞ!!その上何処に鰐の参加がいるかわからねーんだ!レジのレディーがそうかもしれねー……、小学校通っているクソガキもそうかも知れねーんだ!車椅子に座って窓から外眺めているジジーが参加かも知れねーんだっ!!鰐が俺の情報を求めたらそれこそメールで連絡して……居場所無くして転々として……。警察内だって当てにならねーんだ!誰が敵だかわからねー中で逃げるんだぞっ!!」 「誰が敵だか?解かっているじゃねーか!?」 ゾロはシャツからその手を外しゆっくりと優しくサンジの首へと腕を回し、その痩身を抱きしめた。 ………耳元で有りっ丈の思いを込めて囁く。 「お前が見方ってだけで十分じゃねーか?」 「!!!」 小さく身体が振るえたのをゾロはダイレクトに感じた。 「だからけち臭い事言わねーで俺に付いて来い」 「………迷子ちゃんに着いて行けるか…バーカ」 サンジの声は掠れて濡れていた。 数日後、2人の姿はこの町から消えていた。 END |