驟雨のエスケープ |
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ハリケーンの町で… 第3部 【驟雨のエスケープ】 真夜中のメインストリートは、ここ数日季節外れの大雨で人の気配は無い。 道と並び流れる河川は、増水の為に大きなうねりを見せ静かな恐怖を街に暮らす人々へと植え付けている。 2,000ccの車体、エンジンを切り押して歩く男はモスグリーンのフルメットにライダースーツ。大雨を気にもせず濡れて歩く。故障の為に押し歩いて居る訳ではない。敢えてそれを行なうのは、この男が静かな街に響くバイクの排気温を気にしての事だ。 バイクの総重量は、どこぞの大型バイクとは桁が違う。それを軽々と押して歩く男は、通り沿いに並ぶ1件のビル前で足を止めた。 ヘルメット越しに見詰めるその先は、電気が消えたとある部屋。 カーテンがひかれたその部屋の住人が、今何をしているのか外からはわかる筈もない。しかし、約束の時間30分前と言う事もあり、律儀で時間に正確な住人はきっと起きている事だろう。 バイクを止めたゾロは、通い慣れたそのビル裏口へと続く小路へと足を踏み入れた。 別段バイク傍にいても構わないのだが、流石に鬱陶しい雨は避けたい。 裏口前へ来た時、不意に扉が開いた。 「てめェ……もう来てたのか?」 「今着いた」 会話は少ない。 このビルの住人サンジは、黒のライダースーツに身を包み肩には小振りのバッグを掛けている。脇に抱えたヘルメットは、前回の大型ハリケーン時に起こした事故の為酷く破損していたので新調されていた。折角の新品をこれから雨風に曝すのは少し惜しい気もする。 暗闇の中、静かにゾロの瞳を見るサンジ。 その表情は、未だ今回の事を躊躇っているそれがありありと見て取れた。 ゾロが通う道場の一件以来、ゾロとサンジはクロコダイルについて散々話しあった。 『クロコダイルの組織について』 『相手のプログラムについて』 『自分達はどんなプログラムを作るか』 そして… 『何時この街を出るか』 サンジは、その都度ゾロに言った。 「てめェはやる事があるだろう!最強目指すんだろう!これは俺に任せて、てめェは残れっ!」 そしてゾロもその都度言い返した。 「何度言ったら解かる、このアホ眉毛!お前はあくまで俺のアシスタントだ!!」 ガードシステムにアタックされたからと言って、仕返す事はれっきとした『犯罪』だ。サンジはそれをゾロにやらせる事を酷く拒んでいる。 『俺は犯罪者だから今更だ。だが、お前は違うだろう!光りん中歩いてテッペン目指すんだろう!!』 それがサンジの言い分だ。 『それがどうした!?犯罪者?お前がそうなら俺もなってやる。一緒に歩くって決めたんだろう!!』 何度ゾロが言い含めてもサンジは納得しない。 逆に口では上手を行くサンジにゾロが言い含められそうになる事がしばしばだった。 だからと言って「はい、そうですね」と引き下がるゾロではなく、何度も衝突しながら今回の出発を決めた。 ゾロは、今回の事を会社で唯一信用できる男に全てを話している。 男…この会社の社長であるミホークは、世間離れしたゾロの話しを静かに聞き入れ承諾してくれた。 「会社からは何も支援できる事はない。だが、長期休暇ではなく出向業務としてお前を取り扱う事ぐらいは出来る」 本来ならば喧嘩を売られたのはこの会社だ。出来ることならミホーク自身が受けてたちたい。しかし、ゾロ以上にコンピューターに精通している自分が、会社を捨ててクロコダイルと向き合う事は、背負っているモノの大きさからいって土台無理な話だ。 だから全てをゾロに任せる。そう言う事なのだ。 それからゾロは、準備の為に色々と動きまわった。無論、あの金髪の男も旅立つ前に済ませなければなら無い事が有るだろう。出発前の数週間は、ゾロ自身アパートに戻った事もあり顔を会わす機会が無くなった。 そして今日、約束の日にゾロはサンジを迎えに来たのだ。 未だに迷うサンジの瞳は、2階へと移る。 降りしきる雨が顔を叩き付けるが、それも苦ともせず唯見上げるその先は、自分を無償で生かしてくれた男。 「挨拶……して来たのか?」 「………もしもの時、何も知らないほうが安全だ」 「……そうか…」 2人見上げるその部屋には、昨夜までの忙しさで疲れ眠るだろう人。 言葉無く見詰めていたサンジは、ゆっくりとその顔を伏せ肩に担いだ荷物を担ぎ直すと、ゾロのバイクへと歩き出した。 ガラリと荒く開け放たれた2階の窓。 驚き振り返るサンジとゾロに、男は厳しい視線を見せる。 言葉無く見詰めるサンジに代わりゾロは簡単な会釈をする。それを見たゼフは、ゾロに向かい茶封筒を投げて寄越した。 封筒を開き覗き込んで言葉を失った。 中身は100万を越える札束。 ゾロの様子を不審に思い中身を見て驚くサンジに、養父は優しく声を掛けた。 「風邪ひくんじゃねーぞ」 「――― !!」 土砂降りの中、大きく頭を下げるサンジとそれを見守るゾロ。 こうして2人はこの街を出た。 雨の中、痩身の男を後ろに乗せ、ゾロはとあるビルの地下へと繋がる駐車場へ滑る様にバイクを走らせた。 さも当たり前にバイクを駐車したゾロは、何が起こっているのか解からず呆然と後部座席で座るサンジに笑いを堪えながら着いて来るよう声を掛けた。 「ここって…何処だよ?」 「まぁ…知り合いの会社だ」 「なんの用があるんだ?」 「良いからついて来い」 「ついて来いって…ここNシティーだよな?バラティエからバイクなら30分掛らない場所だよな?何でここ迄来るのに3時間も掛ったんだ!迷子か!?やっぱり迷子だったのか!?」 「………」 色々と不利な事を口にする男を無視して、ゾロは駐車場からビルへと続くエレベーターへと歩き続ける。後ろでまだギャンギャンと喚きたてる男の声はあえて無視をした。 広いコンクリート打ちっぱなしの駐車場を歩けば、地上のビルへと続くエレベーターの扉が見えて来た。その前には、少年が一人2人連れだって歩く男を確認して大きく手を振る。 「遅いぞっ!何時まで待たすきだよ〜」 「ワリイ」 「……覚悟はしていたけどよ〜」 特徴ある長い鼻の少年は、会話の内容からゾロと待ち合わせをしていたのだとサンジは認識する。そして、当たり前の用にエレベーターに乗り込むゾロを訝しげにその場に留まり睨み付けた。 「さっさと乗れ、閉まるぞ」 「……どう言うつもりだ、ハゲ腹巻」 「腹巻?」 長鼻の少年は、喧嘩腰の金髪男性が言った『腹巻』に反応して呟く。「反応する場所はそこじゃねーだろう…」とばつ悪そうにボソリと返すゾロは、不信感丸出しの男に再度声をかけた。 「いいから来い。説明は後でしてやる」 「………」 それでも反応せず睨む男の腕を取り、強引にエレベーターへと乗せると隣でパネルを弄る少年へ目で合図を送った。 動き出す高速エレベーター。 箱の中はなんとも言えない緊迫感に包まれている。チラチラとサンジを見る少年は、そこか怯えているようでサンジはそれすら気に入らないと顔を2人から逸らしたままだ。 「おい、皆集まっているのか?」 「――― おっ…おう!後はお前達だけだ」 「そうか…」 「しっかし……ずぶ濡れだな〜。先シャワー借りるか?」 「あぁ…、後でいい」 2人の声が箱内に響く。それに対しサンジは、押し黙ったまま不信感をその身に纏わせている。 高層ビル高階で止まったエレベーターから出た3人は、少年に案内されとある部屋へと入室を促された。 部屋に入るとパノラマの窓を背景に大きく重厚感のある机が置かれている。その机の上に麦藁帽子を被った少年が座り、両サイドをオレンジの髪を持つ少女とそばかすの男が立つ。その3人は一度だけ見たことがある。勤めていたレストランに食事を取りに来たお客だ。 見事な喰いっぷりの底なし胃袋の少年と、食事中寝ていた男。そして、華の少女。 「おせーぞ、ゾロ!」 「送れて悪かったな」 「どうせまた迷っていたんでしょ?」 「相変わらずだなぁ。おっ!子猫ちゃんもちゃんと連れてきたな」 「言い方が卑猥に聞こえるぞ!」 にこやかに挨拶を交わす人々。 サンジは訳が分からないまま入室し、注意深く室内を観察した。 どうやらここは、何処かの会社の一室だろと推察できる。それもかなりの大手企業。 そして、この部屋は、この会社のトップクラスの関係者が使う個室と考えられる。では、その部屋の机上に座る麦藁帽子の少年は何者なのだろうか?隣に居るオレンジの髪を持つ少女は、その少年とかなり親しげである上に、ゾロとも気さくに放している。テンガロハットを被った男は、自分よりも年上らしいが、やはり麦藁帽子の少年の頭をつつきながら、ゾロに揶揄を言って睨まれている。 よくこの部屋を見れば、その他にも先程自分達を案内してくれた長い鼻の少年。そして、黒髪の女性が居る。 やはり皆屈託なく話していて……。 サンジには状況が今一掴めない。 「おい、いい加減に紹介しろよ!」 麦藁帽子の少年が机上で胡坐をかき、興味津々とサンジを見詰める。 警戒して睨むサンジの傍に戻ったゾロは、室内に居る全ての者の顔を見て一言言った。 「こいつが例のクラッカー『コック』だ」 その時のサンジは、裏切られたと感じた。 訳も分からず連れてこられた場所で、見知らぬ者に自分の素性を明かされたのだ。 大きな力に打ちのめされながら、サンジは気の遠くなる感覚を必死に振り切り、奥歯をギッと噛み締めた。 しかし考えてみれば、ゾロにはこうも言っておいた。 『何時警察に突き出してもらってかまわねーよ』 それだけの行為をして来たのだから、償うのは当たり前。 その前に自分の手で決着をつけたいなどと言う方が甘えている事も重々理解している。 だから、サンジはその場に留まり死刑執行前の囚人の気分を味わいながら、静かに瞳を閉じた。 「色々と世話になるがよろしく頼む」 「それが人に対して頼む姿?」 続いた言葉にサンジの目が開く。 興味深げに自分を見ている部屋の人々は、皆表情に柔らかさがありサンジの罪をとやかく言う感じには見られない。 わけも分からず言葉を無くすサンジを助けたのは黒髪の女性だった。 「ちゃんと私達の事を話してあるのかしら、剣士さん。コックさんはさっきから困っているみたいよ」 「まだだ」 その質問にゾロはキッパリと言い切った。 ゲインっと室内にいい音が響く。 オレンジ色の髪の少女が、力任せにゾロの頭を分厚いファイルで叩いたからだ。それも角部分で。 殴られた本人は、床に座り込み頭をガシガシと掻いている。「いてーなっ!何するんだッ!!」と言う割には、あまり痛そうではない。 ポカンと口を開けたまま攻防を見ていたサンジは、どう対応すべきか余計に混乱していた。 ツイっと少女の視線がサンジに向かう。 レディーには事の外優しいサンジだが、今は警戒心が勝り顔に色が無い。 「本当にゴメンネ。この馬鹿ゾロのお陰で吃驚したでしょう?」 「え?あっ大丈夫。美しいレディーに会えたから全然大丈夫だよ」 ヘラリと笑って見せても言っている内容が支離滅裂なために、何人かの者達は小さく笑っている。 それを流す余裕すらなくなったサンジは、アタフタと胸のポケットから煙草を取り出そうとする。しかし、雨の中の移動だったために手は悴み、色々な事が頭の中を駆け巡っていたせいもあるのだろうか、指先が思うように動かず、バラバラと煙草を床に数本落とした。 「何やってる」 床に座ったままのゾロが、目の前に落ちてきた煙草を摘み上げてサンジへと渡す。 しかし、受け取るサンジの指先が、細かく震えている事に気付いた。 「大丈夫が?」 労わるその視線にサンジはいたたまれない。 みっともなく動揺していることを見られた事も悔しいが、今自分が情けないぐらいに恐怖している事に気付かれたかもしれない。 むしり取った煙草は、サンジの手の中で無残にも折れた。 ゆっくり立ち上がったゾロは、俯き唇を噛むサンジに柔らかく腕を回して抱き寄せる。 迂闊な自分が取った行動が、痩身の男を傷つけたと思うと自分自身に腹が立つ。 腕の中で身を固める男に、薄肉な背中をさすりながら耳元で囁くように声を掛けた。 「安心しろ、こいつらは敵じゃねー」 返ってくる言葉は無い。 ゾロは小さなため息の後、ボソリと謝った。 「言い忘れていて悪かった。」 小さな金髪の頭を自分の肩に乗せたゾロは、周囲の目を気にせず言葉を続ける。 「俺が頼んでこいつらに集まってもらった。クロコダイルに勝つために必要な機材とか、軍資金とか色々頼む事になる」 「……クロコダイルと関係はねーのか?」 小さな声ながら、サンジの返答が聞けてゾロはほっとした。 「大丈夫だ」 そう言い聞かせてサンジに集まったメンバーを紹介するために、その身体を優しく離し皆へ視線を向けた。 「俺は、モンキー・D・ルフィだ!」 机上に座っていた麦わらの少年は、真っ直ぐの瞳でサンジに笑いかける。 「あいつは『Dグループ』の総帥だ」 「――― っえ!」 驚きゾロの顔を見たサンジの瞳は、何度も瞬きをしている。 Dグループといえば、世界有数の大企業である。その総帥が自分より年下の少年。それも聡明とは言い難い餓鬼じみた少年とは。 「その隣がルフィの秘書を勤めるナミ」 「よろしくね、サンジ君」 自分に近付いてきた年下の少女に君付けされて戸惑うサンジは、辛うじて会釈をする。 そしてスッと右手を出されてサンジの右手を掴むとニッコリと笑って握手らしい行動をした。何気に肘の辺りを数度叩かれたが、何かの挨拶かとサンジは首を傾げるだけに留まった。 「俺たちの潜伏先と軍資金は、ナミが指示してくれる」 「ナミは凄いぞ!いろんな情報を直ぐ集めてくれる。裏町のオバチャンが話した噂話も情報として把握できるんだ」 麦藁帽子の少年は、自分の事のように得意気な態度で笑う。紹介された少女も、その言葉に満足気な表情を浮かべている。 強い信頼で繋がった2人なのだと察しが付いた。 「で、このビルの中を案内したのがウソップだ」 「ヨロシクナ!俺は主に機会の担当だ。プログラムの事はよく分からないが、手伝うぜっ!!発明王の俺様が直々に―――」 「はいはい、講釈は聞き飽きたわ」 長い鼻の少年は、ナミと呼ばれる少女に辟易と言葉を返されて怒りを露にしたが、ギロリと睨まれてすごすごと口を閉じた。まるで怒られた犬のようだとサンジは見詰め、ふとある言葉が頭の中を過ぎった。 『勝手に整髪機』 ゾロがサンジの部屋で生活していた時、バイクを直してくれた男の名前が確かそうだった気がする。 「禿げ製造機の?」 「禿げ製造機?」 サンジの無自覚な呟きにゾロが反応した。 「だから、お前の頭を禿げにした整髪機」 「だから、俺は禿げてねーって言ってるだろうがっ!!」 2人のやり取りにドッと室内が沸く。 「子猫ちゃんは可愛いなぁ」 クククと笑うテンガロハッとの男は、先程も『子猫ちゃん』と言っていた。どうやらそれはサンジを指すようで、その言葉にムッと特徴のある眉を顰めてサンジは睨んだ。 「ごめんね、余りにもゾロの話し以上に可愛い顔立ちだから……」 笑いを必死に収めている男は、悪びれる事無く人懐っこい笑顔をサンジに向けた。 「コイツはエース、ルフィの兄貴だ。そして、あの女がロビン」 「よろしく、サンちゃん」 「はじめまして、コックさん」 女性に向かって『あの女』呼ばわりは気に喰わないが、今動揺しているサンジは普段の切れのある突っ込みが出来ない。 視線で二人に挨拶をすると、机上の少年は補足の為に言葉を付け足した。 「ここにはいねーけど、チョッパーとフランキーが手伝うぞ」 「そうか!」 ゾロの笑顔に目を奪われる。この男はあまり表情豊かではない。警戒心が強く用心深い。サンジに屈託ない笑顔を見せたのはかなりの時間を要した。 しかし、今ゾロは嬉しそうに笑う。 ここにいるメンバーは『仲間』なのだ。 どんな繋がりがあるか分からないが、ゾロにとってここは身分を明かし、心を許した者たちが集まった場所なのだ。 サンジは自分の場違いな空気に息を詰まらせた。Dグループの総帥を筆頭に、光の中を歩く者たちの中に犯罪者の自分が居ることが怖くなった。 「ロビンとエースそれとチョッパーには、サンジ君に違うプログラムを組んでもらって、それを使ってクロコダイルに同時に仕掛けてもらうの」 動揺しているサンジの表情に気付かないナミは、自信に満ちた笑顔をサンジに向け計画の説明を始めた。 「アナログではルフィとフランキーがクロコダイルを取り押さえに行くわ。クロコダイルの居場所は私が捜すの、気付かれたら海外に脱出されてしまうから、お互い出来るだけ迅速にやりましょう」 「私達オンラインチームは、クロコダイルのコンピューターから顧客データと帳簿を取るの。勿論、コンピューターに精通している彼が簡単な方法でデータを保存しているとは思えないけど、証拠を隠滅される前に是が非でも欲しいのよ」 ナミの言葉を受けてロビンが補足する。 しかしサンジは、自分が作ったプログラムで全く関係のない人を巻き込む事には納得出来ないとマユを顰めた。 そもそも、いくら優秀なプログラムを組もうと素人にオペレーターが出来るほど楽な作業ではない。 「それは……クラッカーは素人じゃ―――」 無理だと口に出す前にゾロはサンジに説明した。 「大丈夫だ、こいつらは素人じゃねー。まぁ、ハッキングって言うよりクラッキングに関しては素人同然だがな」 「人の事言えないだろう」 ニッと笑いながらエースが言う。 その意味を掴みかねたサンジは、縋る瞳をゾロに向けた。 「ロビンもエースもチョッパーも、俺の同業者だ」 「えっ!」 目を見開いたサンジは、名前の上がった2人に目を向ける。 美しい黒髪の女性はなんでもない事だと笑い、テンガロハットの男は感情の読めない笑いを表情に乗せている。 「ロビンはこの会社のシステム『vine』の制作者だ」 「……蔓バラの製作者」 ゾロの何気ない説明にサンジの目は大きく開きロビンの顔を見る。 Dグループファイヤーウォール『vine』。俗称を『蔓バラの網』と呼ばれる有名なシステムだ。進入してきたプログラムを、あらゆる方向から絡め取り破壊していく。まるで蔓が絡まるように攻撃してくる事からこう名付けられた。 「エースは国家防衛システム『flame−Commandments』の製作者。『炎帝』と言ったほうが分かるか?」 息を呑んだサンジには言葉はない。 軍事機密を守るシステム『炎帝』は、その攻撃も防御も他の追随を許さないと言われるモノ。それ以上にサンジにとっては……。 「サンちゃんがコックなんだぁ。なら前にクラッキングに来たよね!?」 「――― ッ!!」 顔を歪めたサンジに責める言葉は誰も無い。 ただサンジは、その言葉に足元がガタガタと震えるのではと奥歯を食い縛った。 「何回か着て来なくなっちゃったけど、何かあったのかい?」 ニコニコと笑うエースの瞳は、怖いくらいに何かを見定めようとする鋭い光が宿っている。 あの時サンジは、クロコダイルの命令により『炎帝』を破壊しに行った。数日挑んだシステムに本格的なアタックを開始して間もなく、クリークと呼ばれる男が今後担当すると連絡があり手を引いた経歴がある。 「チョッパーは国立感染研究所のシステム『cure−all』万能薬の製作者なの。会えば驚くわ、彼まだ子供なのよ」 フフフとナミが笑った。後半の言葉は楽しげに口から出たものだが、サンジはその言葉を聞きとめる事すら出来ない状態だと誰も分かっていないらしい。 嫌な汗が噴出す。グッと掌を握り悲鳴を上げる事を辛うじて堪えている……。 自分はなんて所に来てしまったのだろうと唖然とする他ない。 光の中どころか、社会的にもエリート達の彼らから見れば、自分は薄汚れた負け犬に見えるだろう。 れっきとした犯罪者。 しかしどうしてエリートである彼らが犯罪行為のために集まったのか経緯は分からない。が、その瞳には並々ならぬ強い意思が感じられる。 「そんな簡単に言うけど、これは犯罪だ!子供やレディー達を……お前たちを巻き込むつもりは無い!!」 「これは犯罪なのか?」 サンジの強い声に机上に座っていたルフィは、背を正し真剣な表情を見せ、腕を組む。 「そうだ、こちらの行動が相手にばれて逃げられれば、逆に警察に通報されて俺達が牢獄行きになる」 少年の兄が事態を理解していない弟を諭している。 サンジは、エースの言葉に頷き険しい眼差しでそこに集まった人々を見渡した。 「でも、警察だってクロコダイルの手先なんだろう?」 「全ての人間がそうじゃないけど、今回の件では当てにしないほうがいいわ」 オレンジ色の髪を持つ少女が、疑問に答える。 するとこの会社のトップは、「うん!」と頷き膝をポンと叩きニッと笑顔を見せた。 「アイツ捕まえないと悪さばかりするじゃねーか!警察も当てにならないんだろう?……ならしょうがねーな!!」 「………しょうがないって」 その一言で終わらせた少年に皆は呆れながらも笑っている。 サンジは、動揺を隠しくれずクルリと背を皆に向けドアに向かい歩き始めた。 「おい!」 「……煙草吸ってくる」 呼び止めるゾロの声にサンジは振り向く事をせず素っ気無く言葉を返す。 顔を見られれば、自分の顔は惨めで情けないだろうと予想がつくため、ただそうとしか返す事が出来ない。 「煙草ならここで吸っていいぞ!」 邪気なく明るい声がサンジの背中に掛けられる。 ルフィと呼ばれる少年は、気にする事は無いと笑っている。 その邪気ない声色さえ今のサンジには居た堪れなくて首を横に振ってその歩みを止めずに返事をした。 「レディーがいる部屋で吸えねーな。悪いが……少し時間をくれないか?」 「そうね、いきなりこんな話持ち掛けられても驚くだけよね。喫煙室は下の階西側のドリンクコーナーに隣接されているわ」 「……ありがとう」 エキゾチックな雰囲気の女性が、ドライにだが優しい声で気遣ってくれる。 サンジは静かに戸を閉めると、迷う事無く足早にエレベーターへと向かった。 エレベーターの扉が開き日ひんやりとした空気がサンジの身体を包む。外はまだ雨が降っているようだ。鉄臭い独特の臭いが鼻を刺激する。 このビルに入ってから一度も下ろしていないバックを再度肩に掛け直す。 サンジ愛用のPCと自分が今まで貯めてきた金。全額引き落とした。そして、先程養父がくれたお金…。 これだけあれば大丈夫だと独り頷き、雨の降る街へと飛び出した。 ここに集まった者達は、皆優しい。そして正義感に溢れている。 犯罪行為と分かっている上で、困っている自分たちの為にその身を差し出そうとしていた。 それは駄目だ。 それは許してはいけない行為なのだ。 もしも……。 『もしも』などと言う想定はありえないのだが、もしもサンジとゾロが違う立場で出会っていたら、きっと自分達は仲間として同じ光の道を歩めたかもしれない。 いや、プログラマーとしてではなくとも、同じごく普通の友人として、対等な立場の親友として傍に居られたのかもしれない。 そかし、サンジはクラッカーだったからあの嵐の日、無謀にもあの場に出向きゾロと会えたのだ。 コンピューターと言う共通の話題を切掛けに色々な会話をして一夜を明かし、バイクを届けに来た事で距離を縮め、寝起きを共にした事で情が湧いたのだ。 ありえない設定だが、サンジは望んでしまった。 だから……。 ゾロが何者にも脅かされる事なく真っ直ぐに自分の道を歩き貫いて欲しいと。 自分に関わる事で停滞する事や弱みを持つ事になるとしたらいたたまれないのだ。 ゾロを巻き込む事でさえ罪悪感が胸を痛めるのに、その上ここで何の係わり合いも無い人々を巻き込む事は絶対阻止しなければならない。 だって、彼らには安定した未来が待っているのだ。その為にあらゆる努力をしてきた筈だ。 そんな大切な未来を『たかだか自分如き』に捨てていいはずは無い。 そこまで自分は……綺麗な人間ではないのだから。 駆け出した街は、まだ早い時間のために車も人もその影すら見当たらない。 綺麗に区画された巨大ビルが並ぶ大通りをサンジは我武者羅に駆けた。 今は早くこの場所から離れて、何処か人目のつかないところでこのライダースーツを脱ぎ捨てたい。 バイクに乗っていない自分がこの姿では目立ってしまう。だから平服に着替えて、それから……長距離バスか特急列車か。兎に角この地から離れて目的のプログラムを作り、せめて鰐だけでも道連れにするのだ。 それが自分に出来る唯一の『過ちに対する償い』だと思うから……。 目の前の歩行者専用信号機がStopの文字を示す。しかし、車の音がほとんど聞こえないこの道で信号機など意味の無いもの。 サンジは迷う事無く交差点に飛び込んだ。 しかし実際は、後方から車が近付いていた。 激しい雨音と動転していたサンジにはその音が届いていなかった為に、右折してきた車と危うくぶつかりそうになる。 尻餅をついたサンジの前。急停車した車から飛び降りて来たのは……。 「……ゾロッ!!」 思いもよらぬ人物の出現に、サンジは震わせながら声を上げた。 名前を呼ばれた男の形相は、怒りに満ちている。 無断で飛び出してきた自分に非がある事は重々承知しているが、今ここで誤るわけにはいかない。 慌てて立ち上がったサンジは、もと来た道を帰ろうと走り出すが、数歩の所でゾロに二の腕を強く掴まれた。 「何考えていやがる!!」 その言葉と共に強く引かれて車の助手席に入れられる。抵抗しようとしたサンジの身体にシートベルトを掛けたゾロは、サンジの顔近くに自分の顔を寄せ、目をスッと細めると低い声を出した。 「俺から逃げるな!約束しただろうが!!」 声を出そうとしたサンジにキツイ眼差しをおくると、ゾロは乱暴にドアを閉めフロントのボンネットを飛び越えると急いで運転席へと身体を滑らせた。そして車を発進させ暫く猛スピードで街を駆け抜ける。 痛いほど張り詰めた空気に耐えられず、サンジは小さ声でゾロに話しかけた。 「何処に向かってるんだ?」 無言でサンジの膝上に投げられたのは、手書きのマップ。 その場所はNシティーから30km程離れたKタウンと呼ばれる大都市。 しかし……。 「てめェ……Kタウン行くなら逆方向だ」 「何!!」 急停車した車内でゾロはサンジから地図を取り上げ、しげしげとそれを食い入るように見る。 「……右じゃねーのか?」 「何基準に右なんだ、アホミドリ!」 沈黙が支配した車内でどちらと無く笑いが込み上げる。 今は笑っている場合じゃないが、笑わずにはいられない。先程までの張り詰めた空間の開放から一気に車内は爆笑の渦と化していた。 暫くして笑いを収めたゾロは、路肩に自動車を止め、改めてサンジの顔を見た。 「ナミが、お前が社内から出たって教えてくれた」 「……何で分かったんだ?」 「お前の肘に薄型の発信機を貼り付けたんだと」 言われて左右の肘を確認したサンジは、そこに紙のように薄い1cuのモノを見つけた。 考えてみればナミはサンジと握手をした時、肘を数回はたいていた。それは何気にこれを付けるためだったと分かり、聡明な少女に愛の賛辞を贈った。 「それと、これはお前に預ける」 「なんだこれ?」 渡されたのは黒いポーチ。 「今回の作戦中、俺たちとのコミュニケーションはそん中に入っている携帯電話と、指定してある場に置いてあるPCメールでのみなんだと。俺達の携帯は、逆探知されないよう電源を切って使わないように命令だ」 「……分かった」 「定期的にPCのアドレスも携帯電話も替えるらしい」 「…………」 「軍資金や洋服、食料に宿泊先なんかはその都度連絡した場所にあるから指示通り移動する。その手段になる足もナミが用意する」 「…………」 「聞いているのか!?」 「……きこむ……………ねーよ」 「あぁ?聞こえねー」 「みんなを巻き込む事なんて出来ねーよ!!」 俯いていた顔を上げ縋るサンジの顔には、雨とも涙とも判断できない一滴の光が流れている。 指が白くなるほど握り締めた拳は震え、それでも弱さに負けじとゾロを睨む。 「ナミさんもロビンちゃんも……あそこにいた餓鬼共も…てめェも………みんな巻き込む事なんて出来ねーんだよっ!犯罪者になってどーするんだっ!!」 ゾロの二の腕を強く握ったサンジは、奥歯を食い縛り今にも泣き出しそうな顔で呟いた。 「……みんなを、てめェを巻き込むくらいなら……俺は、あの日会わなきゃよかった」 「男だったらガタガタ言わず腹括れっ!」 言葉と共にゾロはサンジの襟首を掴み自分へと引き寄せた。 実際はシートベルトをしているので、身体が僅かに引き寄せられただけだが、それでも車内にはビリビリした空気が満ちている。 「『巻き込む』とか言ってる段階は終わったんだ!」 乱暴に手を離し、シートへとサンジの身体を投げたゾロは、ガシガシと髪を掻き小さく息を吐き出した。 「……お前が俺達を思ってくれるのはありがてェが、もう川は流れ始めて今や激流になってんだ。後は俺達がそこに飛び込んで目的地まで生きてたどり着かなきゃいけない……そういう状況まできてんだ」 真っ直ぐサンジの瞳を見詰め、真剣に言葉を選び話すゾロからはもう怒りは発せられていない。 「実際この作戦で鰐の所まで行き着くかわからねー。だが……」 目を細め凶悪な笑顔を見せたゾロは、まるで子供が危険を含んだ悪巧みを見つけた表情に変えた。 「行き着くとこまで行くしかねーだろう?生きて帰れる保障はねーがな」 「………あぁ」 サンジは観念した顔で笑みを浮かべた。 知らずに始まってしまった計画だが、もう自分が悩む段階は過ぎている。 ならば、後は……。 「命を捨てる覚悟は出来ている」 言葉と共にサンジはゾロの手に自分の手を重ね合わせる。 ギュッと指を絡めた二人は、お互いの顔を見合わせ再度笑った。 ――― まるで、これから楽園に出掛ける。 知らない者が二人を見ればきっと誰しもがそう思うだろう。 ゆっくり発車した車は、二人の未来を乗せ雨の中に消えた。 Up 2007/4/20 |