神に愛されしその翼を

〜君ヲ呼ブ声

 

 

 

 

 

 

高く

 

 

高く

 

 

 

青き空へ

 

 

 

 

 

舞い上がれ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

神に愛されしその翼を

           〜君ヲ呼ブ声

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――― 気になる男がいる。

 

 

 

その男は、いつも大口を開け馬鹿笑いをしながらクラスメートを引き連れて渡り廊下を歩いている。慕われているんだろうその男の汚い言葉遣いも、友人たちには魅力のひとつとなっているようだ。言葉と裏腹、その眼差しは時折慈愛を湛えて、決して粗暴なだけではないと理解することが出来る。

 

前に見た時は、女共に媚び諂いながら身体をくねらせて歩いていた。報われない行動に歯止めもせずに女のケツを追いかけるその姿。そのあきれ果てた行動に反吐が出た。

 

 

 

反吐が出るだけの存在ならば切り捨ててしまえばいい。しかし、それだけの存在ではない。

放課後、春の明るい日差しに照らされた金の髪は、甘いこの季節独特の風に吹かれてサラリと舞い上がる。陸上部に所属するソイツは、普段の姿からは想像できないほど真剣な眼差しで、トラックを黙々と走っていた。

スカイブルーの瞳が、伏し目がちに前を見る。

 

 

 

 

名前は知らない。

 

学年もクラスも分からない。

 

 

ただ、何時も取り巻きに囲まれてチャラチャラ歩くその男が気に入らない。

女にだらしない表情を浮かべるその顔を殴ってやりたい。

 

 

だが、

 

 

 

 

 

直向に取り組むその眼差しを覗き込みたい衝動に駆られる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それは、3−Dのサンジだ」

 

倉庫を改造した写真部の暗室に篭っているウソップが、扉の前で待つゾロに説明した。

 

「ゾロも有名人だけど、アイツも負けじとこの高校の名物だ」

「……俺のどこが名物なんだ」

 

不機嫌な顔で壁に寄りかかり座るゾロは、小さく舌打ちをした。

別に好きで有名人になったわけではない。己の貫く信念に従って行動してきた結果がここにあるだけだ。

 

 

『ロロノア・ゾロ 剣道個人戦にて未到の8連覇なるか!』

 

 

つい先日発行された剣道の雑誌には、デカデカと見出しが巻頭を飾っていた。

中学から頭角を現したこの男は、中高と今だ土が付いたことはない。

 

 

『無敵の剣士』

『イーストブルー高の魔獣』

 

 

マスコミに好き勝手に書かれているゾロは、自分が思っている以上に注目を浴びている。カリスマの存在に書き立てたマスコミの論評に煽られて、日常生活にも付きまとう人間が多くなってきた。

一時期のブームとばかりに纏わり付く人間を無視して、それでも五月蝿くない人間の傍で静かに惰眠でも貪りたい。今はそんな気分だ。

 

 

そもそも同等の注目を浴びる人間がこの高校には何人もいるのだ。

 

特殊な入学制度のおかげで、話題の耐えないこの学校の生徒達。

今扉を挟み話しているウソップは、ゾロより学年は下だが、先頃行われた写真展にプロの大人を負かして金賞を受賞する快挙を成し遂げた。プロとして契約しているとも聞いている。

ウソップと同じ学年には、ゾロに懐くルフィが中学生時代から体操でオリンピック強化選手に選ばれている。

やはり同学年でナミという少女は、今度行われる野球全国大会で、開会式のアナウンスを勤める大役を担っている。

 

そんな族は、ゾロに対してあまり頓着しない。自分が信念を貫き行動することは、どの分野でも同じなのだろう。必要以上の干渉を避けてくれる。居心地の良い場所でもあるのだ。

 

 

 

因みにこのイースト高校には名物教師も大勢いる。

 

古代文明の世界的権威と評される女性講師ロビン。

教育に携わる上で何が役に立つのだろう?ファイアーパフォーマーで世界大会を制したルフィの兄であるエース。

他多数…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サンジは陸上部に所属しているんだ」

「そーみてーだな」

「ハイジャンプの選手で、今一番世界に近いって言われている選手なんだ」

「……ハイジャンプ?」

「走り高跳びだ」

 

いつも細身の身体に黒のジャージを羽織、トラックを走る姿ばかり目撃していた為、ゾロは勝手にサンジと教えられた男がマラソンの選手なんだと思い込んでいた。

 

「何でも、今度の世界大会に出場するための参加標準記録Bを突破したらしい」

「なんだそれは?」

「……兎に角、参加標準記録Bだ」

 

話すウソップも実は詳しく分かっていないらしい。話が有らぬ方向に動いている。

ホラ話と自慢話の中でウソップは、サンジについて『今度の高校総体で参加標準記録Aを出せば、世界大会に出場できる』とも付け加えていた。

 

話を聞き流しながら視線を窓の外に向かわせれば、中庭の色づき始めた芝生の上で昼食の弁当をお座なりに、腕をゆっくり回して天へと掲げる男がいた。

 

 

耳には今時の音楽システムに繋がれたイヤホン。

何かを聞きながら心此処に有らずの男は、まるでダンスのステップを踏んでいるのかと身軽に歩き、時折身体の前で左腕を大きく振り上げ天に伸ばす。

 

「……何やってんだ?」

 

ボソッと疑問を口にしたゾロに、ちょうど暗室の扉を開けたウソップが答えた。

 

「サンジはああやって昼食事イメージトレーニングしているんだよ」

「イメージトレーニング?」

「あぁ、何でも跳ぶ瞬間をイメージするんだって言っていたなあ」

 

首を傾げながら話を聞くゾロは、その男の周りを伺った。

 

「取り巻き連中なら居ないぞ」

 

察しの良い年下の友人は、同じ金髪の男を視界に捕らえている。

 

「サンジの昼休みは、誰も邪魔しないんだ。アイツ今スランプらしいんだが……だからああやって練習している最中は、誰も邪魔しないんだよ」

 

イソイソと荷物を纏めるウソップに首をかしげたゾロが視線を送る。

 

「公式記録じゃないが、サンジは何でも参加標準記録Aを跳んだことがあるんだ」

「だから、その参加標準ナントカってーのは、幾つなんだ?」

「2m30cmだったけなぁ…」

2メーター30だーー!!」

 

とてつもない数値である。

ゾロは、人と比較して身体能力が劣っているとは思えないが、2m30cmを跳べるかといえばかなり苦しい。あの優男がそこまでの実力を持つものとは知らなかった事は、なぜか無性に腹立たしかったし苛立ちも感じた。

 

「今度の大会でそれを出さないと、社会人の選手に権利を持っていかれるそうだ」

 

廊下を歩きながらゾロはさらに質問を投げかける。

 

「アイツが弱けりゃ、仕方が無いことだろう。スランプってーのは、そもそもアイツが弱っちーからなるんじゃねーのか?」

「……まぁな、でも全ての人間がお前みたいに強いわけじゃねーよ」

 

スランプなど己に迷いや弱さがあるせいだ、とゾロは思う。

女々しく落ち込む男をなぜか気にはなるのだが、弱い男に興味はないとばかりに違う話をウソップに振りこの話を強引に切り捨てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――― 気になる男がいる。

 

 

その男は、見掛けるたび寝ている。夜更かしでもしているのだろうか、陸上部の部長を訪ねて3−Aを覗けば友人に囲まれた喧騒の中でも椅子に踏ん反り返り大口を開けて寝ている。傍若無人なその態度ながら友達には恵まれているようで、時々剣道部の後輩や自分も良く知る後輩たちと楽しそうに歩く姿を見る。

 

前に見た時は、中庭の片隅でレディーと何やら語らいをしていた。レディーは何か話すと男が言葉少なげに何かを返している。その後泣きながらレディーがその男から去っていった。

後から聞いた話によると、男はレディーを振ったらしい。……許せない出来事だ!

 

 

 

見れば腹立たしいその男だから存在を切り捨ててしまえばいい。しかし、それだけの存在ではない。

放課後、部室へと繋がる廊下を歩けば、剣道部が使用する格技室から凛とした声が聞こえる。そーっと覗き込んだ先には、袴姿の男が部員を前に声を出している。

 

「早素振り、構え…………始めっ!」

 

 

 

普段の姿からからは、想像できない力強さ。

 

立ち昇るオーラ。

 

 

 

 

自分は、まるで雷に打たれたようにその場に立ち尽くした。

 

 

 

 

 

 

 

名前は『ロロノア・ゾロ』。

 

特殊な入学制度によって特待生として入学し、現在3年になる。

 

 

噂によるとたいした学力も無く無断欠席も多い中、剣道の特待生だからと単位を優遇されているらしい。

自分のように努力を積み重ねている人間と訳が違う。住む世界もたぶん違うだろう。

 

体操部に1年のカリスマ的少年がいることは知っている。それと同じ様に、この男も何処かオーラが違って見える。

自分は自分と分かっていても、同じ年の男だけに妙にライバル心が沸き起こる。

 

 

 

 

たとえ

 

 

 

……相手が自分など眼中に無くても。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「珍しいわね、サンジ君がそんなに男の人を気にするなんて」

「そんな事ありませ〜ん!俺の目には何時だってナミさんしか映っていませんよ〜!!」

 

体育館横の自動販売機。

1パック60円という安さから人気の在るそこに陣を取り、ナミ用に買ったレモン水を渡すサンジは、身体をくねらせてみる。

 

「でもどうして?

 

いつもの行動にさして関心を示さないナミは、先程話していた続きを強引に推し進めた。

 

「……マリモってーのが気に入らないだけです」

「まりも…ねぇ…」

 

舌打ちしたサンジをナミは興味深く見つめた。

 

 

 

 

 

先日行なわれた高校総体の為の壮行会。

 

その壇上に大勢の生徒がエールを受ける中、些細なことが原因で取っ組み合いの喧嘩をしたのはつい最近だ。

全校生徒の見守るなかで勝負のつかない喧嘩は、司会進行のアナウンスをしていたナミの鉄拳制裁により幕を閉じた。

その後、保健室へ連れて行かれた彼らは、医務のヒナにこっ酷く叱られてキツイ治療を施されたのは有名な話だ。

 

 

 

 

 

 

 

「そんなに気になる?」

「誰をですか?」

「だからゾロよ!」

 

喧嘩の痕だろう口角に絆創膏をはったサンジがとぼけて笑う。ヘラヘラと話を誤魔化す上級生に、やや逆切れ気味のナミが噛み付いた。

 

「俺はあんなクソサボテンなんか興味ありません!僕の興味は、今目の前に居る美しいナミさんだけです―――」

「はいはい、ヒナ先生に頭の中も治療してもらえば良かったのに…」

 

額に手を当てて小さく息を吐くナミを見てその視線を体育か横の水飲み場へと移動すれば、先程から話題になっているあの男が、蛇口に直接口をつけて水を鱈腹飲んでいる姿が目に入る。

 

「何やってるんだ?あんなに水ばっかり飲んで、アイツは水様生物か?」

「どうせ弁当代も無いんでしょ」

 

視線の先を追ったナミが、事も無げに言い放つ。

 

「ゾロって結構良い所の御曹司なのに、何時も貧乏なのよ」

 

飲み掛けのジュースを、ストローを咥えてチビチビと飲んでいたサンジが視線で「何で?」とナミに伺う。

 

「だって…大きな声じゃ言えないけど、ゾロは、小遣いの殆どを酒代にしてるのよ」

「…酒……飯は?」

「アイツ寮生活だから、朝と夜は食事があるの。因みに昼は自力ね」

「馬鹿だな」

 

サンジは、幼少の頃両親に捨てられた。

気が付けば路上生活をしていた自分を保護した大人が、そのまま養父となって面倒を見てくれている。この授業料の高い私立高校も、何も言わずに全額学費を納入してくれているのだ。

 

だから、食に対しては人一倍神経を向ける。

 

飢えの恐ろしさを、身をもって知っているからだ

 

「飯、喰わなきゃ強くはなれねーのに……」

 

その呟きを驚きの視線でナミが見ていた事にサンジは気付かないまま、水道の水をガブ飲みしている男を見詰めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……で?何でてめェが此処に居るんだ!」

「俺が知るか!この女に聞け!!」

「『この女』とは失礼だろうっ!!」

「はいはい。喧嘩はやめてお昼ご飯を食べましょう。せっかくサンジ君が用意してくれたんだもの」

 

昨日の放課後、突然ナミに呼び止められたサンジは、『明日の昼御飯、一緒に食べましょう』と言われ、『たまにはサンジ君お手製のお弁当が食べたいわ!』とも付け加えられた。

二つ返事で了解したサンジに、ナミは含みを持たせた言葉で『出来れば10人分ぐらい作ってきて!スッゴク食べる友達も一緒なの』と依頼した。

 

――― 凄く食べるレディー?

 

サンジの頭の上に沢山のクエッションマークが飛び交っているが、小さく笑いながら立ち去ったナミに質問することも出来ず、サンジは言われたとおりボリューム満点のお弁当を10人前用意し、今日の昼食に至ったのだ。

 

しかし、集まったメンバーで女性はナミただ1人。

他は、噂で聞いたことがある体操のカリスマ1年生と、写真の被写体を依頼されて以来の付き合いになる1年生。それと、先日派手に喧嘩を繰り広げた相手が目の前に座っている。

 

呆気にとられながらも昼食を広げたシートに座った1年生体操部員ルフィは、「うまほー!!」と諸手を挙げて大喜びだ。すぐさま右手に箸を持った少年は、左手で鳥の手羽で作ったチキンフライを掴み一口でそれを食べ終わる。咀嚼の間にもう1本掴み、飲み込んでいないその口に新たな肉を放り込む。

 

――― なんつー喰かたしてんだ!!

 

呆然と見詰めるサンジの視界には、ルフィに全ての肉を取られまいと果敢に弁当へ手を伸ばすウソップ。そして、サンジが用意しといておいた紙皿に弁当のおかずをチョイスして確保するナミの姿も映る。

 

ナミを除いた男たちの食事は、まるで戦場で自分の分とナミを見習い確保した料理も、ルフィが狙って食べつくす。片手で皿を持ちもう片手で箸を持つ。ここまでは普通なのだが、片足は獲物を狙う動物を足で蹴散らし飯を喰う。

 

「てめェら…少しは静かに喰えねーのか?」

「はひ?ホラハフフーニフッテルゾ」

「……口の中からモノなくして喋れ」

 

呆れながらお茶を用意していたサンジに、隣に越を降ろしていたゾロが訝しげに声を掛けた。

 

「お前、飯喰わないのか?」

「後で喰う」

「一緒に喰えばいいじゃねーか」

 

ゾロの話を無視して、弁当を囲む者たちへお茶を配るサンジ。無視したその態度が気に入らず、ゾロはムスッと口を結んだ。

 

「サンジ君、大学からのオファー断ったって本当?」

 

金色の卵焼きを口に運んでいたナミが、何処から仕入れてきたのだろう、学校サイドが秘密にしている事を口にする。

 

「聞いたわよ。青海大学から陸上で推薦が来たのに断ったて話」

「何のことかな?ナミさん。そんな話ありませんよ」

「でも、大学関係者と校長室で会ったんでしょ?」

「俺に用があって会いに来てくれるなら、レディーのほうが嬉しいなぁ。それよりお茶のおかわりは如何ですか?」

 

さらりとその会話を流すサンジに、ナミは訝しげに視線を向けた。

 

「と呆けても駄目よ、サンジ君」

「スゲーな!こんな時期から大学のスカウトが来るのか!?」

「ウルセーゾ、長っ鼻!」

 

お茶を渡す手が僅かに止まり、ギロリと素直な感動を見せる後輩を睨むサンジ。

 

 

まるでこの話には触れて欲しくないとでも言うように、あからさまにナミへと気遣う金髪の男に先程から肉だけを狙って食べていたもう1人の後輩が口を開いた。

 

「なんでだ?」

「……何がだよ?」

 

先程まで食べていたルフィの腹は大きく膨らみ尋常ではない。滑稽な姿で後ろ手を付いた少年だが、その瞳はとても真っ直ぐでサンジは瞳を逸らした。

 

「青海大って言えば、全国的にスポーツでも有名な大学だろう?何で行かねーんだ?」

 

迷いの無い純粋な瞳が痛いほど自分の顔に突き刺さる。それを俯き加減で無言を貫いた男に、ナミは近頃仕入れた情報を口にした。

 

「サンジ君。……まさか本当に調理師専門学校に入学する気なの?」

「調理師専門学校だと?」

「ハイジャンプを高校で辞めるって本気なの?」

 

それまで成り行きを見守っていたゾロが反応し、柳眉を器用に片側だけ上げて金糸の髪で表情を隠す男に視線を向ける。

しかし、隣に座るサンジは、無言でその場に立ち上がると、僅かに顔をウソップに向け「弁当食べ終わったら、部室前にでも置いておいてくれ」とだけ言い残してその場を立ち去っていった。

 

「……やっぱり、あの情報は本当だったんだ」

 

ナミの呟きに首を傾けたルフィは、ナミは知るあろう大学推薦の断る理由を聞いているが、その内容を聞く前にゾロはサンジの後を追って駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

青海大学といえば、近頃自分にも接触をしてきた大学のひとつだ。

だから、ナミが青海大の名を上げた時にその話に耳を傾け、仮に同じ大学に進学できれば嬉しいと思っていた。

 

喧嘩ばかりの男が、何故同じ大学に進学するかもしれないと分かって嬉しく感じたかは理解できない。

ただ、腹の底から湧き上がってきた歓喜は、嘘偽りでない事は素直に受け入れられる。

……それがである。大学どころか競技者としての人生も捨てるというナミの言葉に、腸が煮えくり返るほどの怒りが込み上げて来た。

 

 

 

 

 

 

 

ゾロは一度だけサンジがバーを跳ぶ姿を見ている。

 

部活の途中、暑い防具を脱ぎ休憩をしていた。日が長くなった放課後、風通しの良い渡り廊下を歩いていた時だ。黙々と走り高跳び用のマットなどを準備していたサンジを見つけ、暫くその様子を見ていた。

 

 

軽くストレッチを終えた男は、跳躍の為に静かに走り出し自分の身長よりも高いバーをフワリと飛び越えたのだ。

 

 

 

 

 

踏み切りの瞬間、金髪の男の背中に白い大きな羽根が見えた。

 

何処までも天高く飛んでいきそうなその姿に息を呑み、美しく弓なりにしなる痩身に見惚れて言葉を無くした。

 

 

 

 

『世界で一番綺麗な跳躍かも知れねーな』

 

現像したサンジの写真を見ながら呟いたウソップの言葉が頭を過ぎった。

 

 

 

バーの高さを調節する男を暫く見詰めていたゾロだったが、休憩時間が終わりを告げる頃、後輩に声を掛けられて部活に戻ってしまった。

 

 

 

自分は剣道以外の頃は良く分からない。しかし、サンジがハイジャンパーの才能がある事はなんとなく判る。いや判るのではなく唐突に理解したと言うべきか。

 

しかしその才能を持つ男は……美しい痩身の男は、その翼を自ら引き千切ろうとしている。

 

 

 

 

 

 

 

そして、自分とは全く関わらなくなる世界へと行ってしまう。

 

 

 

 

 

 

 

 

「チョット待て!」

 

先程まで昼食の席を共にしていた男が、後ろから声を掛けてきた。何かと思いつつ振り向けば、思っていたよりも近くにいたゾロがサンジの頬を殴ってきた。

芝生に倒れこんだサンジの上に馬乗りになり、胸倉を掴んだゾロ。

その展開にあっけにとられながら、殴られた理由も判らないため罵声を浴びせようと口を開いたサンジより早く、ゾロは大声でサンジを怒鳴りつけた。

 

「てめェは、簡単に辞めるのか!世界記録と言っている奴が、簡単に辞めんのかっ!!」

「なっ!」

「ゆるさねーぞ!俺はゆるさねーっ!!てめぇは人より高く跳べるんだろう!何で簡単に辞めるんだ。何で大学行って続けねーんだっ!!」

 

 

突然の事にサンジの脳内がついていかない。

 

 

 

何故この男は怒っているのだろう。

 

何故この男は自分が走り高跳びを辞める事に拘るのだろう。

 

何故自分はこの男に言われなければならないのだろう……。

 

 

 

 

沸々と怒りが込み上げてくる。

 

「てめェに関係ねーだろうが!!」

「うるせーっ!!」

 

馬乗りの男は、さらに掴んだ襟を強く握り、サンジの言葉を切り捨てる。

 

「簡単に辞めるのか!?てめェにとって跳ぶことは遊びなのか!?」

「だからクソ剣士には関係ないだろうっ!!」

「答えろ、サンジ!!」

 

始めて自分の名前を口にされて驚いた。

何時もは『てめェ』や『素敵眉毛』『グルグル眉毛』『アホ頭』などなど…。サンジ自身も相手の名前をまともには呼ばないのだからお相子だが、それでも始めて名前を呼ばれて吃驚してしまった。

 

大きく開いた目で目の前の怒りをあらわにした男を見る。呆然と見詰めていた時に、それは起こった。

 

 

再度殴られた頬が熱い。

 

 

それ以上に……

 

 

気が付けば、焦点が定まらないほど近くにある顔。サンジの唇に押し付けられたモノ。それが目の前に居るゾロの唇と判るまでに数秒のタイムロスがあった。

 

 

離れていった男を、数度瞬きして凝視する。

言葉なんか出るわけが無い。驚きのあまり言葉を失ってしまった。

 

 

 

掴んでいた襟を放したゾロは、サンジの体から退きその場に立ち上がった。

何で目の前の男にこんな行為をしたのか判らない。ただ、それは唐突だとは思うのだが、自分の気持ちに間違いはないと思う。

 

 

目の前にいる男と同じ大学に行ければ…。

 

目の前にいる男が自分と全くかかわりの無い世界に行くことを悲しく思うか…。

 

目の前の男を失う事がどれほど寂しいか…。

 

 

時々見せる素直な笑顔を自分に向けてくれた時、腹の底から温かくなった。

 

 

 

 

その男が、簡単に全てを捨てていく!

 

 

 

その中には…自分も含まれているのだ。

 

 

 

 

「俺は、てめェがプライドもって跳んでいると思っていた。だが、そうじゃねーのか!?」

「……」

「何か言え!アヒル頭!!」

 

 

その瞬間ガツンと脛に痛みが走った。

サンジが繰り出した蹴りは、見事にゾロの足を払い背中から無様に倒れている。

逆にサンジがその場から立ち上がり、ゾロを見下ろす形になった。

 

「さっきから聞いてりゃ、すき放題言いやがって!その上……き…きききき」

「き?」

 

カーッと赤い顔をゾロに向けたサンジは、再度ゾロの腹を蹴りギッと睨みを入れる。

 

「現実は夢だけで喰えねーんだ!アホマリモッ、一度死んどけっ!!」

 

そう言いながらもう一度蹴りを入れようとするが、ゾロと視線が絡まると逃げるように走り出し、あっという間にその姿は視界から消えてしまった。

 

 

 

「……俺は諦めねーからな」

 

何を諦めるのか?自分で呟いた言葉の意味も理解しないまま、ゾロは男の立ち去った方向を見詰めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――で、ナミ。サンジは何で大学に行かないんだ?」

 

その日の放課後、部活帰りに校門で出くわしたルフィとナミ。それとゾロにウソップは、1360円とこれまた安さだけが売りのラーメン屋に入り夕食前のおやつとしてラーメンを食べている。

と、言ってもおやつとして食べているのはルフィとゾロだけなのだが・・・。

 

ルフィの口からでた名前にナミは言葉を詰まらせた。「……本来はこう言う事は本人が話すべきことなんだけど」と前置きをしながらも昼食時話さなかったサンジの事を語りだした。

 

「ウソップは知っているわよね」

「……サンジの家の事か?」

「うん、サンジ君の実家は有名なフランス料理のお店なの。よくテレビとかでも紹介されているわ。でも、サンジ君は養子なの」

「本当の両親はどうしたんだ?」

 

麺を啜りながら器用に質問するルフィに視線を置いたナミは、小さく息を吐いた。

 

「本当の両親は行方がわからないんだって」

「どうしてだ?」

「気付いたら『捨てられていました』って、サンジ君笑っていたわ」

 

ひょんな事からレストランの話になった時、サンジは自分の生い立ちを笑って話してくれた。慎ましくても普通の家庭の味を知らないサンジは、お袋の味や故郷の味に憧れてそれが料理を作るきっかけになったとも話してくれた。

 

「青海大って私立じゃない。授業料凄く高いのよ」

「養父は金出してくれないのか?」

 

ルフィの質問は最もだとゾロも頷く。しかし、普通の一般家庭でも私立入学はお金の面で二の足を踏んでしまう高額な授業料だ。そこに入学金に寄付金に何だかんだと付けばどれほどの出費がかさむか……。現在在籍中の高校も結構なお金の掛かる高校である。これ以上養父にお金を出して貰う事を嫌がるサンジは、進学と言う選択肢を捨てたのだ。

自分の道をお金の工面で遮られた事の無い特待生2人は、理解できないのだろう。

 

「奨学金はどうなんだ?」

 

ウソップは質問する。

 

「あのね…、奨学金は将来返さないといけないお金なの!様は借金なのよ。卒業してからそのお金は返済していかないと駄目なの、解る?」

「それじゃ駄目なのか?」

 

箸を止めたゾロの質問にナミは首を軽く振った。

 

「結構……大変なのよ。勿論在学中の成績にも気を配らないといけない。サンジ君の場合、陸上の特待になるから、成績を常に求められる。怪我でもして跳べなくなったら即アウト!卒業して就職しても、初任給から高いなんて上手い話がそう転がっていないでしょ?生活費を稼ぎながら借金を返すって、キツイのよ」

「だったら、ハイジャンプで世界目指せばスポンサーが着くんじゃねーのか?」

 

スープを啜りながら気楽にその言葉を口に出したゾロの後頭部を、ナミは遠慮なく叩く。

 

「馬鹿ね!どれだけの競技者にスポンサーが着くのよ!簡単に言わないで!!」

 

実際スポーツ選手個人にスポンサーが着くことは一部の競技以外はとても難しいことだ。

テニスやゴルフの様に、プロ契約をすると必然的に契約が持ち上がる世界もあれば、あまり知られていないスポーツになると、競技団体でもなかなかスポンサーを探すのが難しい現状。テレビで活躍しているアスリートと言われる競技者は、全体の数パーセントの選手たちだ。それも、メジャーなスポーツが多い。

 

サンジのハイジャンプは、学生時代に体育の授業で誰もが経験したことのあるスポーツ。しかし、それが競技となればテレビへの露出度がほとんど無くなり、人気スポーツとは言えないものになる。

たとえサンジが世界の頂点を極めても、常に話題性がなければスポンサーも着かないのが通説。着いても僅かなお金を工面して、海外遠征を繰り返す毎日。トップアスリートは誰もが金持ではない事をナミはよく理解していた。

 

「……だからサンジ君は、学校を卒業したら養父のレストランで働きながら調理師免許を取るらしいの。それが現実的に硬いでしょ」

 

厨房に立ち込める湯気を目に映しながら、ナミは静かに呟いた。

 

「あれほど綺麗なジャンプをするサンジ君が、ハイジャンプを嫌いなわけないじゃない」

 

世の中好きでも出来ない事があるのだと消え入りそうな寂しい声色で付け加えた。

 

 

 

ラーメンを食べ終えた男たちは、無言で自分の身を考えてみた。

ルフィとゾロは、両親が会社経営をする俗に言われるセレブ階級の人間なので、学費の工面など考えたことも無かった。もし、仮にサンジの立場ならどうしただろうか?やはり、卒業後は働くことを考えるだろうとゾロは思い、それでも夢を諦めないために走り続けるとルフィは心の中で誓う。

ウソップもまた考えた。自分は運よく写真展で認められて、高校生ながらプロのカメラマンとして給料を貰っている。しかし、もし仮に現状と違っていたらどうだろう?一般家庭の人間である自分は、高額な授業料を収めなければならない大学を志願するだろうか?良くて専門学校へバイトをしながら通うのではないか?

 

「今度の総体が最後なのか?」

「国体には出ないって言っていた」

 

ゾロの質問にウソップが答えた。

 

「総体で標準記録を突破すれば、11月に行われる世界陸上に出られるらしいここで標準を落としたら、その時点で競技を辞めるって言ってたぞ」

「……早く膝治ると良いわね」

 

ポツリと呟いたナミの言葉に反応したウソップは、

 

「跳べないのはスランプだって聞いた!」

 

と驚きの表情を浮かべた。

少しの間を置き、少し延びてしまった麺を啜りナミは眉根を寄せる。

 

6月ぐらいかな?練習中に怪我したって言っていたわ。何でも近くでふざけていた学生が、助走中のサンジ君にぶつかってその生徒と縺れて膝を捻ったんだって」

「……じん帯か?」

 

ゾロの指摘は当たっていた。

どんなスポーツでもそうだが、膝の事故は尽きない。しかし競技者としての致命傷になるその箇所は、なかなか治り難い。日常生活でも頻繁に使うために、治すのに時間も掛かる厄介な場所だ。

 

「サンジ君の踏み切る足…彼は右足で踏み切るんだけど、その膝を強く強打した上に捻ってしまったらしいの」

「でも、この頃結構高い棒跳んでたぞ?」

 

替え玉を頼み食のペースを落とさないルフィは、麺を口に入れながら首を傾げてみせる。

 

「医者からは止められているらしいけど、サンジ君って結構頑固なところあるのよね」

 

苦笑いを浮かべたナミにゾロは視線を向けながら、先日見たサンジの部活風景を思い浮かべた。

肯定の隅でストレッチをしているサンジの身体は柔らかく、正直ゾロは驚いた。ルフィも柔らかいのだが、サンジの柔らかさは違っている。ルフィをゴムまりのように弾む力強い弾力性の柔軟だとすれば、サンジは優雅な動きのある柔軟。決してなよなよしているわけではない。だが、柔軟と判っていてもその動きは何処か高等な踊りを見るようで。

 

「……今度の大会大丈夫なんか?」

「さぁ、本人のみぞ知る?ってところかな」

 

ゾロの呟きに律儀な返答をしたナミは、サンジの話しを強引に打ち切り、さも他愛の無い会話に終始した。

なんとなくこれ以上の詮索は、欠席裁判のようで嫌だったのだろう。察した男達は、その場でサンジの名を口にはしなかった。

だが、ゾロの脳内には、昼間走り去っていった痩身の足並みが僅かだがぎこちない事に今更気付き、小さく舌打ちをした後ため息を零した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月の下旬になり、ゾロ達は高校総体の為に開場である都心地域に宿を借り、最後の練習に余念が無かった。

学校単位で宿を借りているので、同じ高校で総体に出る選手は勿論、大きなホテルを借りたために他県からの学生も会う機会がある。ライバルと目される競技者同士が会うこともしばしばで、ホテル内の空気は張り詰めたものになっている。

 

それでもそこは高校生で、交流があったり、中に余裕があるのか自棄なのかナンパや追っかけなどに興じる学生も居る。楽しまなければ損だと、門限を破って街に飛び出る学生も居るために一種お祭り騒ぎになっていた。

総体は多くの競技が行われるために日数も長く開場も多くの場所を借りて行われる。

出場選手全てが総合開会式に一度参加し、その後競技毎に開会式を行う。

開場の関係上、それが総合開会式から明日の競技もあれば、半月後の競技もある。

だからこうして色々な競技選手が、一同に集まるこの時期特有のお祭り感覚は、遊び盛りの高校生にとって、緊張の緩む貴重な時間でもあるのだ。

 

 

しかし、そこは総体と名の付く大会。遊び気分も程々に広い中庭で練習する生徒は大勢いて、その場でラケットを振るもの、基礎トレーニングに励むもの、なかにはホテルの周辺をランニングするものと活気は消えない。

日中は、近くの格技館で練習しているゾロ達剣道部員は、夕食後の自由時間を自主稽古として中庭の一角で素振りをしている。勿論強制ではないが、気合の入れようから全員がそこに集まり黙々と竹刀を振る姿は、近付くには度胸のいる空間を作り出していた。

その雰囲気にのまれない体操部員ルフィは、ゾロの素振り風景を眺めながらどこかで購入してきたのだろうか、骨付きのチキンフライを食べ続けていた。

 

「あんまり食べると腹壊すぞ」

「大丈夫だ。まだ10個は喰えるぞ!」

 

自慢にもならない数を口にしながら咀嚼する年下の友人は、今大会体操の注目株である。大きなトラブルさえなければ、順当に1位を取るだろう少年は、パクパクと食しながら首を傾けて何かを考え込んでいた。

 

「どうした、深刻な顔してるじゃねーか?」

 

普段元気な少年らしさを前面に出すルフィが、腕を組んで考え込む姿を見たことは少ない。うーんと唸る彼を見兼ねて素振りを止めたゾロは、悩むルフィの横に腰をドカリと落とした。

 

「さっき、肉買いに行った帰り、玄関でサンジに会った」

 

いきなり出てきた名前にタオルで汗を拭っていた手が止まる。

『お弁当の日』の一件以来お互いを避けていたサンジとゾロは、まともに顔さえも見てはいない。しかし、脳内を占める殆どが気に喰わないその男で、イライラとした感情が毎日積み重なっている。

不意打ちを喰らった感のある名前に動揺を隠しつつ、ゾロは訝しげにルフィを見た。

 

「酷く顔色が悪くて、非常勤のチョッパーとタクシーに乗って出掛けたぞ」

 

チョッパーは、スポーツ医学を修得している優秀な医者である。スポーツの盛んなゾロの学校に非常勤として通い、部活や授業で怪我をした生徒達の管理を任されている。

そのチョッパーが、総体のために自分の病院を休業して付いてくるとは聞いていない。しかも、ルフィが見間違えるほど何処にでもいそうな風貌の医者ではない。

 

「……何しに出掛けたんだ?飯でも食べに出掛けたのか?」

「それは違うだろう」

「でも、やけに急いでいたぞ?」

「アイツが一緒にタクシーに乗ったって言ったな?」

 

悩むルフィに再度ゾロが確認する。

 

「あぁ、酷く顔色が悪かった。……お腹でも壊したのか?」

 

ルフィの答えは、どうも見当違いの方向へといっているようだ。

 

別段サンジが何をしようと自分には関係ないことだ。と頭では割り切っているのだが、心は思うように動いてはくれない。

あの男の噂話や、通りすがりの生徒が話す他愛も無い会話に耳を欹て、ついつい意識が向かってしまう。

自分の知らない所であの男の話しをされていることが悔しい。勝手に男の将来を決めて話す人間を張り倒したくなる。

 

いや、彼を取り巻く全ての人間からサンジ本人を隔離したくなるのは何故だろう。

 

努力して積み上げたハイジャンプの能力を惜しげもなく捨てようとする男にイラつくのは何故だろう。

 

あれだけの人望があり、人気があり、才能があるあの男には、誰一人として所有権がある事など無い。

なのに、何故自分はあの男にこれ程までに執着しその噂を耳にするだけでイライラとするのだろう。

 

 

 

 

その後の自主練習は全く集中できなかったゾロは、部屋に帰るのも何故か躊躇い深夜近くまでロビーのソファーに腰掛けて何するでもなく玄関を見詰めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……おい」

 

 

 

「起きろ……クソ剣士」

 

 

 

「……マリモ頭」

 

 

 

 

 

「グエッ!!」

 

腹にきた衝撃に目を覚ましたゾロは、薄暗い室内で自分を見下ろす男と目があった。

 

「こんな所で寝るな、ちゃんと部屋に行け」

「お前帰ってきたのか……」

 

噛み合わない会話だが、その言葉にサンジは僅かながら身を引いた。

 

「大丈夫なのか、脚は?」

「…てめェなんで」

 

ゆっくり立ち上がったゾロは、驚き目を大きく開けている間抜け面の金髪をじっと見詰めた。

 

「ルフィがチョッパーと出掛けるてめェを見た。だから近くの病院に行ったんだろうと思って……」

 

ガリッと頭を掻きながら俯き加減にボソボソ話すゾロは、普段の尊大な態度の彼とはかけ離れている。まるで小さな子供が必死に言い訳を口にするようで、サンジはフワリと笑顔を向けた。

 

「心配してくれたのか?」

 

揶揄するような物言いにムッと顔を顰めたゾロに、サンジは眉根を寄せて目を細めた。

 

「俺の事よりてめェ自分が風邪でも引いたらどーするつもりだ?早く布団に入ってって、おい!!」

「……あぁ、そうだな」

 

寝ぼけた眼のまま曖昧な返事をしたゾロ。次の瞬間いきなり二の腕を掴まれたサンジは、有無を言わさず強引に歩き始めたゾロに引き摺られながらエレベーターホールへと連れて行かれる。開いたドアに滑り込んだゾロは、自室の階のボタンを押し閉じたドアにサンジを押し付けると、素早くサンジの唖然と開く唇に自分の唇を押し当てた。

驚愕で固まったサンジだが、直ぐに我に返ると自分を力任せに抑えている男の胸を力一杯突き飛ばし怒鳴り上げた。

 

「てっ――――てめー、何するんだ!!ってーか、こんな所でするなっ!!防犯カメラとかあるだろうっ。俺が変態に思われるじゃねーかっ!!」

「ん?防犯カメラなんかあるのか?」

「あるんだよっ!馬鹿っ!!」

 

突き放されながらも腰をしっかり抱きかかえるゾロは、きょろきょろとエレベーター内を見回す。

 

「無いじゃねーか、嘘吐き野郎が」

「普通は隠してあるんだよっ!!ノータリンマリモッ!!」

 

しつこく顔を寄せてくるゾロの顎を押しやりながら、サンジは怒鳴り続ける。

 

「そもそも何で男にキスされなきゃならねーんだっ!まてまて、そーゆー問題か!?てめェはホモか!?いや問題はそこじゃねーのか??」

 

余の事に支離滅裂な言葉を発しているサンジを、呆れながらも笑って見ているゾロにサンジは脛に蹴りを入れた。

 

「てめェが笑っているんじゃねー!!」

「そうか?」

「それで納得したなら、この手を離せっ!!」

「駄目だな」

 

罵詈雑言を言い尽くす勢いのサンジを見ていたゾロは、グッとその顔をサンジへと近づける。

 

「そうだな、何で俺は、お前にキスなんかしたんだ?」

 

首を傾げて悩むゾロに他意はない。

 

「そんな事を疑問系で俺に聞くなっ!!」

 

真っ赤になって怒りを露にするサンジを冷静な瞳で見詰めていたゾロだが、エレベーターのチャイムが鳴ると掴んでいた肩を僅かに引き、扉が開いた瞬間再びサンジを引き摺り廊下を歩き出した。

 

「てめェ!いい加減離しやがれっ!!」

「煩いと人出てくるぞ」

「――― グッ」

 

照明の落とされた薄暗い廊下で深夜大声を上げていれば、その階に部屋を取っている他の客が廊下に出てきても不思議ではない。悪くすればフロント当たりに電話を入れて警備が来るなりしたら一大事だ。

サンジは不本意ながら口を閉ざし、掴まれたままの腕を振りほどこうと抗うことに専念した。

 

「ちと大人しくしてろ」

 

馬鹿力の持ち主ゾロに敵うはずもない腕力で、サンジはさらにゾロが借りていると思われる部屋の前に連れて行かれ、あれよと言う間にその部屋へ強引に押し込まれた。

 

 

 

 

 

 

サンジは部屋に入って文句を言おうと口を開いたが、その口は開いたまま呆然と言葉を失った。

 

 

自分たちが借りている部屋のつくりと全く違うではないか!!

贅沢な空間、リビングと思われる空間に重厚なソファーとテーブル。簡易なバーは、お洒落なライトアップ。大きな窓から望めるビューは絶景の夜景。寝室らしき部屋は扉を挟んでいる。

今、サンジが借りている部屋は、一般のツインルームだ。そこに簡易ベッドを入れて3人で使用している。しかしこの部屋は、どう見ても自分とゾロしか居ないのだ。

 

……と言う事は、1人で?

 

思い出してみればエレベーターに乗った際、ゾロはボタンを押す前に何やらカードを差し込んで操作していた。あれが噂に聞くセキュリティーの高い部屋へ入る為のキーだったのか!?と自己完結してしまう。

だいたい何で学生のゾロがこんな高級な部屋に1人きりで泊まっているのか!?

と言うか、この部屋は1泊幾らなのか?

訳がわからない方向へグルグル思考が動いている。

 

「おい、服脱げ」

「は?」

 

アホ丸出しで部屋を見回すサンジを、寝室のベッドに投げたゾロは不機嫌に言い渡す。

 

「『は?』じゃねー、早くズボン下ろせアホ眉毛」

「なんで俺がズボン脱がなきゃいけねーんだ!」

「良いからとっととしろ!」

 

転がるサンジの上に乗り上げたゾロは、強引にズボンへと手を伸ばす。

勿論そのままなされるがままのサンジではない。

 

「この変態剣士!俺に何する気だっ!!」

「あぁ?何するって何かして欲しーのか?」

「はぁ?」

 

ベッドに組み伏せられているサンジは、意味がわからない。

 

「お前……何がしたいんだ?」

「膝見せてみろ」

「………」

「チョッパーと医者に行ったんだろう。見せてみろ」

「診てもらったんだ、てめェが見る必要ねーだろう!!」

 

ベッドの上で健全な男が2人。

サンジは自分の状態を想像して泣きたくなってきた。何故こんなにも豪華なホテルの一室で自分は、男に組み伏せられているのだろう。

 

「あぁ!?お前包帯取っただろう」

「!!」

「ちゃんと包帯しねーと余計酷くするぞ!」

 

ムッと眉を顰めてサンジを見下ろすゾロの顔には怒りがある。

サンジのズボンを強引に下ろし右膝へと身体を動かすと、ゾロは治療の直ぐ後だろう薬のにおいがまだ残る膝頭を慎重に押した。

 

「――― っ!!」

 

顔をゆがめたサンジに気付き再度慎重に膝の周り裏を触診するゾロ。

 

「酷く捻ったな。じん帯は……切れてねーんだな。でも、手術してしっかり治さねーと半月板や軟骨が使えなくなる。普段の生活でも膝崩れとかするだろう?結構膝は厄介だ、ちゃんと治せ」

「別に俺はスポーツを続けるわけでもねーし……」

 

ゾロの真剣な態度に始めは暴れていたサンジだが、今は半身を起こし黙ってゾロのしている事を見ている。しかし、治せと言われその視線を外し口内でゴニョゴニョと言い訳がましく呟いた。

 

「これが終われば俺はハイジャンプを辞める。だから―――」

「黙れ!」

 

ビシリとゾロの声が部屋に響く。

ゾロは燃えるような目でサンジを見ると、語気を強めてサンジに言い渡した。

 

「てめェは俺と大学に行くんだ。それでちゃんと夢をかなえろ!」

 

あの口で固まったサンジはリアクションに詰まる。

 

「世界目指しているんだろう!?高跳びすきなんだろう!?簡単に諦められるのか?」

「簡単になんて諦めてねー!」

 

黙って聞いていたサンジは大声で言い返す。

 

「てめェに何が分かる!!いいとこのボンボンが何分かるんだっ!」

「……金か?」

 

サンジの脚を抱えたままゾロは静かに聞き返す。

 

「確かに俺は生活の心配をしたことはねー。進学するにしろ親の金を当てにしている事は認める。だが、無駄に金を貰った事はねーぞ」

「でもボンボンには変わりねーだろーが!」

「あぁ、そうだな」

 

サンジをベッドに残し一度寝室から出たゾロは、再び戻ってくると手には救急箱らしき入れ物を持っていた。

 

「勝手にホテルの備品使うなよ。結構高けーぞ!?」

「気にするな、この部屋は年間通して親父が借りている部屋だ」

「へ?」

 

なんてアホな顔をするんだろうと見詰めるゾロを他所に、サンジは聞いた内容が理解できずに悩む。

ベッドに腰掛けたゾロは、サンジの足元に近付くと救急箱を開けながら説明した。

 

「親父が出張なんかで仕事の時に使う部屋だ。始めは俺も下の階で皆と同室だったが、どっかの女が押しかけて来てえれー騒ぎになった。これ以上騒ぎになるのも皆たまんねーからな、俺はこっちに移動したんだ」

「……そうか」

 

案外仲間思いの男にサンジは感動をおぼえる。

 

「ここなら酒も飲み放題だ」

「…………」

 

本心を聞いて額に手を当てたサンジの膝を少し折り、ゾロは救急箱から器具を取り出した。

慌ててその手を掴むサンジにゾロは訝しげな目線を送る。

 

「これは低周波を出す機械だ」

「そうじゃねー!……えっと、治療するのか?」

「医者に行っても湿布取っちまったら意味ねーだろう。やり直しだ」

「てめェ…やけに怪我の事詳しいんだな」

 

触診をするゾロにサンジは首を傾げつつ疑問を投げた。

 

「親父は俺が小さい頃から手加減無しで竹刀を叩き込んできたからな。打撲とか切り傷はしょっちゅーだった。だが、間接だけは大事にしろって煩くてな、医者の所に行かされて勉強させられた」

「ふーん」

 

膝の裏を丁寧にさするゾロにサンジは困った顔を向ける。

 

「何か問題でもあるのか?」

 

ゾロはサンジの表情を視界の片隅にいれ、パットを装着しようとずる手を止めた。

 

「あぁ…、気持ちは嬉しいんだけどよー…」

「なんだ?」

「風呂入りてーんだ」

 

サンジの呟きを無視し器具の装着を始めたゾロにサンジは再度言葉を掛ける。

 

「風呂入りてーから治療は……」

「1日くらい風呂に入らなくて死なねーからいいだろう」

「あぁぁ!首筋とかベタベタしてるんだっ!!気持ち悪いだろう、死んじまうっ!!」

 

フーと息を吐き、手を止めたゾロは、小さく舌打ちをしてサンジの顔を見詰めた。

 

「判った。ならシャワーだけにしろ。風呂場はあっちだ、お前が入っている間に俺がお前の荷物を持って来てやる。何号室だ?」

「は?」

「アホ面晒すな。だからてめェは何号室に居るんだ?」

「アホ面ってなんだっ!!……421号だけどよー」

「うし!」

 

ゾロは素早く立ち上がるとサンジの借りている部屋へ連絡を入れるために電話の前へと移動し、部屋へ連絡を入れると尊大な態度でサンジの荷物をまとめておけと命令口調で言い渡した。

その内容に目が見開いたままのサンジ。振り返ったゾロが首を傾げる。

 

「どうした?風呂入んねーのか?」

「そうじゃねー!何で俺の荷物全部持って来るんだ!?」

「てめェ頭悪いな。今日からこの部屋で泊まれば問題ねーだろう」

「だからなんで俺がてめェと同室にならないといけねーんだ!」

 

耳の穴をガリッと掻いたゾロは、ため息をつきながら寝室から出る為に歩き出す。

 

「治療するのは俺がしてやる。だからここに居ろ」

「あ?」

「てめェは、俺の傍に居ろ。大学もそうだ。金が無いなら部屋は、俺と一緒にアパートを借りれば良い。とりあえず学費は奨学金で賄え、生活費は俺もバイトする。まぁ……何とかなるだろう。だから絶対俺から離れるな!」

 

そう勝手に言い放つとゾロは部屋を出て行ってしまった。

 

 

 

 

 

残されたサンジの顔が赤く染まっている事など気づかないで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

満員のスタンドに熱気のあるスタジアム。

総体5日目の今日は、陸上競技でハイジャンプを含む数種の陸上競技が行われる。

サンジの出場するハイジャンプ開始時刻は、1020分から。近隣の高校で場所を借りて練習していたゾロは、強引に練習を抜け出し陸上競技場に足を運んだ。勿論着替えている時間など無かったので、上はジャージに下は袴。踵を履き潰した白のスニーカーを引っ掛けてこの場に来た。観客スタンドの最前列。異質な格好のゾロに近付く者はいない為、そこだけポッカリと穴が開いたように観客はいなかった。

 

「アンタなんて格好でいるのよ」

 

頭上からの声に反応して顔を上げたゾロの視界には、数日後夏の高校野球全国大会で開会式のアナウンスを担当するナミが、呆れ顔で見下ろしている。

 

「アンタのその格好と異様な雰囲気で周りに人が座れないじゃない」

「俺の勝手だ。それよりあっちはいいのか、打ち合わせとかあるんだろう?」

「そんなものどーってこと無いわ。それよりサンジ君はどうなの?」

 

ナミは、文句を口にしながら当たり前のようにゾロの隣へと腰掛ける。その光景に何処からか悲鳴じみた黄色い声が聞こえる。

ウンザリする2人は、それでも気を取り直しフィールドでアップをするサンジへと意識を向けた。

 

「今一だ」

「……みたいね。聞いたわよ、サンジ君を1週間監禁したんだって!?」

「人聞きの悪い事言うなぁ」

 

どこから情報を得たのだろう。ナミはここ1週間のゾロが取った行動を全て知っているような口ぶりだ。相変わらずの情報網に「魔女だ」と小さく呟きながら笑みを浮かべる。笑っても物騒な顔でゾロは前を見詰めた。その視線には、サンジが映っているに違いない。

 

「たまたま親父の借りていた部屋がホテルにあっただけだ。あそこなら部屋に食事を運んでもらったり、結構わがままが利く。出来るだけ膝を動かさないで治療に専念させたほうが良いからな」

「そんなに酷かったの?だから総合開会式にも出さなかったの?」

「あぁ、チョッパーの話しだと前十字靭帯を伸ばしたらしい。そこへ無茶を重ねたからな、軟骨も傷ついているかも知れねーな」

「ふーん……」

 

ゾロの表情を見ていたナミは、何か言いたげな含みのある返事を返す。その響きに隣に座っているオレンジの髪の後輩へ視線を向けたゾロは、眉を顰めてその意を読み取ろうとした。

 

「何が言いてーんだ?」

「だって、どうしてあんなにも仲の悪かったサンジ君に、そこまでするのかなぁ…って疑問に思うでしょ?」

 

肩をあげて大の大人も裸足で逃げ出すゾロの表情を軽く往なし、素直に疑問をぶつけるナミ。

 

「あぁ…、そうな」

 

再度前方を見たゾロは、厳しい顔を崩さず話し始めた。

 

「俺もよく判らねーんだ。ただ…アイツはほって置くと馬鹿なことばかりする。自分を全く顧みなくて、人のことばかり優先して。だから目が離せねーんだ。気になって仕方がねーんだ」

「ふーん」

「なんで気になるんだろうな?馬鹿な事やろうが俺には関係ないんだがな」

 

腕を組み真面目に悩むゾロの姿に、ナミは呆れて言葉も出ない。

 

「なんでって……自分で判っていないの?」

「あぁ、お前は判るのか?」

 

小さく息を吐き出し、首を横に振るナミは、心底呆れて大きなため息を芝居がかった様子でついてみせる。

 

「本当に判らないの?アンタ馬鹿ね」

「あぁ!てめェ…」

 

ゾロの強めた語気に負けじとナミの視線に力が入る。

 

「自分が言っている事も理解できない馬鹿は、馬鹿以外なんだって言うの?」

「……?」

 

その言葉に首を傾げるゾロは、本当に何か考えているのだろうか?

 

「良い?もし……もし私やルフィが同じ怪我をしたら、ゾロはサンジ君にしたような事を私たちにもする?」

「……しねーな」

「どうして?」

「心配はするが、そこまで俺がやらなきゃならない事じゃねーだろう」

「じゃぁ、サンジ君だって同じでしょ?」

「………」

 

アップを終えて1回目の跳躍に入ったハイジャンプの選手たちが跳躍を成功させる度に、観客席から大きな歓声が上がる。

 

「サンジ君が特別なんでしょ?」

「特別?」

 

ベンチでジャージを脱ぎユニフォーム姿になったサンジをゾロの視線が追っている。黒のユニフォームに対し膝の白いサポーターが痛々しく感じる。綺麗な細い眉を顰めと目を細めた顔は、普段のゾロを知る人間がみたら驚くだろう。

 

「確かに俺はアイツを傍に置きたいと思う。それは確かだが……」

「その感情は何処から来るの?」

「???」

 

ナミの投げた疑問は、ゾロに理解できない。

 

「なんで傍に置きたいの?なんでほって置けないの?なんで気になるの?」

「そりゃぁ…アイツが馬鹿だから…」

 

「馬鹿な連中ならもっと他にもいるでしょう」とゾロを見捨てる様に投げた言葉で返すナミにムッとしながらも、ゾロはサンジの跳躍に視線を送る。

 

名前がコールされて暫くバーを見ていたサンジは、マーカーの場所へ移動すると軽いステップで助走を開始した。

マットに近付くにつれスピードが上がる。最後の数歩…大きなピッチへと変え右足で踏み切ると、その痩身をフワリと空へと舞い上がらせた。

ドサリとマットに落ちたサンジの跳躍は成功し、安堵の息を漏らすゾロとナミ。1回目の試技は無難意こなしたかに見えたサンジを、しかめっ面でゾロの隣に腰掛けたウソップが唸るように呟いた。

 

「フォームがバラバラだ」

「来てたの!?」

「俺も居るぞ!」

 

ウソップの隣には、明日隣の室内会場で大会が控えるルフィの姿も…。

さすがのゾロも驚いたが、ルフィらしい行動に笑いを零す。

 

「サンジ……辛そうだな」

 

ウソップが自分の痛みのように顔を歪めてサンジを見詰める。

 

「そう?痛そうに見えなかったけど…」

 

ウソップの言葉にナミが聞き返す。

 

「痛み止め打って貰ったらしいぞ」

「あぁ、ヒナが怒っていた!無理だって」

 

席に着く前に校医のヒナと会った2人は、顔を見合わせて頷く。

 

「サンジ強行に出場しようとしたから、ヒナが怒り狂っていた」

「結局チョッパーが痛み止めの注射を打ったらしい」

 

新たな情報にゾロとナミは顔を歪める。

そこまでして出場する意味があるのだろうか?下手をすれば、日常生活にも差しさわりが出る前十字靭帯の損傷。手術も視野に入れての早期治療を考えるべき状況なのに…。

 

 

 

 

 

走り高跳びの競技は、予選からそのまま決勝へと移っている。

その間トラック競技場でも、予選から決勝へとコマを進める数種の競技があった。時折スタンドに木霊する歓声は何処で行われている選手に送るモノなのだろうか?

そんな中、ルフィ、ウソップとナミ。そしてゾロは、ただ一点の競技に視線を向けていた。

 

バーの高さが上がるにつれ、1人また1人と脱落していく。歓声と溜息が走り高跳びを見詰める観客席から聞こえてくる。

走り高跳びのルールとして、3回続けて失敗すると、次の跳躍をすることが出来ない。競技を終えた選手は、地に落ちたバーを見詰め歯を食い縛り悔しさを表情に表すが、スタンドから送られる温かなエールに答えてマットの上で両手を挙げ挨拶すると、深く頭を下げた。

 

そしてバーの高さが197cmの時点で残っているのは、サンジを含め3人。

この時、既に3人とも2回の試技を失敗しているため、残るチャンスは次の1回。崖っぷちの選手達は、今まで以上に気合を入れている。

 

「サンジ君……本当に追い詰められたわね」

 

ナミがポツリとこぼした言葉にゾロは無言のままだ。

サンジは、他の競技者より跳躍回数が多い。それは即ち失敗した数が多いという事。ルールにより『同記録の高さで、跳躍回数の少ない方を勝者とする。』と定められている為ここでサンジが跳べなければ、順位は3位確定となる。

 

「すげー辛そうだな…」

 

カメラを構え望遠レンズで備にサンジを見るウソップの表情は硬い。レンズ越しにも普段から白いその顔が、何時もより青く感じてならない。隣に座るルフィは、何時もの陽気な笑顔は無く、背筋を延ばし真剣な眼差しでサンジを見ている。

 

「大丈夫だ。サンジは跳べる!」

 

根拠の無いルフィの言葉だが、仲間の胸にはそれが本当に起こる事なのだと確信にさえ聞こえてきた。

 

どっと沸きあがったスタンド。

1人目の跳躍者がバーを跳び越しマットに背から落ちた瞬間、無常にもバーは地に落ちた。大きな溜息が会場を支配する。そして、大きな拍手が選手に送られ、その選手の試技は全て終わった。

 

「本来のサンジなら、こんな高さ問題じゃねーのに…」

 

鼻の長い後輩は、悔しそうに言葉を吐く。

 

「怪我も実力のうちだ」

 

そう冷たく切り替えしたゾロのは、赤みを失い眼光だけが鋭く増している。膝の上で握り締めた拳は、僅かに震えている。傍若無人、神も畏れぬこの男は、今見えない恐怖と戦っているようだとナミは静かに見守り、視線からゾロを外し、サンジを見つめると、両手を組み神へ祈った。……敬虔な信仰者ではないが、どんな神でも縋りたい気分だ。

 

次の跳躍者も失敗に終わりサンジの名前がコールされる。

すでにユニフォーム姿のサンジは、ゆっくりとベンチから立ち上がり身体を解し始めた。コールから1分以内に跳べは良い走り高跳び。時間をゆっくり使ってサンジは、自分の置いたマーカーへと移動する。

俯く男の表情は見ることが出来ない。

だが、僅かに引き摺る右足は、何時膝崩れを起こしても不思議無い状態だろう。

 

「俺は……」

 

ゾロは誰に言うでも無く呟いた。

 

「アイツから目が離せないのは、気に入らない真逆な軟派な男だからと思っていた。だが、そうじゃねーんだ…。女に媚売って馬鹿みてーに利用されて捨てられても、怒る事無く笑っているアホ面見ると腹が立つ。だがそれは、アイツに腹が立つんじゃない……利用した女に怒りが湧く」

 

淡々と話すゾロの言葉にナミとウソップ、ルフィが視線を向けて耳を傾ける。

 

「男には汚い言葉を吐き出すが、実際は根が優しい奴だと判っているし、その優しさを誰にでも向けることがすげー気にくわねー。だが…それは俺の身勝手な気持ちだ。どんな奴にも最後は甘いアホだから、自分が損したり、傷ついたり……見ていて危なっかしいからほっとけねー」

「……サンジは弱くないぞ」

 

ウソップの言葉にゾロも頷く。

 

「判っている。アイツが誰かに護られて生きていく事を良しとは思っていない事も…。だが、俺は、判っていてもアイツを離したくは無い。別々の道を歩む時が来ても、アイツを離したいとは思わない」

「……それは何故?」

 

ナミの声が優しくゾロに響き渡る。

 

「何故サンジ君を離したくないの?何でほっておけないの?」

「それは…」

 

次の言葉を発する前に、フィールド内のサンジがマーカーの場所で精神統一をし始めた。後は、口を紡ぎその行動を見詰めるしかない。

サンジが両手を頭上に伸ばし手を打ち鳴らしている。会場に手拍子のリクエストを要求しているのだ。

 

パン パン パン

 

小気味の好い音が会場をひとつにする。

その手拍子が強くなりサンジが深呼吸した瞬間、ゾロは立ち上がり最前列へと駆け出した。

 

「サンジ!」

 

手摺から大きく身を乗り出し、有らん限りの声を張り上げる。

 

「サンジ、跳べっ!!」

 

驚いたサンジは、声のする方へと視線を向ければ怖いくらいの真剣な顔をした男が、声を張り上げている。

誰にも囚われることが無く、クールな眼差しの男とは思えない行動。

 

望遠レンズで見ていたウソップは、サンジが驚いて目を見開いていたが、直ぐに泣きそうに顔を歪めたかと思えば、その前髪で俯き目を隠すと口元だけで薄っすら笑ったのだと言う。

 

 

 

 

身体を引きつけ助走を始めたサンジは、大きな半円を描きながらスピードを増す。

その痛む右足で踏み切った瞬間、誰の目にも……金髪を光に散らし、痩身がフワリと浮き上がるその光景は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

誰もが、サンジの背に大きな翼を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「纏めて買えばいいだろう!」

「だーかーら、そんなにいらねーんだよ!」

 

3月の終わり。桜の便りが聞こえる頃、ゾロとサンジは、大学近くに借りたアパートの傍にある店へと来ていた。

 

 

あの日、総体では自己ベストから程遠い結果で1位を取ったサンジだった。

それから直ぐにゾロの父親の紹介で腕の立つ外科医が紹介されて手術をした。チョッパーの恩師だという女性は、厳しくも暖かい人柄で、無茶をしてリハビリをしようとするサンジを嗜め励まし、6ヶ月の闘病生活を無事送らせた。勿論、これからもリハビリをしなければならないが、現在主治医はチョッパーが引き継ぎアスリートとして必要な筋肉トレーニングもしている。

 

ゾロは、サンジが闘病中、サンジの養父に勝手に会いに行きサンジを大学に入れるようお願いした。人に頭を下げたことが無いゾロの態度は無頼極まりなく見えるが、真っ直ぐな気持ちは養父が認めるところでもあった。

しかし勝手に金の心配をして自分の夢を捨てようとした養い子に腹を立てた養父が、病院に来るなりサンジを蹴り飛ばし新たな傷を作った事は有名で、その女医に親子共々こっぴどく叱られた武勇伝も有名な話だ。

 

結果としてサンジは推薦で青海大学へ進学をする事になり、ゾロと同じ学部に通うこととなった。

ゾロの両親は、生活藤生人の息子がサンジのように日常生活をきちんとこなす友達との同居を強く願い、部屋と数点の家具、そして食器類や家電など勝手に用意してサンジを招いた。……断る事が出来なかったサンジは、親公認で同居している。

 

今日はその同居人同士、ゾロの親が用意した日常品以外に必要な物を買出しに来ているのだ。

 

「皿なんてどれも同じだろう。セットでドーンと買っちまえ」

「てめェ、どれも一緒とほざいたな!」

 

普段は静かだろう食器売り場に喧嘩腰の声が響く。

 

「料理は見た目に大きく左右されるんだ。その為の盛り付けは肝心な料理の一つ。皿だって調味料と同じなんだぞ!」

「だから、さっきの真っ白な皿が気に入ったんだろう。買えばいいじゃねーか!?」

50枚セットなんて要るか!」

「どうせアイツ等も遊びに来るんだ。多い事に越した事はねーだろう?」

 

首を傾げるゾロに大きなため息をつくサンジ。

どうもこのゾロと言う男は、自分と感覚がかなり違うらしい。

 

「光合成の必要な植物には何を言ってもわからねーみたいだな…」

「あぁ!!」

「そうだろう!寝室にあんなベッド入れやがって!!」

「どうせ2人で寝るんだ。大きい方が良いに決まっているだろう?」

「だからってダブルはねーだろう!!」

 

2人が話すには、薄ら寒い会話である。

 

しかし、お互いそんなことは気づきもせず、喧嘩しながら仲良く買い物を続ける姿は光に溢れている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高く

 

 

高く

 

 

 

青き空へ

 

 

 

 

 

舞い上がれ

 

 

 

そして、舞い降りる場所は……

 

 

 

 

 

 

 

 

全てを包む緑の大地。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2006/11/10