みえないツバサ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

強い日差しが照り付ける甲板の上、羊頭の舟に身を置くクルー達は皆昼寝の真っ最中だ。

 

 

 

 

 

 

昨晩突然襲って来た巨大海王類に先頭を切って立ち向かった船長と剣士は無論、航路変更に翻弄した航海士と考古学者に船医。気の良い狙撃士は、昼食近く最後まで甲板の掃除と補修におわれていた。

 

 

そんな中、唯一人舟中で働く姿を見る事が出来る。

 

この舟のコック『サンジ』だ。

 

海賊麦藁の中で一番の働き者であるサンジは、昼食の後片付けを終えた後でも一人起きている。

皆徹夜の作業で疲れ切って寝ている為、おやつを用意する必要は無い。しかし、休む事を良しとしない彼の性分なのか、仕事を見付けては細々と動き起きて来たクルー達が快適に生活できる空間を一人作り出している。

 

夕食準備は勿論、風呂掃除、洗濯に布団干し、倉庫の整頓。

昨夜使ってお座なりにしまわれたロープの巻き付け、水汲み……。

サンジ自身も徹夜の作業をしたのだから時間が在れば少しでもまどろめば良いと思うのだが、目を瞑っても睡魔は襲って来ない。

 

昼寝どころでは無い、この頃夜さへ寝付くのに時間が掛る。

船医がこの状態のサンジを診断すれば『不眠症』と診断書を書いてくれるだろうし、心配して睡眠導入剤を分けてくれるだろう。

しかし、ザンジは頑なにその事を黙っていた。

 

 

 

 

 

 

眠れない理由を知っているから今更相談する必要が無いのだ。

 

 

 

 

 

 

 

あれは何時だっただろうか?

 

その日船長の一声で夕食は甲板上で宴会となった。

別段特別な事では無いが、何時もより賑やかな食事は酒量も食量も飛ぶ様に無くなっていき、コックは目も回る忙しさの中で対応に追われていた。それでも笑みを絶やさないのは、麗しい女性クルー達が満面の笑顔を出し食事に手を付けているからだ。

 

 

 

 

 

 

 

食事が不味ければどんなに楽しい会話もいまいちつまらない物とかす。

食事は『会話』と『雰囲気』それと落ち付く『料理』が揃って始めてうまれる。

 

 

 

 

 

 

 

教えてくれたのはバラティエ先輩コックのリートだ。

彼がバラティエを去り故郷の島に戻る時、まだ両手の指を折っても足りる年齢だったサンジに彼はそう言って去って行った。大好きな兄貴分のコックだった。彼の言う事は何でも信じて頷き吸収した。

大人の年齢に達する自分が今その言葉を反芻し考察してもその通りだと思う。極上の材料で作られた料理がイコール美味しい料理とは限らない。粗末な材料でも心をそして命を喜ばせる食事を作ることが出来る事をサンジは嬉しく感じている。

そこに美しい女性の笑い声が絶え間無く聞こえてくれば言う事無しだ。おまけの男達の声も気分を高揚させてくれる。

 

 

 

 

 

大皿料理が終わり、ゴムの胃袋を持つ船長が相変わらず「肉〜っ!」と叫んでいた。

空いた皿を積み重ねてキッチンへと戻り、僅かな肉を野菜と混ぜて見栄えは肉の塊に見えるが栄養価は野菜のそれが豊富な料理を短時間に作り上げて行く。少しでも手が空いていれば、シンクに付け込んである洗い物を手早に片付ける。

そんな時、背後で戸の開く音がした。振り向かずとも解かる気配、重たい靴の音。

 

「酒か?クソ剣士」

「ナミが取って来いと言いやがった」

 

不機嫌そうな声がサンジの耳に届く。大方気分よく酒をかっ食らっていただろう、それを航海士に邪魔されそれでも逆らう事は出来ず渋々と足を運んで来たのだ。大剣豪を目指す魔獣の男でさへ航海士には敵わない。この舟で唯一対攻出来るのは、同じ女性の考古学者ぐらいだろうか?

 

笑いに堪えながら数本の酒を手渡せば、そのラベルを見て満足げに頷く剣士の姿を見る事が出来る。人使いの荒い航海士の使いであろうとそのお零れであろうと酒に在り付けるのならば文句は無いとその表情は語っている。彼にしてみればアルコール分が入っていればどんな酒でも満足なのだろうか?そんな疑問もサンジの中で生まれて来る程の豪酒だ。

 

「ナミさんが待ってる、とっとと行け。てめェはナミさん用の極上酒を飲みすぎんなよ!お前なんかメチルアルコールで十分だ。チョッパーにでも分けてもらえ!」

 

つっけんどんな物言いでサンジはゾロに背を向けて話せば、無言の剣士はキッチンから出て行く足音が聞こえる。

別段返答を期待している訳では無いが、人として「うん」でも「すん」でも口に出して欲しいと思うのが心情だ。しかし、口数の少ない男にそれを言っても自分一人が馬鹿を見るようで、サンジも口を閉ざし中断していた作業を再開した。

 

扉の前で重い足音が止まる。何か忘れ物でもしたのかとサンジは振り向き剣士に視線を向けた時、男は片眉を上げてサンジに視線を向けていた。

 

 

「……しかたねーだろう、飯が旨いから酒が進むんだ」

 

 

 

 

 

 

――― !

 

 

 

 

 

 

 

捨て言葉宜しく、そのままキッチンを後にする剣士をサンジは見開いた瞳で呆然と見送ったのだ。

 

 

 

 

 

普段言葉の少ない男の一言がこれほど重く深く心に入り込むとは思いもよらなかった。

自分の作った食事を今だかつて「旨い」と言った事があっただろうか?いや、記憶が正しければ一言たりとその言葉を口に出した事など無い。

在るとすれば、酒を水のように飲み干しながら呟く様に「旨い」と言った事があったが、それは島に上陸した時に入ったレストランでの事。自分が選び買い出した酒でもなければ用意したツマミでもない。

そう……、それ一度しか剣士の言葉を聞いた事が無いのだ。

 

料理人としてこれ程の屈辱は無いだろう。

大食らいのゴム船長も太陽の髪を持つ航海士も、気配りの在る優しい狙撃士も円らな瞳の船医にオリエンタルな考古学者も……。皆、自分の作った食事を口にし「旨い」や「美味しい」と口に出す。

勿論、自分でも押し付けがましく「クソ旨いから食え!」と言ってはいるが、実際にこやかにそう言われれば嬉しい事この上ない。

しかし……、唯一人、この舟の剣士はその言葉を口に出した事が無いのだ。

「不味い」とも言わない。唯黙って全てを食す。時折欠食児童とのオカズバトルに巻き込まれるが、それでもサンジの作った料理を良い意味でも悪い意味でも評価した事が無い。

 

 

 

 

その男が今……?

 

 

 

『飯が旨いから酒が進むんだ』

 

サンジにしてみれば欲しかった一言をサラッと口に出して甲板に戻ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

そしてその瞬間、囚われたのだ。

 

 

男なのに……

 

 

 

汗臭いのに……

 

 

 

筋肉馬鹿なのに……

 

 

 

鍛錬オタクなのに……

 

 

 

ミドリなのに……

 

 

 

 

腹巻なのに……

 

 

 

 

 

 

思考も心も持って行かれてしまった。

 

 

 

 

そしてその瞬間……絶望的な失恋が確定した。

最強を目指す男に『愛』だの『恋』だの不要な感情はいらない。その上同性の恋などは迷いの無い剣士の道に泥を塗るような物だ。

サンジ自身、他のクルーも皆認める『女好き』。そのの自分が……何故にコイツ?と首を傾げたくも成る。が、突然飛び込んで来た想いを打ち消す事が出来ない。

 

 

 

 

……だからこの想いは自分の中だけで完結させようと心に決めた。

誰にも気付かれない様に、唯…唯想う。

一方的な想いに見返りを望まない。

自分の中だけで大切に育てる情……。

切ない想いに身を焦がそうとも誰にも知られてはならない想い。

せめて……せめて……せめて仲間としてその道を見続けていこうと心に決めたのだ。

 

 

どんなに心が泣き叫ぼうと……。

どんなに眠れぬ夜を過ごそうとも……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あれから年月は流れた。

 

小さな羊頭の海賊船は、少数精鋭ながらクルーを増やしそのシンボルである船首を替えながらも事無く舟を大きくした。

 

船長は旅だった頃に宣言したその夢へ後1歩と近付いている。最近では『一番海賊王に近い』と評判だ。その船長に惚れ込まれて仲間になった剣士も最強の道が見えて来た。下馬評では幾分相手方が有利との噂だが、贔屓目無しにゾロは確かに強く、決して負けないだろうとこの舟の船長は宣言する。そして羊頭の舟に夢を見出し乗り込んだ船員全てが、各々の夢に向かって確実にその力を伸ばしていた。

 

 

 

今日も有りふれた日常がここにある。

ハリケーンをやり過ごし、巨大海王類に遊ばれて海賊の襲撃を食らう。

『麦藁』の旗に戦いを挑むのだからそれなりに力の在る海賊が相手で在る。力無いものがこの旗を見れば、ケツを捲くる様に姿を消すが、逆にその力で名をあげ様と挑む者達だ、油断はならない。

 

 

相手方の舟へ斬り込み隊長の如く真っ先に乗り込む船長。悪魔の実の能力者で在る彼は、その力を進化させて今では恐ろしい程の強さを敵に見方に見せ付ける。

 

『誰も失わない……傷付けない!』

 

彼の信念は、力を生み、後を押した。

 

 

 

続いて乗り込むのは三本の刀を自在に操る剣士だ。

バンダナ姿は昔の侭、しかしその強さはその比では無い。早さ力強さは無論、加齢する事でその戦いぶりも無駄が無くなっている。

亡き友人と交わした約束をたがえる事無く力をつけた剣士。噂以上のその戦いを目にした敵達は、相手を打ち負かす事より今、自分がどう生き残ろうかと思案しているだろう。

 

 

続いて旅の途中クルーとして乗り込んだ者達が遅れまいと続いて行く。航海士と考古学者に船医は舟を自在に操り、狙撃士は的確に無駄なく相手海賊船を破壊する。

 

 

 

 

 

 

 

そんな中、一人キッチンで煙草を吸いながらその光景を見詰める男がいる。

 

サンジだ。

 

キッチンの窓からその喧騒を眺め、終わりを見定めながら昼食を絶妙のタイミングで仕上げて行く。

船に乗り込んだ当初は、自ら先人を切って相手方船へと飛び乗っていた。

何時からだろう…サンジは戦闘が始まってもその身をキッチンに止め己の仕事をこなしている。

勿論、この船へ何らかの被害が出れば飛び出し容赦無く敵を叩き壊しレディー達を守っている。だが、それ以上の戦闘はこの所ろ皆無で在る。

 

 

 

それには理由があったのだろうか?サンジは煮込むスープをかき回しながらボンヤリと窓の外を眺めた。

自分の戦闘力が落ちたとは思わない。いや、実力はバラティエを出た時より格段にあがっていると自負している。しかし…所詮自分は『コック』なのだと痛感した時があった。

 

 

 

 

それは同い歳の剣士と自分を比較した時だ。

 

 

 

 

剣士は他の事は目に入れず『最強』を掴む為日々鍛錬に励む。そんな男と喧嘩をしても負けるとは思っていない。だが……世間的に見て自分は高額賞金首にその名前さえ連ねる事が無い『コック』なのだと解かったのだ。事実、その首に賭けられた金額が全てを物語っている。

 

 

 

 

 

 

……ショックだった。

 

 

 

 

男なら誰しも一度は夢見る『最強』の存在。

遺伝子に組み込まれているのだろう強く在りたいと願う心が男には在る。

だからサンジ自身も強くなった。大切な人を護る為、自分自身に強くある為に。しかし、所詮自分の目指すモノは『最高のコック』である称号。たかだか海王類を一撃で倒す事の出来る蹴りを持っていたとしてもだ。

日増しに名を挙げ強くなる船長と剣士を背中から眺めている自分はどれ程惨めだっただろうと当時を思い出す。

 

 

 

 

進化する二人……置いて行かれる自分。

 

目指すものが大きく違うからかズレる感覚。

同じ男として全てを否定された感を覚えた。

 

 

しかし、胸にしめる剣士への想いは閉ざされる事無く痛いしこりをそのまま燻り残っている。

 

惨めで情けなく……愛しい想い。

 

諦める事も出来ず、傍に並び立つ事も歩く事も出来ない自分に嫌気がさした。

だからサンジは戦闘を横目で確認しながら食事を作りだしていく。今はコックとして『だけ』でも傍に居たいと願って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい」

 

静かになった頃、キッチンの扉が乱暴に開き不機嫌に眉を寄せる男がサンジを見る。

 

「血塗られのアホ剣士、食事の場所に臭せー匂い持ち込むんじゃねー。風呂入って着替えてこい!」

「……てめェ何で戦いに出てこなかった!?」

 

剣士もキッチンの中までその身を入れることは無いが、それでもサンジが戦闘に参加しない事を聞くまで譲る気は無いのだろうその場に立ちはだかる。小さく舌打ちしてフライパンへと視線を戻したサンジは、顎で料理を指した。

 

「てめェらの食事を準備してんだ。……戦いが終われば直に飯。こんな良い事はねーだろう?第一、俺様が出て行ったたら勝負なんてあっという間に終わってつまんねー事この上ない。まぁ……お前達が惨めに負けそうなら幾らでも助けてやるさ。ヒーローはイイトコだけ頂くに限るだろう?」

 

後半茶化して口に出した言葉は、剣士の逆鱗に触れたようだ。

 

「ふざけんな!アホコック!!」

「誰がアホだっ、アホ剣士!!」

「てめェ以外誰が居るグル眉!」

「ミドリ苔が人語話すな!!」

 

コンロの火を止め対事したサンジと戦いを挑むような視線を投げる剣士。一触即発の空気が支配する。

 

「てめェ……何を考えている?」

「あぁ?訳解からねー会話すんな!?」

 

 

 

「………」

「………」

 

 

 

口を閉ざす剣士と煙草を咥えながら眺めるコック。サンジの瞳は何処か遠くを見るようで、ゾロは深く眉を潜め視線を逸らすと、そのまま部屋を後にした。

 

 

「何考えてるって……俺が知りてーよ……」

 

 

 

剣士の背を見送るサンジの呟きに返答してくれる者は誰もいない。

 

 

 

ただ、ただ。

 

報われない恋の終わりは、すぐ傍にあると願うしかない。

 

 

幕を降ろすことすら出来ない、ツバサの無い自分は……。

泣く事すらできないのだと歯を食い縛った。