『猫』を養いて自ら患いを遺す 虎×子猫 編 |
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雨季の始まりにそれを拾った。 それが、身を滅ぼす破滅の序章だったのだ。 乾いた大地が水を吸う雨季の始まり。 緑の色が深く変わり、温暖な気候にジメジメした空気が蔓延するこの季節に、ゾロは1匹の捕食動物を見つけた。 木の根元。ずぶ濡れになった小さな茶色と白の生き物は、ガタガタと震えて小さく身体を丸める。 数日口には何も入れていないゾロが、それに気配を消して近付くと何気に上げた顔がゾロを捉えた。 小さな声で囁くように声を出した生き物。 「………さむい」 見たことのないアイスブルーの瞳が、警戒無くゾロを見詰める。 身体が雷に打たれたかと思った。その生き物の声を聴いた瞬間、ビリビリと表現しがたい感覚が身体を突き抜けていった。 頼りない小さな生き物。 ゾロはこの生き物が、森林から出た所にある人間が住む町に居ることを知っていた。 茶トラの子猫。 雨に濡れて縋る瞳は、弱きもの特有の色を湛える。 このまま脊髄を噛み砕き食べてしまえばいい。 しかしゾロは、その小さな生き物を抱きかかえて、自分の家へと持ち帰った。 雨に濡れて冷えた身体を、自分の体温で温める。 細かく震えて身体を硬くしていた猫は、温かさに身体を弛緩させて今ではゾロの胸の中で規則正しい寝息をたてた。 「……ンン……」 時折寝返りを小さく打ち、寝言交じりの声を出す。 虎の目の前、恐れを知らずに腹を出して寝る小さな魂。 寝顔が幸せそうに笑みを作った。 これこそ笑ってしまう話だ。 ゾロにとってこの生き物は、食べる為の存在ではないか。 腸が捩れるほどの空腹感を感じている今、この小さな肉の塊を食べれば少しは解消されるいのだと思うのだが。 しかし、腹の底から湧きあがってくる温かさはなんだろうか? まだ生乾きの髪をかき上げて額に唇を寄せる。 今は飢えを癒すよりも、この猫と眠りにつくほうが至上の幸せを感じていた。 猫の名前は「サンジ」と言う。 家の場所も分からない子供だが、自分の名前は覚えていた。 いつもゾロに擦り寄り笑うその姿は、肉食獣を前にしたとは思えないほど信頼しきっている。 子供特有の甘く柔らかな臭いが、時折フワリとゾロの臭覚を刺激した。 どこかくすぐったくて、甘くて、苦しい感覚。 ゾロは初めての感覚に戸惑いながら、猫の首筋をベロリと舐めた。 「知っているかい?若きトラのゾロ。猫は魔性の生き物だ、奴はお前に災いしか与えないだろう。早く手放すなり喰うなりしたほうがいいぞ」 長い雨が降るある日、遠い樹の上から森の長老猿がゾロに囁きかける。 胡坐をかいたゾロの脚の傍、何処からか拾ってきた蔦にじゃれるサンジには、その言葉は届かなかったようだ。 「どーゆー事だ」 ゾロの威嚇した低い声に気の上の住人は、淡々としゃべり続ける。 「今はまだ小さな子供の猫だと馬鹿にするな。何時かお前が魂を喰われて生きていけなくなるぞ」 「けっ、クダラネー。ウダウダ言っていると、まずテメェから喰うぞ!」 神や迷信など信じないゾロにとって、長老の言葉は耳障り以外何者でもない。 声のする方に意識だけを向け、サッサと立ち去れとばかり低い声で唸れば、遊びに熱中していたサンジがパッと顔を上げた。 「ゾロ?」 「あぁ、何でもねぇ」 その言葉に疑いもなくゾロを見上げる蒼の瞳が優しく弧を描く。 「俺、大きくなったらゾロみたいにトラになるんだ!」 「……お前が、か?」 「うん!」 ニコニコと笑う。 屈託なく、警戒無く、光を集めてゾロに笑いかける。 先程までは真剣な瞳で蔦にじゃれつき、ゾロの声に優しい大人の笑みを見せ、また子供の顔に変わりニコニコ笑っている。 猫の目のように表情を変えるのではない。猫の顔がコロコロ表情を変えるのか。と、ゾロは場違いな感想を心に浮かべた。 「ゾロの傍で大きくなって、強いトラになる!今は負けるけど、大きくなったら必ずゾロをやっつけてやるっ!!」 「…………」 「ずーっと傍にいるからな!絶対離れないからなっ!!」 小さな小さな子猫は、ゾロに抱きつきそれが決まった未来のように弾む声で宣言する。 ゾロは捕食のために作られた大きな手で、サンジに傷をつけないように優しく、優しく小さな頭を撫でれば、ウットリと目を細める妖艶な顔を見せた。 上目使いに流れてくるブルーアイの吸い込まれそうな輝き。 僅かに口角を上げた口元に、まだ10となったばかりの子供にはあり得ない色気が漂う。 ゾワリと背中の毛が逆立った。 長老猿の言っていたことはこの事かと息を飲んだ。 手が痺れる、脳が焼け付く。身体の底から湧きあがってくるのは乾きでも飢えでもない。 これは性欲。 それも、異種に対して起こしてはならない感情。 異種で同性。 食物連鎖の頂点に立つトラと、一人では生きて行けないひ弱な子猫。 しかし、今この場で長老の言ったとおりにサンジを喰らえばどうなるか……。 サンジを何処か森の深い場所で置いて来ればどうなるのか……。 答えは簡単に判った。 今、ゾロに捨てられれば、サンジの待つ未来には高い確率で死が待っているだろう。いや、確実に捕食対象とされて生きて行くことは出来ない。 サンジの死を知ってゾロはどうなるか? その事によって確実にゾロは大きな穴が胸に開き、全てを失ったかのように身動き一つする気力が無くなるだろう。 即ち、その先にあるのは『死』である。 ならば、このままこの猫を飼い育てればどうなるのか? 虎は本来雨季が終わると発情期を迎える。 その期間はとても短く2日ほどの期間だが、100回以上交尾を繰り返し、子を得るのだ。 今はあどけない表情の子猫。 今年はこの劣情を抑えることができるかもしれない。 その期間、短い時間を1人にさせておくのは心配だが、2日間どこかで晴らすことが出来るだろう。 ……サンジ以外をこの腕に抱きたいとは思わないが。 しかし、来年は? サンジの成熟期はどのくらいになるか?大人まで6ヶ月から12ヶ月と言われる猫の成長を考えれば、来年の雨季にサンジは成熟した大人になっている。 その時、自分の持つこの感情を抑えることが出来るのか? 有りっ丈の想いをサンジに向ければ? いくら成熟した大人の猫とはいえ、小さな身体に自分の凶器ともなる杭を打ち込むのだ。 半端ではない回数を。 殺してしまうかもしれない。 いや、確実に殺してしまうだろう。 その時、自分はどうなるのか……。 「……ゾロ?心配ごとか??てめェ頭悪いんだから、何か考えても無駄なんじゃねーか!」 「お前……言いたい事はそれだけか?」 唸り声を上げて、膝元でじゃれる子猫を抱き上げた。 作り笑いの強面顔は、あっさり見破られて構ってもらえる嬉しさから、ニコニコと笑顔をゾロへと向ける。しかし、負けず嫌いのサンジは、笑みを浮かべながら額に青筋を立てて後ろ足でゾロの腕を攻撃していた。 どこまでも幼く、小さく、弱く、艶やかで美しく、愛しい存在。 幸せだと思う。 降りしきる雨の中餌になるモノも少なく、飢えがないと言えば嘘になるが、それでも自分は幸せだとゾロは思う。 この時間が何時までも続けば良いと思うが、実際にはそうは行かないことなどゾロ自身が一番良く知っている。 この森にはゾロ以外の虎がいる。 テリトリー争い、餌の確保、子孫を残す為の行為……。 どれも命がけの行為。 弱者のサンジを連れてできる事など何一つない。 1人森の中で待たせていても鼻の良い他の肉食動物達が、サンジを喰らうのは目に見えている。 置いていく事ができない、突き放す事もできない。 先の分からない未来に、ゾロは小さな溜め息を吐き出した。 未来の事など悩んでいても、なる様にしかならないと考え直し、まだ腕にじゃれているサンジの首筋をあまがみする。 くすぐったさに身を捩り笑う子猫。 噛んだ場所を優しく舐めれば、甘えた声でゾロに擦り寄ってくる。 『何時かお前が魂を喰われて、生きていけなくなるぞ』 その言葉が何回も頭の中を過ぎっていく。 しかしゾロは決めた。 何時か『猫』を養いて自ら患いを遺すとしても、その時はサンジを連れて地獄まで行ってやると。 物思いにふけったゾロの足元で、いつの間にかサンジが寝息を立てている。 先ほどまであれほど元気に動いていたかと思えば、簡単に眠る小さくて無防備で危機感など何もない子供。 今年の雨季が明けた頃、自分は誰にも負けない精神力で発情期を何事もなくサンジの傍で過ごしてみせる。 それだけの自信はある。 しかし、来年は? それは、来年のこの時期を迎えた頃答えが出ているだろう。 ゾロは、小さく丸くなり寝ている子猫を包むように自分も身体を丸め、まだ晴れない空を一見した後眠りに付いた。 ………今年の雨季が終わるまであと僅か。 虎×子猫 編 終了 up(August 31, 2007) 改稿(September 3, 2007) |