遠く

 

 

 

 

 

遠く、遠く…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで身を埋めると決めた。

だから、時折届く新聞にあいつ等の事が書かれていると、胸がイテェ……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

奇跡の海を見つける事が出来た俺は、ここに留まると決めた。

幼い頃からの夢…。話す傍から呆れられたが、それはちゃんと目の前にある。

だから、夢を託してくれた恩人の為にも、そして自分自身この身が滅びたときにオールブルーの一部になりたいと思った。

 

 

勿論、仲間と離れる事に躊躇いがあった。

見届けたいと思うが、それと自分が決めた道は相反するものである。

 

 

 

まだ野望半ばの船長と剣士は、一箇所に留まる事など無く、風を切って飛ぶ鳥のように大きな翼を広げて目的地へと向かっているのだろう。

書ききれていない航海図は、今世界のどれほどを描けたのだろう?

真実を捜す考古学者は、本当の仲間を手に入れて過去なる未知を求めているのか?

誰よりも芯の部分で強い狙撃手は、十分強い海の男になっている事には、本人が気付いていなかったようだ。

命の尊さを教えてくれる優しい船医は、万能薬になれたのだろうか?

世話好きで涙脆い男は、『宝樹』を見つける事が出来たのか?

正面から合うと約束した友にお前の音楽は届いたか…。

 

 

 

あの時、

大粒の雨が、俺も海も離れていく船も濡らした。

みんな…みんな、夢や野望を胸に抱き、航海へと出て行ったあの日。

それを浜辺で見送り、船に全てを置いていったのだ。

 

冒険の興奮も、馬鹿騒ぎした楽しさも、失う事の涙も、理不尽な怒りも、仲間の笑顔も。

何よりの宝だった仲間も全てだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

開業して1年目は、兎に角我武者羅に働いた。

人口も少ないこの諸島周辺は、レストランに食べに行く習慣は殆ど無く、自給自足の生活を送っている。

時折外貨を稼ぐために新鮮な魚を近隣の島へと売りに行く。

外部との接触はその程度。

 

島民相手だけでは、勿論レストランとしての道は閉ざされていた。

海と河と山を持つこの島のお陰で飢える事は無いが、生きていく事が目的ではない自分にとって、この状態を受け入れることが苦痛でしかなかった。

 

そんな小さなレストランに、少しだが客が入るようになった。

 

『母ちゃんの作った飯より旨い!』

 

と言った猟師の男に

 

『レディーの作った愛情タップリのご飯に敵うわけあるかっ!!』

 

と怒鳴ったら驚いた表情の後、豪快に笑ったのだ。

その男は懲りずに綺麗な妻を連れて来店した。

 

『な?お前の作る飯より旨いだろう?』

『……本当!美味しい!!』

 

レディーに喜んでもらえるのは嬉しいが…。

 

『あなたの美しい手で作られた料理には敵いませんよ』

『やだね、冗談はよしなよ』

『料理も旨ければ煽ても上手いなんて、隅に置けないねー、にーちゃん』

 

その夫婦が近所に声を掛けてくれたのがきっかけ。

魚を売りに行った者が、俺の店の話をしてくれて口コミで噂が広まり、少しずつ客が増えた。

 

しかし、基本的に俺は経理をしてこなかった。

ジジーの船にいた時は、金の計算をする事はあったが、経営者として資産に資本と負債に損益なんて訳が分からない。

麦藁にいた時、掛かるお金を賢い航海士の計算で問題なく食材を買っていたし、作った食事で儲けなど縁のない世界だった。

 

昔も今も、そして未来も…、唯一、上手い料理を作りたいそれだけだった。

 

今じゃ買い付けも売値も、設備に関する経費も帳簿上で問題なく数字が羅列され、頭を掻き毟りながら弾いたソロバンも、今では苦も無く事を終えられる。

 

 

 

口コミで平がった噂を聞きつけ、食通気取りのイカレ野郎から地元で温かく見詰めてくれる島人まで、多くの客が足を運ぶレストランには、笑顔と幸せが溢れるようになった。

 

そんな客達が、時々世間話をする中に海賊の話がある。

 

 

どっかの海賊団が海軍に捕まった。

赤いのや青いのが黒いのに何かした。

麦藁の船が、痛快に悪事を働いた統治者を成敗した。

 

 

懐かしい名前があがる度、忙しくフロアーと厨房を行き来する俺が僅かに身を固める。

 

まだ、忘れていない…。

まだ、未練を残している…。

 

 

届く新聞の片隅に、懐かしい顔写真が掲載される。

面白おかしく伝えてくれる武勇伝が、俺の心を凍らせていく。

 

キュートな航海士とお節介な嘘つき狙撃手が、近況を書き綴ってくれる。

さも無い内容と俺の身体を気遣ってくれる優しい内容に一言『戻ってくる日を待ってます』。

 

 

その度に胸が痛むほどの淋しさが湧き上がってくる。

 

帰りたい、帰れない、帰りたい……帰りたい。

俺の故郷に。

大海原で揺れる、夢と野望を乗せたあの船に。

 

遠すぎて見えない。

今の俺には、あの日々が遠く感じる。

 

 

 

俺は決めたんだ。

……ここで暮らすと。

そう、ここでレストランを開業して、何処にいても何をしていても、その耳に俺の作った毎日のメニューが入るくらい有名になると。

 

 

自室のチェストに飾られた最近撮ったであろう麦藁の集合写真。

勿論俺はそこにいない。

 

空の皿を情けなく咥える船長を中心に、ナミさんウソップが脇を固めロビンちゃんがフランキーと仲良く並ぶ。

入るスペースが高かったのか?チョッパーが大型化しながら笑っていた。骨は見慣れない楽器を持って脚を振り上げて。

そして、左片隅にウンザリした表情のゾロが、面倒くさそうに斜に構えて写る。

 

青空と青海の中で、彼らは生きている。

四角い箱の中で我武者羅になって働く自分が惨めに思えて、無性に悔しくて泣きたくなった。

 

 

船を降りた事を後悔していない。

ただ、未練が残る。

 

そんな情けなく弱い自分が嫌いになる。

 

 

 

 

 

 

 

開業して何年かぶりに休業した。

働き詰めの俺は、2日ほど店を閉めて島を歩く。

 

この島に初めて足を置いたのは、何も無い白の砂浜が続くこの湾。

そこに俺は理由も無く着ていた。

 

荷物を砂浜に置き、静かに寄せる海を見る。

寄せては返し、また寄せては海へと戻る流木が、まるでふらつく自分を見ているようだと自虐に笑った。

 

金色に染まる空と、同色に輝く海と……。

靴を脱ぎ捨て駆け出した俺は、真っ直ぐ海へと入り込む。

遠浅の海は、何処まで行っても深くはならず、駆け出す足を緩めた俺は、膝下で存在を教えてくれる海へ跪いた。

 

 

 

この数年で得たものは、幻の海と自分の城にコックとしての名声。

失ったものは、大切な仲間との波乱万丈な日々。

 

変わらなかったのは、料理に対する情熱と人知れず想い続けた恋心。

 

 

 

写真のアイツは、相変わらず俺に興味の欠片もなくて、鬱陶しい同船者が減った程度の認識で。

惨めな俺は、想いを口に出来るほど恥さらしでもなくて。

焦がれて、渇仰し、秘めて、事態を諦観して見限った。

船を降りると言う事は、度胸の欠片もない俺の惨めな結末だ。

 

 

身体に打ち付けた波飛沫が頬を濡らす。

 

ただ未練が残っている。

あの眼差しだけが。

決して自分を特別視しない真っ直ぐな瞳。

 

 

 

 

 

 

ゾロ

 

 

 

 

 

 

声を出さずにその名を呼ぶ。

 

本人の前で思いを込めてその名を呼ぶことは出来なかった。

今でもそれは変わらない。

 

届かない声。

届かない想い。

 

俺は遠くにいる。

 

 

 

 

 

「お前こんな所で何やってる?」

 

その声に驚き、不自然な体制で振り向けば、大波に身体を揺すられ思わず尻餅をつく。

そんな俺の動揺を呆れながら見る懐かしい顔は、仏頂面で無頼漢な数年前より逞しくなった男。

 

数度瞼を瞬かせ、目の前の現実を疑った。

 

「お前の店はこの島にあるんだよな?捜したんだが何処にもない。……潰れたか?」

「潰れるか馬鹿!!」

 

数年ぶりの再会は、情けないほど感慨なく罵声で始まった。

 

「腹が減った、何か喰わせてくれ。ついでに酒も頼む。……後、」

「……後?」

 

馬鹿みたいに海に浸かったままの俺を、男は眉毛を下げてどう接すればいいのか分からない子供のような表情で頭を数度掻いた。

 

「取りあえず……」

 

ぬれる事を構わす男は、波際からジャブジャブと俺の所へと歩いてくる。

その行動すらも幻覚染みていて、ポカンと口を開けて近付く男を見上げた。

 

俺の二の腕を掴んだ男は、有無を言わさず俺を立たせる。

洋服や髪、顔から滴り落ちる海水を腰に下げていたタオルで乱暴に拭われた。

 

「何時までも浸かっていると体冷えるぞ」

 

俺の身体を心配するなんて、落雷でも来るのか?

 

「汗臭せー……」

 

拭ってくれたタオルには、剣士の臭いがする。

 

「悪いな、3日ほど風呂には入ってねーからな」

「……は?」

 

掴まれたままの腕を振り払う事もせず、俺はアホみたいに目の前の男の顔を見た。

 

「ナミさん達はどうした?」

「……はぐれた」

「……はい?」

 

何処で如何なって、どうしてこうなったか全く掴めない言葉。

 

「はぐれたって……みんなは、近くまで来ているのか?」

 

首をかしげた男は、何かを考えている。

暫くの沈黙の後に、開き直った表情でこう言い切った。

 

「わからねー」

 

その言い方が、ゴム船長に似ていて俺は喉の奥から込み上げる笑いが止まらなかった。

 

「……笑うな。あの女、真っ直ぐ行けばお前の店だって言うからそのお通り行ったんだ。だが、おまえの店どころか家1軒見あたらねー。その上、サニー号まで消えやがった。ここは魔の領域か?」

「……何処どう歩いたんだ?ってーか、魔の領域って何だよ」

 

無人島じゃないし、怪しい海域じゃ無いぞ、ここは。と一応付け加えておこう。

先程までの非現実的だった感覚は消えて、昔に戻ったかのような会話が心地良く感じる。

いや、昔より気さくに話せるようになった。お互い歳を重ねた為か。

 

「で?人生迷子剣士は、腹が減っていると?」

 

その言葉にムッと眉を顰める。昔から変わらない柳眉は手入れもしていないのに綺麗な線を描いていた。

 

「誰が迷子剣士だ!」

「腹が減っているのか?違うのか?」

 

挑発的に笑って再度聞けば、悔しさにグッと息を呑む男。

 

「だからさっきも言っただろう、腹は減りすぎて感覚がない。酒も呑みたい、あと……」

「……?あと?」

 

言葉を切ったゾロは、真剣勝負を挑む時のように真っ直ぐに俺を見る。

 

「お前も喰いてェ」

「………なんだって?」

 

饒舌な俺が言葉を失う。

目の前の男は、腹が空き過ぎて脳内が全て藻になったのだろうか。

ポカンと口を開けてゾロを見れば、何故か苛立ちと照れと迷いを覗かせた表情で口を開く。

 

「馬鹿面、ちゃんと聞け!」

 

そう言って、ゾロは俺を強く抱きしめた。

 

 

「ずっと前からお前が好きだった」

 

 

 

お前が船から降りる前からずっと、変わらずお前が好きだった。

 

 

そう耳元で囁かれた。

 

 

 

遠く

 

遠く

 

自分の心を庇うために離れたのは俺。

 

でも、こんなに近くにいたのだと今更教えられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

END