神に愛されしその翼を

〜 薄紅色ノ涙アフレテ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その日は土砂降りの雨だった。

 

膝の手術が終わり、抜糸をして退院した。

まだリハビリテーションプログラムが始まったばかりなので通院はしなくてはいけない。傷の具合もあるが、リハビリも続いているので週2回は病院へ顔を出す。

 

今日から学校に行こうと松葉杖を付き玄関へ向かう途中、外を見たらバケツの水がひっくり返った様に降る雨。サンジは大きな溜め息を付いた。

復帰初日の大雨。それも慣れない松葉杖の移動。エスケープ、自主休校も選択の一つだが、今のサンジには登校して出席単位を取得しなくてはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

高校総体が終わった後、サンジのスポーツ推薦の話しは消えた。

大学側からすれば、手術を要する怪我を負っている不安定な生徒を確保するより、もっと安定した成績を残すことが出来るだろう生徒を獲得したいだろう。

病室で顧問からその話しを聞いた時、サンジは静かにその結果を受け止めた。そうなる事は薄々分かっていたのかもしれない。

 

しかし、先に大学推薦を内定した男がいた。

 

 

 

 

ロロノア・ゾロ

 

 

 

 

気付けば彼の入る大学に自分も行きたいと思っていた。

総体前にホテルの部屋で言われたからではない。ただ単純にあの男の近くで、真っ直ぐ目標に進む彼を見たかった。

理由はともかく、サンジは養父に頭を下げて青海大へ進みたいと頼んだ。

何故か養父は、その事を事前に知っていた感があるのだが、一言

 

「好きにしろ」

 

と言ってくれた。

 

その日からサンジは、通常の学校推薦枠を得るために勉強に力を入れた。担任の話では、今度のテスト結果でどの生徒を何処の大学に推薦するか決めるらしい。当校からの推薦希望者人数は、先方からの募集者人数を上回っている。かなりの激戦らしい。元より成績は悪くなかったので、弱かった科目に力を注いだ。

 

見舞いに来てくれるクラスの友人が、授業ノートを見せてくれた。

部活の友人も忙しい中、参考書を土産がわりに顔を出してくれる。

賑やかな年下の友人達は、日参で顔を出し、毎日のメリハリを付けてくれた。

 

サンジの為に用意された病室は、ゾロの父親が声を掛けてくれた為に特別病室だった。

大きな部屋にクローゼットと応接セット。液晶テレビに電話。冷蔵庫と小さなキッチン。アパート1DK以上に広い部屋は、病院に不似合いなベッドが設置されている。病院特有のベッドとは違い、ゆったりとした広さと快適さを持つ。サンジはどうも落ち着かなかった。

しかし、放課後の忙しい時間をぬって顔を出してくれる友人は多く、賑やかなので広い個室は正直ありがたい。

遊びに来たルフィが、余のスプリングの利きにトランポリンの様に飛び乗り跳ねた為、一緒に来ていたナミの鉄拳が唸った事を思い出した。

 

 

 

しかし、病院内の記憶には、ゾロの記憶が全く無い。

 

彼は一度も見舞いには来なかった。

ナミやウソップの話しによれば、国体に向けて忙しい毎日を過ごしている。他にも取材や表敬訪問など学校外での用事が多く、公休を取り授業どころではないらしい。

多忙を勤めるその男は、気まぐれでホテルの自室に入れた男のことなど忘れてしまったのだろう。

傍若無人なゾロに振り回されて、気付けば一人その意味に囚われ思い悩んでいる自分が恥ずかしい。決して来る事が無いだろう男を、静かな病院で一人待つ軟弱な自分の心に笑いがこぼれた。

 

 

 

総体の競技が終わり不本意な成績ながらも無事1位を獲得した後、控え室に向かったスタンド下の通路にゾロは立っていた。荷物を持ち痛む足を引きずりながらサンジが近付けば、黙ってサンジの持っていた荷物を持ち、空いた腕でサンジを引き寄せ抱きしめてきた。背中を優しく数度撫でられ、ボソリと

 

「良くやったな」

 

と言った時、ゾロの目には確かにサンジが映っていた。

 

 

 

 

しかし、今は違うのだと思う。

面倒見の良いゾロは、怪我をした自分を放り出しておけなかったのだろう。

 

大勢の中の一人

 

それだけのポジションだった自分は、彼の意外な優しさを勘違いしただけなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

玄関まで移動したサンジは、再度大きな息を吐いた。

内申の関係もあるので、あまりにも欠席が多いと担任が不利だと言っていた。グダグダ悩んでいても始まらない。

背負ったディーパックからレインコートを出し、覚悟を決めて着た。

 

「出掛けるのか」

 

ドアノブに手を掛けた時、後ろから養父の声が掛かった。

振り向きその顔を見れば、不機嫌な表情をしている。不器用な義父は、表情とは裏腹通学の道のりを心配しているのだろう。

 

「行ってくる」

 

そう返せば、黙って頷いた。

 

 

扉を開ければ、外の雨音が激しく聞こえる。背後で乱暴な音を立てて閉まった扉を無視して松葉杖を付きながら、雨に濡れて滑りやすいタイル床に一歩踏み出す。

フト気付くと目の前に影が見えた。

 

「……ゾロ」

「今日から学校に行くのか?」

 

紺色の傘を差した男が、大降りの中立っていた。どの位そこにいたのだろう。ズボンの裾は、膝下からびっしょりと濡れている。

そもそもこの男は、この時間稽古に精を出しているはずだ。

 

「……なんで…」

 

僅かな言葉にその意味を読み取ったゾロは、頭を掻きバツが悪そうに顔を僅かに背けた。

 

「1人で学校まで行くのは色々大変だろう。今日から暫く付き添う」

「…………」

 

この場合なんと返事をすればいいのだろうか。

 

『部活はどうした?』

 

と聞くべきか?

それとも、

 

『わざわざ遠いところまで来てくれてありがとう』

 

と、お礼を言うべきか。

後者は素直ではない自分としては言葉に出来ないだろう。しかし、学校から態々電車の駅3つ先にあるサンジの家に来てくれたのだ。何か言わなければ……。

 

「てめェ…毎日忙しいんだろう。俺の事はほっとけよ」

 

出た言葉は、余りにも心情とかけ離れたものだった。

だが、そんな言葉には聞く耳を持たないのか返答をせず、自分の差している傘をサンジの身体に差し出す。ゾロ自身の背中が濡れ始めた事など構わずに視線で移動を促す。

 

「俺はレインコート着ているから傘はいらねー。ちゃんとてめェが差せ!」

 

国体は個人優勝で飾ったゾロは、もう次の大会の参加を決めていると聞く。

大きな大会前の大切な身体、風邪を引けば大変だ。

傘を無視して出来るだけ早いスピードで前へ進む。だが、松葉杖を練習した病院内のフラットな床とは違い、公道の作りの悪さがサンジの動きを止めてしまった。

 

「まだ電車の時間は大丈夫だ。ゆっくり歩け」

「うるせー」

 

掛けられた言葉をどう捉えればいいのだろうか。

また気まぐれで振り回されるかもしれないのに、心臓は歓喜のリズムを刻んでいる。

 

 

 

言葉無く駅へと向かう。

車道側に回り込んだゾロのさり気無い優しさに胸の奥が締め付けられて、大声で叫びそうだ。

何を叫びたいかと聞かれれば自分でも分からないのだが、兎に角大声で叫びたい気分だ。

 

普段なら5分と掛からない道程を、ヨロヨロと進んだ。膝を固定した器具が邪魔をして、思い通りに足が動かずイライラする。

 

「焦るな」

「分かってる!」

 

乱暴な返事は、ゾロにどう届いただろうか。

未熟な自分が八つ当たり的に言葉をぶつけ、わざわざ尋ねてくれた恩さえ言わない自分を面倒だと思うだろう。

 

「膝が曲がればもっと楽に進めるのにな。道も悪い。大丈夫か?」

「心配いらねー、……大丈夫だ」

 

これが不器用な自分の、精一杯の感謝を込めた言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

学校に着くと友人達が集まってくる。

そんな中、1人見慣れない女性が自分達の前に現れた。

 

黒髪に眼鏡の2年生。

真っ直ぐな瞳が何処か隣に立つ男に似ているとサンジは思った。

 

「ロロノア先輩!」

 

声に怒りを乗せてゾロを呼び止める。

 

「たしぎか。何か問題でもあったのか?」

 

たしぎと呼ばれた少女は、ゾロの目の前で腰に手を当て睨み上げる。口を真一文字に結ぶところは、気の強そうな性格を物語っている。

 

「早朝稽古サボらないで下さい!!」

 

どうやら剣道部の後輩らしい。

隣で成り行きを見守っていたサンジは、ゾロの稽古を邪魔した事に罰の悪さを感じ、顔を顰めた。

 

「ごめんね、レディー。こいつ俺の付き添いで稽古サボっちゃったんだ。もうそんな事させないから、ゴメンネ!!」

 

その言葉にたしぎは改めてサンジを見た。

 

 

松葉杖に学校指定外のディーパック。

大雨の中を歩いて来た為に3年の男二人は濡れている。

 

 

「いえ、悪いのは先輩じゃないですから。一言言ってくれれば問題ないんです」

 

たしぎは、前者の言葉は優しい響きでサンジに。

後者の言葉は強い口調でゾロに言い放った。

 

「あぁ?俺が居なくても練習できるだろうが!」

「先輩がいなくちゃ締まらないんです!第一、今度の団体戦どーするつもりですか!!」

「部員のだらけを締めるのがお前の役目だろう!それに、俺は部長をお前に引き継いだんだぞ、団体戦もお前らの学年から出すってスモーカーも言ってただろうっ!」

「示しってモノがあるんです!!」

 

眉根を顰め不機嫌で荒い言葉を出すゾロに、真っ向から受けて立ち言い返すたしぎの瞳は、先輩後輩以外の何か違う感情を映し出している。

サンジは、その感情を何なのか分かりたくないと視線を逸らして廊下を進んだ。

 

「おい、待て!」

「先輩!!」

 

お自分を追いかけて来るゾロの足音。

その男を呼び止める後輩の少女。

 

サンジは居た堪れない気分に浸っていた。

この男が時折見せる優しさに、自分が特別な存在だと浮かれ舞い上がった。ゾロにしてみれば、どの友人に対しても当たり前のようにする事なのに…。

 

腕を背後から掴まれたサンジは、僅かに振り向き投げやりな言葉を吐いた。

 

「もう……俺に構わないでくれ」

「あぁ!?」

「俺は1人で登下校できるから、ちゃんと部活出ろよ」

 

何時もにない小さな声でサンジが言うと、ゾロは掴んでいた手に力を入れて離すまいとした。

 

「何言ってやがる。放課後教室に迎えに行くからな、ちゃんと待っていろ!」

「だから、俺は1人で ―――」

 

振り向きいまだに腕を掴む男を睨めば、ハッと息を呑んでしまう真剣な瞳のゾロが居る。

 

「ちゃんと送り届けてから部活に出る。それで良いだろう」

 

有無を言わせないゾロの迫力に言葉を飲み込むが、それでも負けじとサンジは弱々しく言い返した。

 

「電車を2往復もすりゃ、金無くなるだろう…。また昼を水だけで済ませる気か!?」

「……じゃぁ、お前が弁当作ってくれりゃ良いだろう」

 

一歩も引かないゾロに、サンジは小さく息を吐き説得を諦めた。

一度決めたら引かない事は、短い期間の付き合いながら分かっていた。

 

「弁当作ってやる。後、電車代は俺が出す」

「いらねー」

「貧乏剣士がガタガタ言うな!!」

「貧乏じゃねー!兎に角、帰り迎えに行くからな、待ってろっ!!」

 

グッと言葉を飲み込んだサンジは、これ以上言っても堂々巡りだろうと諦めて首を横に振った。

 

「分かったから…、早く着替えろ。ビショビショだ、……風引くぞ」

「……そうだな」

 

そこでやっとサンジの腕を開放したゾロは、再度念を押すように

 

「先に帰るんじゃねーぞ」

 

と言って部室がある渡り廊下へと歩き始めた。

 

 

その後を追う剣道部の少女。

 

 

 

ぼんやりと眺めながら、サンジは自分の勘違いに悔しさと悲しさと…寂しさを痛感していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

退院翌日の登校から、ゾロの付き添いは日課になった。

 

迷子の達人であるゾロは、早朝にサンジの家へと向かっているらしい。世間話のついでと快活で聡明な年下の少女が教えてくれた。

ゾロの寄宿舎からサンジに自宅まで徒歩と電車で30分強。だが、その男は毎日1時間以上もかけてやってくる。当然帰り道も同時間ぐらいかけて帰るのだから、放課後の稽古は出席していないんだろう。

 

 

サンジは、たしぎと呼ばれた少女の顔を思い出す。

 

真っ直ぐにゾロを見詰める瞳には、黒縁の眼鏡レンズ越しにも熱いものが溢れていた。

きっと少女は待っている。……無敵の剣士を。

 

「新春に個人戦があるんだろうがっ!?部活に出ろ!!」

 

毎日のように繰り返される会話。

 

「稽古はやってるから気にするな」

「何時そんな時間があるんだ!」

「学校から帰ったら宿舎でもやってるし、授業時間も鍛えている」

「授業中はちゃんと授業に集中しろっ!アホ剣士!!」

 

行き帰り中に毎日の如く行われる堂々巡りの押し問答は、決着はなく苦い気分を抱える毎日を繰り返す。

実際、自分がゾロに迎えに来てもらうことを拒むのは、稽古の欠席に関する事だけにしている。本当の気持ちを封じているから相手に説得力が欠けているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

無愛想の不人情と他人から誤解されるゾロは、実は以外にも温情家の一面がある。

出会い当初の冷淡なイメージとは裏腹、気を許した仲間には子供じみた仕草や表情で温厚な面を見せる。

 

それを誤解した自分の恥ずかしさを、他人に、ましてやゾロ本人に悟られたくはない。

それは余りにも惨め過ぎる。

 

総体前の出来事は、彼にとって大勢の友達に対するスキンシップの一つだったのかもしれない。彼流の悪ふざけと、サンジには、割り切るだけの時間が流れた。

しかし、内心は生まれてしまった感情を殺すことが出来ず、打ち明けることも出来ず、くすぶり続けている現状が苦しい。

 

出来れば距離をとりたい。

出来るならば、彼の本質を知らなかった頃に戻りたい。

 

サンジは毎日の登下校が苦しいものとなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

約束の昼食弁当だけは欠かさず渡し、できるだけ話しをせずに家と学校を往復する。

お喋りな自分にとってはかなりきつい状況。時々話を振るが、自分の話には興味がないのか、

 

「……あぁ」

 

や、

 

「……おう」

 

などの生返事が返ってくるだけだ。

先日の大学推薦でサンジが、無事青海大に入学が決定した事を伝えた時も、ゾロは表情一つ変える事無く

 

「そうか」

 

と言っただけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『てめェは、俺の傍に居ろ。

 

大学もそうだ。金が無いなら部屋は、俺と一緒にアパートを借りれば良い。

 

とりあえず学費は奨学金で賄え、生活費は俺もバイトする。

 

まぁ……何とかなるだろう。だから絶対俺から離れるな!』

 

 

 

 

 

 

 

 

ホテルの部屋で言ったことは何だったのか。

その言葉に知らず知らず舞い上がっていた自分は、独り善がりの道化者。

ゾロにとっては、深い意味はなく言った言葉だったかもしれない。

勝手に勘違いして期待して……ありもしない愛だの恋だの、あの男には縁遠いものに縋った。

 

惨めに泣かないだけの自尊心は持ち合わせている。

 

ズルズルと後ろ後ろへ気持ちが進む。

それでも時間は進み、町並みが早いクリスマス気分に浸る中、サンジの松葉杖生活は終了しゾロの送迎も終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうなれば、会うのは校内だけとなった。

弁当の約束も送迎の間だけとの約束だったので、今はゾロ用の昼食弁当は作っていない。

校舎の一番端と端の教室だったために、時々移動教室の時にすれ違う程度となった。

 

あれほど距離を置きたいと願ったのにも関わらず、会わなければ寂しさだけが心の中を暗く苦しいものにする。

まるで女々しいと叱咤しても心は止めることが出来ず、想いを引き摺ったまま2学期が終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

年が明けて1月。

 

学校は3学期を迎えた。

3学年は、基本的に週1日の登校日に出席するのみとなっている。

 

 

サンジは病院へリハビリに出掛ける以外にやることも無く、忙しい身内の手伝いをする事が日課になった。

忙しい中にいれば、色々考える事は無い。

我武者羅に家事をして、養父が止めるまで深夜近く店の手伝いをして、気を失うまでリハビリに没頭した。

 

そこまで追い詰めないと思い出すのだ。

 

考えてしまうのだ……ロロノア・ゾロの事を。

 

 

 

自分は良い男だと思っていた。

どちらかと言えば、出来た大人の男だと思っていた。

 

しかし、考え行動している事は低レベルな餓鬼で、乙女増幅回路でも装備されてしまったのか?、と頭を抱えたくなるほど、1人の男の事だけを考えている。

 

 

 

 

 

 

「サンジ………サンジ………サンジッ!!」

「えっ!」

 

サンジの担当医チョッパーの病院でリハビリを受けていたサンジは、筋トレマシーンでメニューをこなしていた。しかし、心ここに有らずの状態。リハビリメニューで決まっているカウントを過ぎても、止めずに脚を動かしていた。

 

「サンジ!前にも言っただろう。無理なリハビリは、膝を悪化させる原因になるって!!」

「悪い……チョッパー」

 

動きを止めて俯くサンジからは、普段の明るさは見られない。

その様子に気付いた名医は、サンジの目線と同じ高さに腰を落とし、静かに口を開いた。

 

「何か悩み事でもあるのか?」

「……別に何もねーよ」

「そうか?」

「あぁ、昨日の夜更かししていて眠いだけだ」

 

その言葉が真実か。それは目を見れば一目で分かる。

だが、チョッパーは、それ以上追求する事無く腰を上げて真剣な眼差しをサンジに向けた。

 

「俺で良かったら何時でも話してくれよ」

 

優しい医者の言葉にサンジは頷いた。

自分が悩んでいる事を分かっていても、敢えて問い詰めない優しさ。

そして、いつでも窓口を開けてくれている事を示す言葉。決して暇な医者ではない。予約も3ヶ月向こうに行かないと取れないほどの有名な医者である彼が、気を使ってくれている。

 

サンジは申し訳なく感じお礼とお詫びを口にした。

 

 

 

はっきり言えば相談できる内容じゃなかった。

自分は男で、好きになった相手が男で…。夢に出てきた男に抱かれて夢精したと誰に言えるだろう。

 

寝汗を落とす名目で飛び込んだバスルーム。

密かに洗った下着。

 

思い出しただけでも情けなく涙が出てくる。

 

 

 

「サンジ……ちゃんと寝てるのか?」

 

またも考え込んでいたサンジにチョッパーは声を掛ける。

ハッとして顔を上げれば、友達の顔を見せる医者が、本来の職業である眼差しをサンジに見せている。

これ以上心配させてはいけないと、サンジは慌てて立ち上がったが、手術した膝から鋭い痛みが体を襲った。

 

近くの長椅子に座り、触診したチョッパーは、深い溜め息と呆れた表情をサンジに見せた。

 

「無理のしすぎだね。炎症おこしているよ!暫くはリハビリ中止だ。勿論自宅でのリハビリも駄目だ。薬を処方するから5日ぐらい飲んで様子を見よう。それと、膝を器具で固定するよ。杖も出すからこれ以上負担を掛けないように!!」

 

年上に向かって失礼だが、普段は可愛いイメージの医者が、今は有無を言わせない迫力で言い切る。

サンジは無言で頷き、一歩後退した自分柔な脚を睨みつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「サンジ君、久し振り!」

 

登校日、またも杖を突きながらの登校となったサンジの教室前には、ナミが待っていた。

彼女と会うのも3学期になってから初めてで、綺麗な少女が自分を待っていてくれたのかと思うと、沈んだ心もウキウキと弾んでくる。

 

「ナミしゃぁぁぁぁぁ〜ん!!俺を待っていてくれたんですか〜!!光栄だなぁ〜。分かっていればもっと早く登校してきたのに」

「本当に久し振りサンジ君!……って、また杖を突くことになったの?」

 

サンジの姿を見たナミは、美しい眉を顰めチラリとサンジの表情を覗く。

下手な言い訳は許さないと、その眼差しは雄弁に語っている。

 

「たいした事ないんだよ〜んチョットドジ踏んじゃってさぁ……」

 

黙ってサンジの話しを聞くナミは、その言葉の裏をちゃんと把握しているのか、呆れた溜め息を一つ吐き出した。

 

「無理しちゃ駄目よ!」

「はーーーーあぁぁぁぁぁぁい!」

 

おどけて返事をした先輩の頭を遠慮なく叩いたナミは、思い出したように小さな紙袋から小さなモノを取り出した。

 

「はい、あげるわ」

「……何これ?」

「バレンタインデーのチョコレート!」

 

「わぁ!感激だなぁ……」と口に出したが、今日は214日だとすっかり忘れていた。通学中も何処か街中がそわそわしていたと今更ながら思ってしまう。しかし、ナミが渡したチョコレートは、1個10円で売っている定番の商品。味はきなこもち。

 

掌に乗った小さなチョコを見詰めていたサンジに、ナミは可愛い声で

 

「お返しは、ペレッティーのブレスで良いわ!!」

「……はぁ」

 

倍返し所の話ではないだろうとサンジは思う。しかし、引き攣った笑いを浮かべるのが精一杯。

そんなサンジを見て悪戯に成功した少女はクスリと笑って「冗談よ!」と言った。

 

「ところで…サンジ君」

 

真顔になったナミが、硬い声で目の前にいる先輩の名を呼ぶ。

 

「ゾロと会ってる?」

 

その質問にサンジは息を呑んだ。

 

 

ナミは何か知っているのだろうか?

 

自分が隠していた感情を読み取られてしまったのだろうか?

 

軽蔑しているのだろうか?

 

 

色々と暗い思考が頭の中を駆け巡る。

 

 

「ゾロがイライラしているのよ。理由知ってる?」

「えっ!!……ゴメンネ、ナミさん。俺、アイツとは12月下旬から話してないんだ」

「喧嘩でもしたの?」

 

何を驚いているのだろう?

少女の目が驚きの余り大きく開いている。

 

「……別に。アイツも色々忙しそうだし、3年になると週一の登校だけで顔も見なくなったし……」

 

何を言い訳しているのだろうか。

でも、言わずに居られない。

 

「……そう」

 

視線は逸らさず、サンジの蒼い目を覗き込むナミは、小さく頭を振って何かを諦めたように息を吐いた。

 

「なら良いわ。ゴメンネ、変な事聞いて」

「そうだよ〜ん。藻の事なんか気にしないで、もっと俺の事気に掛けてよ〜〜ん!!」

「気が向いたらね」

 

バッサリと言い切った少女は、サンジの肩をポンと叩くと教室へと戻っていった。

それを見送った後自分も教室に入れば、内から美人の後輩とクラスメートのやり取りを伺っていた男達が、サンジに詰め寄って教室は一時パニックとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「散々だった……」

 

今日1日サンジにとっては碌な日ではなかった。

たかだか1個10円ほどのチョコレート1つに大騒ぎしたクラスメートが散々自分をからかい、小さなチョコを奪い合うと言う出来事もあった。

揉みくちゃにされサンジが切れて怒鳴るまで続いたパニックは、結局余韻も引き摺って放課後まで何かとゴチャゴチャ言われ続けた。

 

午前中で帰宅となる3年生は、受験を控えた者たちを除けば気楽な学生生活になっている。

昼の時間帯でもある放課後。この時間に仲間が集まれば、どこか遊びに行く話しが持ち上がり、小さなグループが校門から思い思いの場所へと散っていく。

 

サンジは、午後の予定では養父の店を手伝う筈だったのだが、無理なリハビリによって再発した膝の痛みのために中止となっている。

数人の友人に遊びに行こうと声を掛けられたが、松葉杖を突いている自分が一緒では、何かと迷惑も掛かるだろう。

ありもしない予定を並べて友人の誘いを断ると、一人帰路へと足を向けた。

 

 

 

バレンタインデー独特の雰囲気は、まだ続いている。

12年生にとって最上級生の帰宅時間は、昼食休み時間と重なる為に絶好の告白タイムになる。逆にその時間を逃せば、上級生は下校してしまうために必死な時間帯でもあった。

 

渡り廊下や肯定の隅、玄関前のエントランスのあちらこちらに可愛らしいラッピングをした贈り物を持つ少女達が目に付く。

目的の人物の登場を待つ彼女たちは、今どれだけ緊張しているだろう。

サンジは、その可愛らしい彼女たちの行動に目を奪われて優しく微笑んだ。

 

美しく強く、真っ直ぐな彼女たちの想い。

それを受け止める男は憎らしいが、彼女たちの幸せを思えば器量のある優しい男であって欲しい。

 

そんな風景の中に、サンジは思わず見詰めてしまったカップルがあった。

 

「ゾロ……と…たしぎちゃん……」

 

部室方面から歩いてきたゾロの後ろから、たしぎが駆け寄り声を掛ける。

振り向いた男は、なにやら後輩と話していたが、渡された赤い紙包みを苦い顔で受けながらも、その目は優しく笑っていた。

受け取ってもらった少女も、少し不貞腐れた表情を見せたが、直ぐに満開の笑顔をゾロに向け足早にその場を去っていった。

 

 

……そうだ。

 

今日はバレンタインデーなのだ。

 

恋するレディーが有りっ丈の勇気を振り絞り、想いを込めて告白する愛の日なのだ。

 

 

ゾロは男で、自分も男で。

 

正常な愛の関係は、今目の前で繰りひろげられた光景で…。

 

 

 

悩んでいた自分は、なんて馬鹿なのだろうと。

 

悩む事すらなかったのだと今解かった。

 

俯き奥歯を食い縛り、目をキツク閉じた。

 

そうしないと子供の様に声を出しそうだった。

 

少女の様に泣き出しそうだった。

 

 

ジリジリとその場から逃げ出すように後退する。

そして、数歩して校門へと身体を向けゆっくりと歩き出した。

 

しかし、その歩みは段々と速まる。

何時しか痛む脚の事などすっかり忘れて、足を引き摺り駆け出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「走るな!この馬鹿がっ!!」

 

校門を出て直ぐ、肩をつかまれ立ち止まった。

 

「また膝を痛めたのか!?それなら何で走るんだ。このアホが」

 

振り向いたサンジの視界には、少し息を乱し、怒りを表情に出すゾロの顔が。

 

 

 

 

ゾロの手は、右手をサンジの肩に。

 

左手には、学生鞄と赤い包み紙に入った可愛らしいプレゼントが。

 

 

 

頭の中が一杯一杯のサンジは、言い返すことも出来ず、ただ奥歯を食い縛りゾロを睨む事しか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前、今日予定は何かあるか?」

「え?」

「ちょっと付き合え」

 

僅かに乱れた息を整えながら、サンジの二の腕を掴んでゾロは唐突に質問をした。

先程の光景がまだ脳裏に残っているサンジにとって、ゾロと過ごす時間は苦痛でしかない。

 

「あぁ…これから自宅で色々とやる事あるんだ」

「急用か?」

 

真っ直ぐな瞳がサンジの青い目を覗き込む。

グッと言葉を詰まらせたが、サンジは瞳に力を入れて嘘の言い訳を並べた。

 

「ジジーの手伝いもあるし、今日はまだ洗濯もしてねーし…」

「1時間ぐらいなら構わないだろう」

「でも!」

「付き合えよ」

 

有無は許されない。

ゾロの言葉は何処か怖いくらいに真剣だ。ゾロの掴んでいる腕がギッと強く握られた。言葉以上に行動が切実さを訴えている為、サンジは折れるほかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

電車で揺られて1時間ほど。

 

平日の昼の時間、何処か閑散とした車内は普段通勤通学のラッシュになれているサンジにとっては、何処か遠い御伽の国に迷い込んだ感覚を覚えた。

時折聞こえてくる人々の会話、規則的にリズムを刻む電車の振動。

サンジは隣で腕を組み、目を閉じる男の顔を盗み見た。

 

寝ているのだろうか?何処か疲れた顔を見せているゾロ。

視線を天井へ移動すれば、網棚にはゾロと自分のカバン。そして、赤のラッピング用紙に包まれたチョコレート。

 

ゾロは彼女を置いて何故自分のところに来たのだろう?

 

部活はいいのだろうか?

噂では、もう大学の部に顔を出しそこで練習していると聞く。

 

サンジにその噂を確認する言葉は無い。

ゾロの人生に干渉する隙は自分には無いのだから……。

 

 

 

無言で過ごした車内の苦痛から開放されたのは、見知らぬ田舎の駅だった。

小春日和の温かな風に少し街が埃っぽく感じる。

見慣れぬ風景にサンジはぐるりと視線を向けた。

 

中途半端に開発された駅前は、建物だけが大きいが歩く人も少なく何処か淋しい。それを横目に見ながらゾロは少し外れた住宅街へと足を向けた。

十分ほど歩くと住宅街から抜け畑が目立ち始め、平坦な土地から小高い丘に鬱蒼と茂る木々が迫る。石で作られた塀を回りこみ案内された場所は、山頂まで続く長い石の階段だった。

階段の頂上には、僅かに鳥居らしきものが見える。どうやらここは神社のようだ。

 

 

意味が分からずその階段を見上げているサンジの前に、ゾロはしゃがみこみ背後のサンジに声を掛けた。

 

「その足じゃ登りきるのは辛れえだろう。おぶるから乗れ」

「……え?」

「『え』じゃねー。さっさとしろ」

 

命令口調の言葉にサンジはムッと口を横に引き結んで、ゾロを無視して階段を登り始めた。

 

「おいっ!」

 

サンジの背後から慌てた声が聞こえる。

 

「俺はか弱いレディーじゃねーんだ!」

「脚を痛めていんだろうがっ!」

 

凄むサンジに負けじと睨むゾロの語気も強い。

暫く睨み合うが、先に視線を逸らし動き出したのはサンジだった。

 

「ゆっくり休みながら登ればなんて事ない階段だ。……問題ねーし」

 

結構ゾロは頑固だ。

しかし、それに負けないぐらいサンジも頑固だ。言い出したら曲げない。勿論お互い自分に非があれば折れる事を知っている。ちょっと違うのは、サンジは素直に反省の態度を見せないだけなのだが……

 

「……分かった、辛くなったら言え」

「うっせー、ほっとけ!」

 

サンジの性格をある程度理解しているだろうゾロは、しぶしぶ折れてサンジの様子を伺う事にしたようだ。

 

 

 

階段数を数えるだけで一仕事になるその場を、サンジはゆっくりと松葉杖をつきながら登った。薄っすらと額に汗を浮かべたサンジの視界に、体育館程度の敷地にある慎ましい神社が飛び込んでくる。

 

石畳の先には狛犬と小さな社。

それ以外には転々と伐採されていない木がある程度の神社。

 

ゾロはサンジを気遣いながら、小さな社へと促しポケットに入っていた小銭を投げ入れてお参りする。

サンジも見習ってお財布からお金を取り出そうとすれば、「お前の分だ」とゾロが先に投げ入れて視線で参拝を促された。

 

サンジ自身のために祈る事等何も無い。

ただ、ゾロの恋が上手くいくように願うほか何も無い。

 

部活の後輩との仲が上手くいけば、サンジ自身の恋心も痛みを伴いながら何時しか消えていくだろう。

 

だからサンジは神に祈った。

 

『神様……どうか、ゾロの恋が成就しますように』

 

と。

 

 

 

 

 

「俺は神なんて信じねーけどな。挨拶だ」

 

参拝後、罰当たりな言葉を口にしたゾロに呆れ顔のサンジは言葉を無くす。

では、何のためにここへ来たというのだろうか?

 

小高い丘からは、田畑が広がる土地と近代化が進む土地が混在する不思議な町並みが見える。

敷地を区切る柵に腰掛けたサンジは、頬を僅かに撫でる春風に当たりその光景を見ていた。

 

ゾロは数歩離れた大木の前で枝を見上げている。

手にはサンジのバックとゾロのバック。

 

そして、赤いラッピングプレゼント。

 

その赤が目に痛みを与え、サンジはゾロが見上げる木に視線を向けた。

 

暖冬のせいかその枝には、濃い色のピンク色した可愛い花が所々に咲いている。まだ固いが赤い蕾が幾つもついているから、これからこの木は満開の花を咲かせるだろう。

枝振りも見事な木。

さぞかし見事だろうとサンジは想像し息を吐き出した。

 

「梅の木か?」

 

サンジはその背中に向かって質問を投げた。

 

「いや、これは桜だ」

「桜?……早くねぇ?」

 

この地方の桜の開花には、まだ1ヶ月以上先であるだろう。

首を傾げたサンジの表情を振り返って見たゾロは、目を細めて満足そうに口角を上げ笑った。

 

「これは『ソメイヨシノ』じゃねー。『河津桜』だ」

「かわづざくら?」

「あぁ、早い時期には2月の始め頃から咲き始めるが、今年はちと遅いみたいだな」

 

「よかった」と呟くゾロは、首を捻り再度桜の木を見上げた。

 

「満開になったら綺麗だろうな」

「……あぁ」

 

会話は途切れる。

 

何しにここへ来たのか分からないサンジは、この無言の時間が苦痛でしかない。

生殺しのこの状態から脱するため、意を決し口を開いた。

 

「……ところでてめェ、此処まで来て俺に何か」

 

「俺に何か用か?」と続くはずたっだ言葉は、ゾロの言葉によって消された。

 

「この花が満開になったら、……お前に言いたい事がある」

「……今じゃ駄目なのか?」

 

怖いほど真剣な眼差しを向けてくるゾロにサンジは困惑し、特徴のある眉を寄せ顔を顰めた。

 

「けじめだ」

「……けじめ?」

32日……」

「えっ?」

「その日卒業式だよな。終わったら此処に来れねーか?」

「………」

「駄目か?」

 

 

 

32日。

 

それは卒業式で正しいのだが、サンジにとっては自分の誕生日でもある。

誰かと約束は無いが、誕生日当日に態々胸を痛めてゾロと会う気にはならない…。もごもごと口内で言葉を汚し、視線を下げたサンジは言い訳を口にした。

 

「てめェも……卒業式後には、クラスとか部活の仲間とかで出掛けたりするだろう?」

 

言葉と共に顔を上げてみれば、真っ直ぐな琥珀とも金とも言える視線が逸らされる事無く見詰めてくる。

 

 

無言のプレッシャー。

 

 

サンジは、再度視線を僅かに逸らせて、小さく息を吐き出した。

 

「………分かった。終わったら直ぐに此処へ来れば良いのか?」

「色々あるだろうが、来てくれれば良い。……俺も出来るだけ早くここへ来る」

 

その言葉に無言で頷いたサンジ。

満足気に笑ったゾロの顔が、何処か幸せそうで……。背を向けなければ自分が涙ぐんだ事がばれただろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――― 3月2日。

 

穏やかな春の日差しの中、つつがなく卒業式が執り行われた。

 

思い出多き学び舎の出来事に、万感胸迫って涙する生徒達。昇降口から校門にかけては、送られる卒業生と送る在校生。教員と保護者でごった返している。

 

サンジは、部活の仲間たちと写真を撮り、後輩たちから花束を貰って暫く思い出話に花を咲かせると、隙を見てその場を後にした。参列するはずだった身内は今日も忙しく、身が軽い事もあって気兼ねなくそっと行動できたのは幸いだ。

校門を出る時、ゾロを視界に捉えたが、まだ部活の仲間たちと色々やっているようだ。目立つ若草色の髪の横には、漆黒の髪を持つ少女が立っている。

彼女なら当たり前のポジションに凛として立つ少女は、何時にも増して幸せそうな笑顔をゾロに向けている。

 

『たしぎちゃん、幸せそうで良かった』

 

己の立場を忘れて、サンジはこっそりと笑顔を作った。

あの少女が幸せなら、ゾロも幸せなはずだ。

 

『それで良いんだ』

 

サンジは、胸の痛みを堪えながら、約束の場所へと向かうため駅へと向かった。

 

 

 

 

 

 

電車を降りて小高い丘にある神社に着いたサンジは、満開の河津桜を見上げた。

 

初めて此処に来た時3分咲きといった程度のこの木は、今その圧倒的な優雅さをサンジに見せ付けてくれる。

ほーっと感嘆の溜め息が出た。

濃い色の桜の花弁は、澄んだ春の空にとてもよく似合う。緩やかな風に吹かれ可愛らしい花が揺れるたび、小さな花弁が一つまた一つと舞い降りてくる。

幻想的な風景の中、サンジは時を忘れて暫し見入っていた。

 

 

「――― 悪い、待たせたみてーだな」

 

息を切らし額に汗を流すゾロが現れたのは、サンジが到着してから40分ぐらいしてからだった。

両膝に手を置き、ハアハアと息を切らす男がどれほど急いで此処まで駆けつけたか……。普段なら嫌味の一つ出ただろうが、サンジは黙って顔を横に振るだけに止めた。

 

「……で、話って何だ?」

 

ゾロの息が整う頃、サンジは河津桜に寄り掛かり低い声で質問した。

大きく息を吸い込んだゾロは、暫しサンジを見詰めると意を決したように頷き、木に寄りかかる彼の前に立つ。そして、緊張を解すかのように再度息を大きく吸い込み、キッとその視線をサンジに向けた。

 

まるでこれから負けられない試合の立会いのように……。

 

「大学の近くに部屋を用意した」

 

頭を無意識に掻き小さく舌打ちする。

 

「……前は姉貴が借りていた部屋なんだが、今度海外留学するから空くんだ。だからそこにある程度の家具とかも入れて置いた。……親が、お前と共同生活するって言ったら色々買いだして…。使い難かったり足りなかったら言ってくれと……」

「……それが言いたくて呼び出したのか?」

 

ゾロの両親に色々と迷惑をかけたようだ…。金銭的にも負担があっただろう。しかし唐突な話に面食らい暫しサンジはゾロを何度か瞬きをしながらも見ていた。

 

だが、そんな話なら態々この日この場所に呼び出して言わなくても済むだろう内容。サンジは意味が分からずゾロを睨む。

ゾロは仕切り直すために咳払いをして頭上にある桜を見上げた。

 

ヒラヒラと淡紅色の花弁が舞い降りてサンジの金糸に降り注ぐ。ゾロはサンジの髪に付いた桜の花弁をそっと摘み落とすと、そのまま髪を指に絡めた。

するりと落ちた金髪は、細く柔らかく……。ゾロは何度もその行為を繰り返す。

そして、ゾロの大きな手がサンジの頬を優しく包んだ。

 

「この国は、まだ同性どうしってーのは偏見がある。でも、俺はお前と一緒にいたい。いや……一緒に生きていきたい。ずーっとだ、一生一緒に生きていきたい。もし、お前が偏見に耐えられないならこの国を出ても良い。お前が笑って……俺の横で笑ってくれれば俺はそれで良い」

「――― ッゾ…!!」

「………結婚しねーか?まだずっと先になるが、俺の腹ん中は決まっている。約束だ、俺はお前を必ず幸せにする」

「黙れ嘘吐き野郎っ!!」

 

悲鳴の様にサンジの否定の声が当たりに響く。

 

「……どうした?」

 

サンジの言った『嘘吐き野郎』の意味が分からず、ゾロは首を傾げる。

脛をガンと蹴ったサンジは、ゾロの襟首を鷲掴み、怒りを露にした。

 

「さっきから大人しく聞いてれば、『一緒に生きたい』だとか『結婚』とか!人をからかうのもいい加減にしろよっ!!てめェが勝手に送り迎えしてくれていた時、俺の話なんて半分も聞いてねー!それどころか鬱陶しいみてーな顔して歩きやがってっ!!それに、松葉杖突かなくなったら今度は連絡ひとつ寄越さないで何が『結婚』だっ!!ふざけんなっ!」

 

サンジの瞳からホロリと一粒の涙がこぼれた。

今まで溜まっていた気持ちがグッと胸から溢れてくる。

 

「第一たしぎちゃんはどーするんだっ!」

「あ?」

 

ギリッとサンジの掴むシャツが悲鳴を上げる。ゾロはサンジの言葉に眉根を寄せ、目を細くした。

 

「たしぎちゃんが好きなんだろう!?付きあっちゃったりしてるんだろう!?」

「……何の事だ?」

「とぼけるなっ!可愛いレディーを泣かせる気かっ!それともたしぎちゃんは遊びかっ!俺はゆるさねーぞっ!!俺と手を繋いだ事もねーてめェがいきなりふざけた事ぬかして、たしぎちゃん遊び半分で付き合って、そんな奴誰が好きになるかっ!!」

「うるせぇっ!!」

 

大声と共にサンジの肩を掴んだゾロは、サンジを桜の木に押し付ける。

背中を強く打ち一瞬息を詰まらせたサンジは、それでも負けじとゾロの顔を見て……言葉を詰まらせた。

 

「さっきから聞いてればてめェ独りで何言ってやがるっ!」

 

ゾロは今にも泣きそうな…痛みを抱えた子供のように顔を歪ませてサンジを睨む。

 

「確かに俺は、お前の言う通り上の空で鈍らな返事しかしなかったかも知れねえ。ここ数ヶ月忙しさを理由にてめェを避けていた。だが、決してお前を無視してたわけじゃねーっ!!」

 

サンジの掴んだ肩を更に力を籠めて掴むゾロは、奥歯をギリッと噛んだ。

 

「……俺は男で、お前も男だ。簡単に好きだ何だと言えるほど世の中甘いもんじゃない事は分かっている。だから、半端な気持ちでてめェに触るのは駄目だと思っていたんだ」

「……なんだそりゃ?」

 

サンジはゾロの告白に首を捻る。

 

「お前の顔が見たいと思う。近くでいっぱい話したい事がある。話せば触りたくなる」

 

肩から手を離したゾロは、サンジの髪を軽く指先で遊びその大きな手を再度サンジの頬に添えた。

 

「触れば……止められなくなる。俺は最後までお前を欲しくなる。……そりゃ駄目だ。遊びや冗談でお前を抱くのは駄目だ。浮ついた軽い気持ちでそんな事をするのは俺自身許せねー!」

「……俺は抱かれるほうかよ」

 

サンジの的外れな突っ込みを無視してゾロは話を続ける。

 

「ちゃんとけじめつけて、それからだ……。それにたしぎがどうしたって!?さっきっから俺をアイツが付き合っているとか何とかぬかしているが…」

「……バレンタインにチョコ貰って……付き合ってるんだろう?彼女幸せそうに笑って……てめェも笑って受け取っていたじゃねーか」

 

サンジはゾロから視線を外し、目をギュッと瞑ると力なく言葉を吐いた。

 

「たしぎちゃん……てめェの事好きなんだろう」

「……クックックック」

 

いきなり喉の奥で堪えた笑いをし始めたゾロにサンジはキツク睨み声を荒げた。

 

「何笑っていやがるっ!」

「悪い……クックック」

 

肩を震わせ笑いに耐えるゾロを見て、サンジは気が抜けた。

強張っていた身体を弛緩させ、小さく息を吐き出し呆れ顔でゾロの顔を窺う。

 

「どうもお前の様子が変だと思っていたが……元からお前は変な奴なんだが……」

 

失礼な事を口にするゾロにカチンと頭にきたサンジが「てめェに言われたくねー!」と怒るが、ゾロは取り合わない。

 

「あのチョコレートは、確かにバレンタインデーにと貰った。だが、あれは剣道部の女子全員で金出し合って買ったものだ。何でも哀れな男子部員たち全員に同じ物をくれたらしい。」

「……レディーたち全員?」

「おう。ひでー話だ。中身はそのままじゃ食べれねー苦いチョコの塊と砂糖とココアの粉みたいの、何とかチョコレートの作り方が書いてあるコピーが入ってやがった」

「……手作りキット?」

「そういう物なのか?どっちにしろ作る気なんてねーから、親に送りつけた」

 

何と言っていいのか言葉を無くしたサンジだったが、それでもゾロを見詰める彼女の瞳を思い出し、楽天的に考えられないサンジは、再度ゾロの言葉を否定した。

 

「……でも、それはカモフラージュで本当はたしぎちゃん、お前の事好きなんだろう?」

 

今度はゾロが首を傾げ呆れた顔を見せた。

 

「アイツが好きなのは別にいる。ってーか、付き合っていんじゃねーのか?」

「たしぎちゃんって彼氏持ち?」

「大声じゃ言えねーが、確か学校の先生と……って話だ」

「……えぇっ!!でも、でも、てめェを見るたしぎちゃんの目は、恋する乙女で―――」

「なんだそりゃ?」

「だって……」

 

そのまま言葉を飲み込んだサンジは、黙って奥歯を噛み締める。

ゾロはそんなサンジを静かに見詰め、口角を上げ柔らかく笑って髪を両手でグチャグチャと掻き回した。

 

「お前…可愛いな。そりゃ嫉妬か?」

「誰が嫉妬するかっ!!」

 

カーッと顔を赤く染めたサンジが、乱れた髪を直しながら再度ゾロの脛を蹴り付ける。

 

「痛ーなっ!このヒヨコのケツ頭!!」

「テスト最下位組みのお前に言われたくねーっ!この苔頭っ!!」

 

更に言葉を吐こうとしたサンジは、いきなり抱きついて来たゾロに驚き言葉を失った。

 

「……俺は神なんて信じていねー。だから俺はお前とこの木に誓う。お前を必ず幸せにする。」

 

再度耳元で言われた言葉に息を呑んだサンジは、消え入りそうな声で呟いた。

 

「ご両親の会社…継ぐんだろう?」

「親には話した」

 

ゾロの胸を押し返したサンジは、驚きと戸惑いを表情に頭がもげそうな勢いで横に振って口をパクパクとさせている。

宥めるように両手でサンジの顔を包むと、ゾロは自分の額をサンジの額にくっつけて幸せそうに笑い目を瞑った。

 

「確かに世間から見れば俺は馬鹿かもしれないな」

「それ以外何がある!」

「そうか?やっぱりそうかもな。だが、自分の心を偽ってお前を諦めて手にするのは何だ?金か?名誉か?それなら俺はそれを捨てる」

「…………」

「一時期の迷いとかで片付ける時期は俺の中で過ぎた。でも、お前は今日言われて直ぐ結論出せねーだろう?だから考えて欲しい、これから一緒に生活する中で、俺はお前に相応しい男になる」

「………ゾロ!」

「サンジ……遅くなったが、誕生日おめでとう」

 

ボロボロと蒼い瞳から涙が溢れ出す。

 

ストレートな言葉。

逃げも隠れもしない己の心。

 

 

もう自分の心から逃げ出す事は出来ないと、サンジはその両腕をゾロへと伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

epilogue

 

 

 

 

 

サンジはゆっくり覚醒した。

やっと見慣れた天井が目に飛び込んでくる。

部屋には強めの日差しが差し込む。時間が昼近い事を教えてくれた。

 

 

 

 

 

 

今日、サンジは29歳を向かえた。

 

自分の生まれた土地からかなり離れたこの国で暮らし始めて2年が経つ。

アイボリーの壁紙と柔らかな若草色のカーテン。部屋に置かれた明るい色の木目調家具は、優しくこの暮らしを支えてくれる。

 

顔を横に向け、普段同じベッドで寝る人物を確認した。ぐっすりと寝ている男は、サンジをしっかり抱き寝息をたてている。普段はとっくに起きて、お互いに忙しい日常に追われている時間。

語学に堪能ではなかった自分達は、この国に溶け込むために色々な苦労を強いてきた。しかし、それがお互いの絆をより一層強くしたと思うのはサンジだけではないだろう。

 

 

 

大学を無事卒業したサンジとゾロの関係は今も続いている。

ゾロは親の跡を継ぐために一般従業員と同じ扱いの中で父親の経営する会社に就職した。3年の営業と事務経験の後、海外事業の経験を得るためにこの地に赴任したのだ。

サンジも卒業後養父の店を手伝いながら近くの体操教室で子供相手にコーチをしていた。が、それを捨ててゾロに付いてきている。

 

 

ハイジャンプの夢はついえた。

一時期はその容姿も手伝って『世界で最も天高く舞う男』として陸上競技選手では珍しく注目を浴びた。

マスコミへの露出も多く大学生活と競技生活のほか多忙な日々を送り、それなりに充実した毎日を過ごした。

しかし、そんな彼を突然の悲劇が襲ったのだ。

 

競技会中に襲った右膝靭帯断裂。

 

十字靭帯を一度手術した彼にとってこれはアスリートとしての致命的出来事だった。

無論名医であるくれは医師やチョッパー医師の手腕に委ねれば再起はあったかもしれない。しかし、大学4年を迎えたサンジは、区切りの年と考えて日常生活に支障をきたさない程度の手術とリハビリを選んだ。

この選択は養父のゼフも恋人であるゾロからも何一つ意見はなかった。

サンジの選んだ道をただ静かに受け止めて……。

 

そんなサンジは、ゾロの経済力に甘えてこの国ではほぼ専業で家事を担当している。

時々近所に住むレストラン経営の夫婦に頼まれてキッチンの手伝いをするが、僅かに引き摺る足の為にあまり無理を言ってこない。

しかし、自国の郷土料理を教えて欲しいと常々頼まれていたサンジは、無理なくその夫婦に迷惑をかけない程度にレストランへと顔を出していた。

 

 

 

 

 

 

「うぐ」と意味のない言葉を口にしたゾロへサンジは微笑をおくる。

ここ数ヶ月怒涛のように押し寄せた仕事に疲れているだろう男は、この日を休むために更に無理をしていた事を知っている。

身体に溜まる倦怠感と僅かに痛む身体を捻りサンジはゾロの頬に手を沿わせた。

 

出会った時から精悍だった顔つきは、年齢と共に更に男としての貫禄がでて来た。

学生時代の刺々しいイメージはなりを潜めて穏やかな空気を纏っている様に見えるが、その存在感は重く人を圧倒する。

 

同じ男として嫉妬させするその存在……。

社会人として世間に出ていた時代の少ない自分は、他人から見るとどう捉えられているのか……。

知りたくて知りたくない。そんな思いが心を揺さぶる。

 

このポジションが女性ならばそれは世間的にも不思議ではないだろう。

大学を卒業し、短期間社会に出て結婚する話など捨てるほどある。

 

それが男同士なら……。

 

サイドボード上に飾られた1つの写真。

この国は同性同士の結婚が認められていると聞き、ゾロが無理やりサンジを連れて飛び込んだ教会で撮った写真。

平服の二人は、神父と共に硬い表情で写真に写る。

その時は嬉しさと戸惑いとごちゃ混ぜだった。

 

時が経つにつれ、それが今でも正しかったのか……。

 

男の自分が隣に立っていて良かったのか……。

 

 

 

5年経って…10年経って……30年経って。自分が年老いた時、その姿は今とは違うだろう。

 

後継者を残さなければならないゾロにとって、若くもなく子供も産めないサンジを選んだ事……いつか後悔する日が来るのだろうか。

 

 

 

 

 

写真に気を取られていたサンジは、突然腕を引かれて体制を崩し、ゾロの半身へと体重を掛ける状態でうつ伏した。

 

「……何かまた良くねぇ事考えているだろう!?」

 

寝起きの声を低くしてゾロはサンジの顔を覗き込む。

少年のような不機嫌の表情が可愛らしくて、サンジは笑いを耐えて目元を緩めた。

 

「おはようさん、重いだろう?腕離せよ」

「重くねェ」

 

言葉と共にギュッとサンジを抱きこんだゾロは、髪に鼻先を突っ込み、匂いを嗅いでいる。

 

「てめェは犬か?」

 

笑いを含んだサンジの声に、ゾロはふざけてワンワンと耳元で囁く。

そんな色気のない言葉を囁かれても、くすぐったい以外何ものでもなくて……。

 

「ゾロ……ワンワンゾロ。おはようぐらい言えねえ……な、犬だから!」

「おう、言えねぇな」

 

笑うゾロが顔を上げてサンジの表情を見る。

 

「おはよう。……で、何考えてやがった?」

 

先程見せた柔らかいゾロの表情は一瞬で消え、真剣な眼差しがサンジの瞳を覗く。

 

 

未来に対する不安を口にする事は女々しいと、サンジは首をゆるく振り、口角を僅かに上げて微笑めば取ってつけた言葉をゾロへと向けた。

 

「思い出していたんだ」

「……何をだ?」

 

ゾロの表情は、疑心に溢れている。

 

「サクラ……あの時見た桜は今どうなっているのかと思ってな」

「……『河津桜』の事か?」

 

 

まだゾロとサンジが学生時代を送っていた時、見事な桜の木の下で自分たちは将来を決めた。

今考えれば十分子供だと思うのだが、その時自分たちは大人のつもりで、それから巻き起こる障害など簡単に乗り越えられるものだと信じていた。

 

若いからこそ出来る無謀……。

 

しかしその誓いは、苦難を乗り越えた今でも未だ色あせる事なく鮮やかに続いている。

 

 

 

「今年は駄目だったが、来年の誕生日には長い休み取って桜を見に行くか」

「……え?」

 

口角を上げて目を細めるゾロは、優しい眼差しでサンジに言った。

 

「来年だけじゃねー、再来年もその次の年も、毎年毎年あそこの木に行くんだ。そして毎年お前に誓う、幸せにすると」

「……ゾロ」

「俺が歳とってヨボヨボになってもあの木は変わらずあそこに居る。世の中の価値観が変わってもあの木はずっとあそこで花を咲かせ続ける。だから毎年行ってその都度お前とあの木に誓うぞ。あの言葉で……」

 

 

 

 

 

 

『俺は神なんて信じていねー。だから俺はお前とこの木に誓う。お前を必ず幸せにする。』

 

 

 

 

 

 

 

その誓いは、

 

移りゆく時代が二人の形を変えても

 

変わらず舞い降りる薄紅色の花弁に似て

 

 

 

 

 

 

 

 

これからもずっと二人で生きていく……。

 

 

 

 

 

 

神に愛されしその翼を 終