未だ生を知らず

 

 

 

 

 

 

 『未だ生を知らず、いずくんぞ死を知らんや、人木石に非ざれば皆情有り』

 

訳:生きると言うことがどう言う事なのか分からないのに、況してや死がどういう意味なんて分かるわけないじゃないか!

人はそこらへんの木や石ころじゃないんだから、皆それぞれ心と言うものがあるんだよ。

  (孔子「論語」より )

 

 

 

 

 

 

 

 

 エドワードが今日を持って18の歳を数えた時、周辺の動きが騒がしくなった。

 

 −−−第二次東方戦争勃発

 

軍の攻撃も反勢力の大きな力に苦戦を強いていた。

 

総統府命により『第二次東方戦線本部』は、東方司令部に設置され総司令官に『ハロク将軍』、前線本部に『マスタング将軍』が配置される事が発表されたのは、エドワードの誕生日が過ぎて1週間も過ぎた頃だ。

 

 

 

元の身体を手にした『エルリック兄弟』は、お互いの道をそれぞれ歩み出している。

 

弟は、イーストの寄宿学校で学生生活を営んで。

これは、兄エドワードが切に願って取らせた行動だ。兄思いのアルフォンスが、到底普通とは掛け離れた生活を余儀なくされた自分の変わりに、ごく普通の一般人としてその生を全うして欲しいと心で訴えいるのを聡い弟が察したからだ。

 

その兄エドワードは、中央に残り『国家錬金術師』を続け今まで調べ上げた『練成における理論』や『構築式』を資料化する作業に没頭する毎日。

 

これは、軍トップの命令でもあった。

 

実際は『国家錬金術師』を辞め様と退願書を提出したが、受理されなかった事でこの作業が発生している。仕方なくでは有るが、中央に家を借り作業に取り掛かろうとした時、『将軍職』に昇進したロイ・マスタングに同居を進められた。

ローティーンの頃から支えられ、その愛を身に受けてきたエドワードにとって不思議な事ではない。しかし、こそばゆい甘い生活に慣れ始めた頃に今回の『前線本部配備』。エドワードの心に、そして、ロイの心にもかなりの動揺が走っていた。

 

 

 

 

 

「いつ…移動するんだ?」

 

この移動が発表されて初めてこの事に触れたエドワードは、感情を押し殺した表情でウィスキーを飲むロイに話し掛けた。

 

「……明日だ。」

「…いきなりだな」

「エドはこれからどうする?」

「どうするって?」

「エドが軍に入隊するのではないかと心配でね。」

 

エドワードは、飲んで居た珈琲カップをテーブルに置き、ロイの表情を見詰めた。

 

…苦しんでいるな。又、人が大勢死ぬ。知っている奴も知らない奴もイッパイ。だから…俺は決めてるんだ。

 

「入らないよ。ここに居る…ロイの帰りを待つ。それだけだ。」

「ありがとう。」

 

ロイの優しい声にエドワードは涙があふれそうになる…。

 

−−−俺は泣かない。『懇情の別れ』じゃ無い!必ずまた会える。こうして一緒に居られる。……俺達の生活は始まったばかりだから。

 

「見送り……行かないぞ。」

「あぁ、どうせ明日の朝は起きられないだろう…。」

「………」

 

エドワードは、ロイの言わんとしている事が解かり目を見開いて…とっさに顔を背けた。

 

「しばらくエドには会えないから、エドを忘れない様にしっかり身体に覚えさせないと。」

「覚えなくていい…エロいんだよバカ。」

 

言葉とは裏腹に…心はロイを求めている。

 

だから……。

 

「…起きれなくなるまで…スルナ。おはようぐらい……言わせろ。」

「努力しよう。」

 

エドワードの言葉を肯定と取り、ロイは飲みかけのグラスをテーブルに置くと、エドワードを抱き上げ自分達の寝室へ連れて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 −−−朝、エドワードが目を覚ました時にはロイの姿が無かった。

 

 

 

 

 

 

軍事列車が出発したのは朝の3時。

その事を知ったのは、その日の昼過ぎだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 −−−第2次東方内戦勃発から4ヶ月が過ぎた。

 

反勢力の力は衰えず、逆に高く強度の有る塀で囲まれた都市に『ろう城』しながらのゲリラ攻撃に、前線は何度も大きな打撃を受けていた。

 

そんな中、東方にある『本部』及び、統領府は、事態の早急な鎮圧の為に『国家錬金術師10名及び、警護・補給部隊138名』の敢死部隊投入を決める。

 

−−−敢死部隊…言ってしまえば『死を覚悟し、その命を代価に突破口を開く部隊』。無駄死に覚悟である。

 

前線本部を護るロイにとっては、正に『寝耳に水』の状態だ。

通信担当のフュリーから文面で知らされたロイは、激昂の余り椅子から立ち上がりその拳を机に叩きつけた。

 

「何でも『国家錬金術師』を投入すれば済むと思っているのか!!」

「将軍、本部からの命令です。」

「解かっている!!それで、作戦内容は!!」

「はい。明後日、部隊長が『作戦資料』と『投入部隊の名簿』を持って前線本部に入るそうです。」

「部隊長は決まっているのか?」

「……はい。アームストロング准将です。」

 

ロイは愕然とした。

何故彼ほどの地位が有る人間を『敢死部隊長』などに決定したのか。

いくら『国家錬金術師』だからといって、無駄死に覚悟の部隊に『将軍職』の人間を採用するなど…本部の馬鹿さ加減も呆れるばかりだ。

 

「それと……副長ですが……。」

「なんだ?副長がどうした??」

「副長が『鋼の錬金術師エドワード・エルリック』と通信がありました。」

 

 

 

 

ロイは崩れ落ちる様に自分の席に腰を降ろした。

 

 

 

 

 

 

 

「……エド?」

 

フュリーは、小さく頷くともう1枚の通信文章をロイに差し出した。今回の一部人事と日程が書き込まれた紙に、鋼の錬金術師の名前が書き込まれている。信じられないロイは、もう1度その文章を読み返し真実を受け入れると、書類を握りつぶし叫び出したい衝動を押さえる事で精一杯だった。

 

忘れる事が出来ない4ヵ月前に見た悲しみを堪えた笑顔。

必ず帰るとその額にキスを落とし家を出た。

 

 

 

「それを……神は…………どこまであの子を苦しめるっ。」

 

ロイの心に『絶望』が込み上げてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アームストロングが、前線本部に顔を出したのは指定された日の午後だった。司令部室内には異常な緊迫感が張り詰めていて、誰一人声を出すものはいない。その静寂を破って、前線司令部長官であるロイは、アームストロングに声をかけた。

 

「任務ご苦労。」

「中将もつつがなく。」

 

ロイの顔は苦悩を映していた。しかし、声には力がありアームストロングは少し安堵の溜め息をした。

 

「今回の作戦内容書、及び、先発部隊名簿です。それと、こちらが今日到着しました救援物資の納品書です。確認願います。」

「解かった。…所で准将、聞きたい事が有る。君は今回の『隊長』を志願したと聞いたが本当か?」

 

通信でアームストロングの参戦を聞いた時は、本部の無能さに呆れたが、実際は本人が志願したと聞いてロイ達前線本部は絶句していた。

死に行く様な作戦の『敢死部隊』を率いる事を志願する馬鹿は居ない。

それもイシュバールで共に戦った者が志願したのだ。文句の1つも言わなければ気が収まらないのだ。しかし、アームストロングの表情は崩れる事無く、逆に覚悟を決めた声でロイに言った。

 

「私が志願したのは、先に『国家錬金術師』のメンバーが発表されたからであります。」

「……」

「私もあの『少年』を小さな頃から見てきました。彼の人生はこれからです。中将と住む事になったと話してくれた時の笑顔を忘れられません。…私の身体は大きい。彼の盾ぐらいにはなるでしょう。」

「……准将。」

「私も腕には自信が有ります。必ずこの作戦を成功させます。」

 

ロイはアームストロングに頭を下げた。

 

−−−自分は一緒に戦場に赴く事は出来ない。

 

アームストロングは、自分の代わりとしてその身を戦場に置こうとしている。

 

「この作戦は無謀過ぎる……。無理をするな!引くチャンスを間違えるな。無事帰って来い!!」

「承知致しました。……エドワード・エルリック殿は物資の確認作業の為車両付近に居るはずです。」

 

アームストロングはエドワードの所在を言うと、敬礼をし部屋を後に……。

その背を見送ったロイは、作戦内容の確認の為、書類を広げた。

 

作戦開始は、明日早朝5時。

 

軍の行動を確認される前に決行する突発に近い作戦だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ロイがエドワードに会えたのは、夕食のローテーション中にたまたま食堂で会った時だ。

始めて見るエドワードの『軍服姿』は、小さかった少年の面影が消え、大人の表情をした神々しいまでの存在感を周りに与えていた。しかし、強さの中に儚さが見え、これからの作戦の悲しさがそのまま映し出された様にさへ感じさせる。

 

ロイとエドワードは、お互い当たり前の様に同じテーブルに着き簡素な食事を取る。会話もないまま時間だけが過ぎて行った。

 

「…鋼の。少し時間を貰えないか?」

 

その呼び方は、久し振りに聞く響きだった。もとの身体に戻ってからは、1度も聞かなかった『銘』。エドワードの心に鈍い物が走った。

 

「将軍の……都合に合わせるぜ。」

「食事が終わったら私の仮設部屋に来てくれ。」

「……了解。」

 

ロイは、先に席を立ち食堂から出て行く。

……エドワードは残っていた食事に手を付けず、後を追う様に食堂から出て行った。

 

 

 

 

 

 

「将軍…入るぞ!!」

 

ロイが寝ている部屋の扉を開けると、エドワードはいきなり腕を掴まれ引き入れられた。ロイが扉を強く締めると、そのままエドワードを貪る様に急性なキスを送り続ける。

 

「…う……んん……」

 

突然の行動に、焦るエドワードを無視し何度も角度を変えロイはキスをする。エドワードの膝がガクガクと崩れる頃、ロイはやっと唇を放しエドワードが折れてしまうほどキツク抱き締めた。

 

「何故だ……何故エドがここに来たんだ!!」

「……命令だよ。」

「解かっている…だが……私は神を恨む。何故エドなんだ!!」

 

エドワードは、ロイの身体を少し押して顔を見ると今にも泣きそうな悲痛な表情をしていた。

 

「将軍…あのさぁ−−−」

「2人きりだ…名前で呼んでくれ。」

「ロイさー。俺死にに来たわけじゃないし…。俺、まだこれからロイと生きていくんだよ!まだロイとの生活を何も知らないんだっ。…死んでたまるか!!」

 

ロイはもう1度、エドワードの頭を抱える様に抱き寄せ突き上げる衝動に耐えた。

 

 

 

エドワードとの生活は、半年にも満たなかった。これからだったのだ。全てはこれから始まるのだ。

 

「ここでエドを滅茶苦茶に抱けば…明日出動は出来ない。」

 

ここで思わずエドワードが遠慮がちに笑い始めた。ロイの腕の中で身を丸め、一生懸命笑いを堪えている。

 

「……何故笑う。」

「だって…だってさっ。笑える!!俺、死にに行くわけじゃないんだって言ってるじゃん。」

「この作戦を知らないのか?」

 

ロイの真剣な怒りに笑う表情をしたままで、エドワードは余裕な声のトーンで返事をした。

 

「知ってるよ!小人数で敵陣に特攻かけて中央で騒動起こして…本陣迎え入れの為、残りの部隊の奴らが牙城崩して…ガキでも考えない馬鹿みたいな作戦。」

「エドは…何処に配属される?」

「俺?……俺は、先発隊。街の中央で『起爆』する。」

 

ロイは、キツク目を瞑り奥歯を噛み締めた。

 

「……俺は死なないよ。大丈夫…大丈夫だよ……。なあロイ…俺……死なないよな……」

 

最後は聞き取れないほどの小さな声で、エドワードは言葉を発した。ロイの腕にエドワードの細かい震えが伝わってくる。ロイがエドワードを見ると、軍服に包まれた『少年』が恐怖と独り戦う姿。

 

ロイはエドワードの服に手を掛け、上着を脱がし始めた。

 

「ろっ…ロイ!ヤメロ!!……明日出るのに身体動かなきゃマジ死んじまう!!」

「何もしない。……ただエドが『軍服』を着ているのが気に入らない。」

 

その言葉に抵抗していたエドワードの手が止まる。ロイは、上着を脱がせベットに有った毛布を持ってきた。

 

「これを巻いていなさい。今日の仕事は終わりだろ?明日の朝までここに居なさい。」

 

エドワードの振るえる手は、ロイが差し出した毛布をうまく掴む事が出来なかった。

 

「ハハハ…俺…震えてるよ。気合入りすぎだなっ。」

「無理しなくていい。私も緊急時以外仕事は無い、エドが寝るまで抱きしめていよう。…安心して寝れるまで。」

 

ロイは、エドワードに毛布を掛け抱き上げると、ベットに腰掛ける様に座りエドワードを毛布ごと抱きしめる。

 

自分にも経験があった。

『初陣』の緊張と恐怖。あの時は、仲間で密かに持ち込んだ『酒』に救われて眠りにつく。

エドワードには『酒』を用意するつもりは無い。変わりに自分が『酒』の変わりに『安心感』を与えようと祈りを込めて抱しめた。

 

「…ロイ……。なんか話せよ……楽しい話し。」

「話し?……何か有るかな?……楽しい話しは全てエドがらみだ。」

「そうか?俺そんなに変な奴か?」

「違うな。『変な奴』だから楽しいんじゃない、エドが……続きが聞きたいのなら無事帰ってきなさい。」

「おぉっ!ひでー!!『生殺し』じゃんかー!」

 

たいした内容の話しではないが、ロイは何時もより優しく饒舌にエドワードに話し掛け続けた。毛布の暖かさ、ロイの匂い、優しい声にエドワードの心が何時の間にか軽くなり、気がつけばロイの腕の中で小さな寝息をたて初めている。

 

 

 

 

 

 

 

その夜、エドワードを抱きしめたまま横になったロイは眠る事が出来ない。

ただ静かに眠るエドワードの瞼や頬にキスを落とし、寝顔を見詰めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まだ朝になりきらない時間、前線本部のセンターでは、先発隊の出発式の為司令長官で有るロイの激が飛んでいた。

 

「いいか!無駄死にはするな、必ず生きてここに戻れ。貴官達の任務遂行を祈る。」

『司令長官に敬れーーーーーーい!!』

 

号令と共に148人の先発隊員は一斉に敬礼した。

その中に、金髪の髪を一纏めにしたエドワードの姿がある。しかし、ロイもエドワードもお互い目を合わせ様とせずその瞳を真っ直ぐ前に向けていた。

 

 

 

 

軍には出兵する隊員に送る儀式が有る。

 

『出兵する者』を『残る者』が1人1人握手をし送り出す。『残る者』…前線本部の司令部に居る者達は一列になり、車に乗り込む『出兵する者』に握手をして声を掛ける。

 

 

 

……無事に……無事に……生きて帰還を!!

 

 

一般兵に続き、国家錬金術師達が車両に向かって歩み始める。最後に副隊長で有るエドワードと隊長で有るアームストロングが1人1人と声を掛け手を握り合う。

小さい頃からエドワードと接してきた『元東方司令室』のメンバー達は悲痛な笑顔でエドワードを送り出す。

 

……生きて笑顔を見せて。

 

祈るような言葉でエドワードを送り出した。

『残る者』の最後に、司令長官であるロイがエドワードの手を握り締めた。

 

「……戻って来い。」

「当たり前じゃん!昨日からそう言っているだろ?」

 

ロイは、エドワードの隣に居るアームストロングの手を握り祈る様に声を掛けた。

 

「鋼の…エドワードを頼む。」

「微力ながら最善を尽くします。」

「准将も必ず帰還しなさい。」

「判りました、お約束します。」

 

ロイはもう1度エドワードの顔を見た。

 

「エド…。」

 

エドワードは笑ってロイに敬礼をした。

 

「行って来ます。」

 

 

 

 

 

 

 

 

ロイは、車両に向かうエドワードにこれ以上言葉が掛けられず、ただその姿を見詰めていると、車両に乗り込む前にエドワードはロイの方に振り向き大きな声を出した。

 

「ロイッ!昨日の夜の約束忘れるなよ!帰って来たら必ず聞かせろよ!!それと……」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう!!!」

 

 

 

 

 

 

その言葉を残し、エドワード達は前線に出発した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

前線部隊が帰還する予定は、それから13日後になる。