01 見えない顔

 

 

 




「航海士さん、島影が見えるわ!!」

 

見張り台からロビンの声が甲板に響く。
オールを持った男達は、手を止めてロビンの示した方角に目をやった。

 

視界5メータも無い深い霧の中、闇雲に進むのは危険だと航海士のナミは言ったが、船長であるルフィは頑としてこの間から出ることを指示した。
彼の直感は、至って正確に危機を感知する。だから渋るナミは、それでも力自慢の男達にオールを持つよう指示した。

凪ぎに捕まったメリー号。オールを手に先へと進んだクルーたちは、長時間の重労働に幾分元気をなくしていた。その時、考古学者の天使の声が聞こえたのだった。

 

「ロビン、どのくらい先にあるの!?」
3キロも先にないわ!気をつけて!!」

 

水深が気になる所まで島影は見当たらなかった。

 

 

 


いきなり霧が晴れて視界に飛び込んできた島は、緩やかな円錐型をした小さな島。


石畳が印象的な古い街に、統一された背の高い建物は皆白い壁で出来ている。赤褐色の屋根と晴れた青空が洒落た一つの絵を連想させるには十分であが、小さな山の中腹には、黒い大きな建物が目に入る。洋館と言うより城と言ったほうがしっくりくるその建物は、白の街の中で何処か禍々しい気を漲らせていた。

 

「どうして人影がねーんだ?」

 

呟いたのはルフィだ。
霧を抜けたその時から、頭上には昼間の太陽が雲に隠れることなく地上を照らしている。快晴ともいえるこの日に、島には人一人も見つける事も出来なかった。


勿論、まだ島まで距離があるのだから見えなくても不思議な事ではないが、港にも誰一人いる様子が見当たらない。港に船が停泊している感もない。
町そのものに生命が…、活気がないのである。

 

まるで無人の島。


いや、何処か置き忘れられた巨大なジオラマ。

 

「……俺も気になった。何で海鳥もいないんだ?」

 

サンジが煙草を咥えながら静かに話す。
海上レストランで生活していたサンジにとって、海鳥は島が近い事を示す合図だと当たり前のように感じていた。
夜は流石に見ることも少ない海鳥。だが、今は昼。気候も穏やかで渡り鳥だってこの地を一時の住処として暮らしてもおかしくは無いのに。

 

「魚も見あたらねーな……」

 

キャラベルの小さな船から見下ろす穏やかな海の中は、生き物ひとつ見ることが出来ない。
それどころかゴミ1つ浮いていない不気味なほど美しい蒼。
ゾロは、グッと眉根を寄せた。

 

「……兎に角、島に着けるわ。」

 

何時も強気な航海士の声は、不安に駆られた子供のように弱く、頼りない。
無言のまま島を眺める船長に声を掛けたが、微動だにしないその姿に見張り台にいた年長の女性へと同意の視線を送った。












「あの島に入らないほうがいい」

 

聞きなれない声に、麦藁のメンバー皆がそこへと視線を送る。
メインマスト横に置かれた樽の上。黒のマントをスッポリト頭から被った者が何時からかそこに腰掛けていた。


マントの隙間から僅かに除く銀の長髪、白い肌、赤い唇。


気配なくそこにいたその者にゾロとサンジは咄嗟に身構え、チョッパーとウソップはお互いを抱きしめあった。

キンとゾロの鯉口が切られ、サンジのクツが床を叩く。
示し合わせたかのようにその一歩を踏み出した時、力強い声が船内に響き渡った。

 

「ダメだ、ゾロ、サンジ!!」
「―――!」

 

動きを止めた二人が振り向いたその先には、口を真一文字に結んだ船長が、真っ直ぐ前を見詰めている。
船長命令に従うべきか躊躇うサンジと素直に刀を鞘に戻すゾロを横目に、少年船長は樽に腰掛けた正体不明のその人物にスタスタと歩み寄った。

 

「オメーは誰だ?」
「君は?」

 

投げた質問を逆に返されたが、そんな事を気にせず鋭い眼光のルフィはそのマントの人物を見据える。

 

「俺は、この船の船長でルフィだ。モンキー・D・ルフィ。」
「……猿?猿なんだ。」
「いや、猿じゃねーし。」

 

真剣な表情の前、掌を左右に振り律儀に訂正を入れる船長。
そんな姿を遠くから元祖突っ込み担当のウソップが「訂正入れている場合かよ!」と小さな突込みを入れた。

 

「シン・クライム。」
「……???」
「名前だよ。」
「そっか。」

 

警戒無くニッと笑った少年の太陽の笑顔に、マント越しの表情が緩んだのが分かった。
その雰囲気に固唾をのんで見守っていた仲間たちも、安堵の息を吐き出す。

 

「で、何であの島には近付いたらいけねーんだ?」

 

真面目な表情から一転、警戒無く無邪気に疑問を振る船長に、彼を知っている仲間達さえ呆れた表情を浮かべた。

 

「あぁ、それは………でも……もう、手遅れみたいだね。」

 

マントの人物は、空を見上げメインマストが大きく膨らむ様を見詰め、ポツリと呟く。

 

「航海士さん!」
「………ええ、ロビン。分かっているわ。」

 

マストから降りてきたロビンは、足早にナミの元へと近付く。
2
人の会話には、緊張感が含まれており、何事が起こったのかと男たちは視線を投げた。

 

「この船、勝手に港へと向かっているのよ。舵もきっていないのに、正確に接岸施設へ向かっているの。」
「さっきまで風一つ吹かなかったのに。ううん……風はあったのよ、でも、向こうにある霧は全く晴れない。」

 

先程まで漂っていた海域の霧は、この風の中晴れることが無い。
なのに、真っ直ぐ島へと進むメリー号。

 

「話したいことは沢山あるけど、取り合えずやる事をやってしまおう。手伝ってくれないか?」

 

シン・クライムと名乗った人物は、リーダーであるルフィに声を掛ける。
何を手伝えというのか?首を傾げる麦藁の海賊達を脇目に、腰に下げた小さな袋をサンジに向かって放り投げた。

 

「これを船の外周に出来るだけ飾り付けて欲しいんだ。」
「……なんだこれは?」

 

サンジが開いた袋を覗き込んだゾロが、戒心を怠らず低い声色で質問する。
中に入っていたのは小さな銀で出来たクロス。
人差し指の長さにも満たない小さな十字架が、大量に入っていたのだ。

 

「説明は後だ。あいつ等は君たちを見つけ島に呼び寄せている。港に着くのは夕暮れ時だろう…。」
「だから、誰に見つかったって?」
「サンジ、兎に角それを船に付けるぞ!」

 

食い下がるサンジの行動を咎め作業を促したルフィは、袋を取るとクルー達に少しずつ渡した。

 

「ルフィ!訳も分からない怪しい人間の言う事を信じるの!?」

 

歩き始めた船長の背中にナミの声が届く。

 

「分からなくないぞ!シン・クライムだ!」
「……だから!!」

 

一瞬振り返りナミをみたルフィだが、その言葉を流し船端に向かって再度歩き出す。
一度言ったら引かない船長だ。皆もそれに習って手に持っている十字架を縁などに打ち付ける為、散開して作業に取り掛かった。





















作業は思っていたよりも手間が掛かった。

弱い純銀のクロスを、硬い木にで出来た船に突き刺す事は思っていたよりも難しく、差し込む為の小さな穴を作るひと手間が時間をロスしてしまった。

日も傾き、飾り付けられたクロスがオレンジの光を弾きキラキラと輝いている。
そんな中、全て小さな飾りを付け終わりキッチンの周りを、シンの腰に巻いていた頼りない銀のチェーンでぐるりと巻き終わった彼らは、船首で作業をしていたシンに近付きその口から説明される内容を待った。

 

「丁度、入港に間に合ったみたいだ」

 

シンが指差した先は、着岸間近の島が迎える最初の港町。
遠くから見た時は、人一人見当たらなかった街に次々と窓明かりがつき始める。
そして、街路地のガス燈がパラパラと突き出すと、一人また一人と住人が石畳の美しい道に姿を現した。

 

「なっ……!何なのアレ!!」
「わぁぁぁぁぁ!!」
「がっ………骸骨!!」

 

ナミ、チョッパー、ウソップが悲鳴を上げ、ロビンが口を押さえサンジが海へと煙草を投げる。
目を細めその街の様子を片時も見逃さず睨むゾロ。
握り拳を胸へと引き上げたルフィ。
誰かのゴクリと飲んだ唾がやけに耳に響いた。

 

「良く見ろ、骸骨だけじゃない。」

 

その言葉に注意深く街を見れば、半身を失った者がズルズルと這いながら街を進む姿。
その身体に躊躇いも無く喰らいつく人々。
腐った身体から身を剥がしながら、よろめき何処かへ向かっている者。

唯の島ではない事が一目瞭然で見て取れる異常な街。

 

「ここは、グランドラインにある最悪の島のひとつ。スペントゥ・デフ島………ようこそ、終焉の島へ。」

 

島を背中越しに麦藁の海賊たちに両手を広げたシンのマントが、風に吹かれフード部分がはらりと落ちる。
その顔は、全く血色が無く銀の長髪と紫暗の瞳が美しいが、どこか禍々しい少年の素顔を曝け出していた。

 

「ここは、吸血鬼マンユ公爵が納める島。吸血鬼が頂点となって、血を吸われ魂を抜き取られて捕食の為だけに生かされている人間たちが住む殺戮の島。……君たちをこの島に近付けたのは公爵の力。君達を喰らう為だ。」
「喰らうって……俺達は食べられちまうって事か?」

 

ガタガタと身を震わすウソップが、絞り出す僅かな声が風によってシンの耳に届く。
表情の薄い少年は、眉を僅かに下げて小さく頷いた。

 

「けっ、そのクソ公爵とやらを倒せば良いだけの話だろう。クダラネー。」

 

新しい煙草に火を着けたサンジが、取るも足りない事と切り捨てたが船長の表情は厳しいままだった。

 

「シンは、俺達を助けに来たんだな。」
「あいつ等に見つかる前にと思ったんだけど、間に合わなかった。」
「あいつ等?」

 

ルフィの質問に答えたシンの文言にゾロが反応する。

 

「あいつ等って事は、そのナントカ公爵って言う吸血鬼以外に敵はいるんだな?」

 

シンはその問に答える事無く島を振り返った。




日は落ち、暗闇が島を包み、船を包囲する。
黒い威圧的な城から数十羽の鳥達が悲鳴を上げて空へと飛び立った。