Principal 

 

 

 

 

 

 

 

 明日に迫った公演のゲネプロを終え、仲間達と夕食を共にしたロイは、足早にレッスン場へと向かった。

 

 親友であり悪友で有るヒューズの初監督作品『牧神の午後』。ここ三ヶ月、この公演の為にロイは本来の『プリンシバル』としての立場と、舞台に拘るあらゆる事を助言し手伝だった。

プリンシバルとして主役を張る以上、そちらを疎かにすればこの舞台が失敗に終わるのは解かりきっている。しかし、これを機会に芸術監督として世界的飛躍を目指すヒューズを見捨てる事が出来なかった。

その為、それを補う為に一人時間の有る限りレッスンに励む。

身体は等に限界を超えて疲れが溜まってる。明日の初日公演の為休むべきなのだろうが、心情的にそんな気分にはならなかった。

何より今まで支えてくれた友人の為、失敗は許されなかたのだ。

 

 

 

 

繁華街からスタジオに近道とばかり公園の柵を飛び超え進む。この時間ともなると、夜の公園と言えどカップルの姿も殆ど無く、静寂が支配している。

日中は汗ばむ季節にはなったが、夜は今だ肌寒い。ロイは、スプリングコートの袷を握り噴水広場から野外ステージへと続く道を歩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰も居ない筈の野外ステージに人の気配を感じ、思わず身を潜めたロイは、そのステージに舞い降りた天使を見つけた。

 

 

 

 月明かりの中、音も無く踊る金髪の子供。

 

 

 

長い髪を下ろし、汗で張り付くシャツを脱ぎ捨てた子供は天使では無く少年のようだ。暫しその踊りを見詰めていたロイは、自分の目を疑った。

 

 

 年端も行かない子供が持つ技術ではない!その柔軟性もジャンプ力も、バランスも、荒削りながら才能溢れる踊りだ。

踊っているのは『ボレロ』。それは、ロイの『十八番』で、この演目で一躍Topに踊り出た代表作でもある。単調な曲ながら繊細で力強く、ダイナミックな踊りだが、技術の浅い者が踊れば貧困に映り優雅さの欠片も見られない。

その踊りをこの少年はものの見事に踊っているのだ。

自分は評論家に『焔のボレロ』と表された踊りに対し、この少年の踊りは鋼の刃物の様に鋭く何かを断ち切らんと踊っているようだ。

 

 しかし、ロイは違和感を感じた。その少年の踊りを見ながら自分の身体を小さく動かす。

 

 

 

 

――― 踊りが逆になっている。

 

 

 

まるで鏡を見ている気分だ。

ポール・ドゥ・ブラはあっているが、左右が逆なのである。ロイは思わず唸ってしまった。

 

 

 

――― 誰がこんな踊りを教えたのだ?

 

 

そう思いながらロイは知らず知らずステージへと足を向けて行く。

人の気配に気付かず踊り続ける少年の集中力の高さに驚きながら、ロイは最後まで少年の踊りに魅入ってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

どの位見ていたのだろう?少年はロイの姿に気付き踊りを中断した。先程までの幻想的な表情とは打って変わってキツイ眼差しがロイを睨む。少年の金瞳と言う稀な色は、月明かりの中で何か別の生き物を想像させ、ロイの背筋をゾクリとさせた。

「何見てんだよ!見物料取るぞっ!!」

「は?」

天使の第一声は、余りにもガラが悪かった。

 

 右腕を突き出し憮然な態度を見せる少年は、暫らくロイをステージ場から見下ろしていたが、ロイが何のリアクションも取らない事を知ると踵を返しステージ奥に置いた荷物を掴み、そこからステージ下へと飛び降りた。

汗でべた付く事も厭わない少年は、肩に濡れたティーシャツを掛けディーパックをぶら下げてロイの横を通り過ぎる。ロイは無意識にその少年の右腕を掴んでいた。

「……何か用かよ?オッサン。」

「オ………オッサン?」

ロイは29歳。この歳でオッサン呼ばわりされたのは生まれて始めてだ。そもそも、その世界では有名なロイに対して『オッサン』などと呼べる人間は居なかったのも事実だ。

 ロイは眉を寄せ目を細めて、言葉の悪い少年に注意を促した。

「年長者、それも見知らぬ人間に対して口の聞き方を知らないようだな?」

低めに発した声は、その少年の眼光を強めただけでそれ以上の効果は得られなかった。ロイはそれでも重要な事を伝えるべく再び口を開く。

「そんな格好で街中を歩くつもりか?」

「別にアンタには関係ないだろう?」

「しかし、風邪をひくだけなら問題はないが、このままでは警察の厄介になるぞ?」

「………警察。」

『警察』の言葉で、その少年の身体はビクリと震えた。

ロイは暫しその様子を見詰めて居たが、何と無く突き放す事も出来ず自然と彼の腕を離し、自分が着ていたスプリングコートを少年の身体に掛けた。

「………何だよ。」

「付いて来なさい。」

「これ返すよ。」

「ダンサーが身体を冷やしてはイケナイ。」

「俺、ダンサーじゃ無いし……、いらねーよ。」

俯き自分の身体からコートを外そうとした少年を、ロイはもう一度包む様にコートを着させる。

「先程『見物料』と言ったね。お金は払えないが、変わりに私が君にあるモノを見せてやろう。『等価交換』だ、どうする?」

「…………腹の足しになるなら。」

「お腹が空いているのか?」

先程までの強気な瞳は陰を失せ、少年は瞳を逡回させると「付いて行く。」と小声で返答した。

 

 

 

――― 何故見知らぬ少年にここまでしなくてはならないのか?

――― 明日は大切な初日ではないか!?

 

 

 

 

そんな気持ちもあったが、ここでこの少年と別れてしまう事が何より『怖かった』。『怖い』と言う表現が正しいのか解からない。しかし、今のロイにはこの感情が何か解からず、兎に角、この少年の素性だけでも聞き出せないかと考える自分に呆れ、それでも彼を促しスタジオへと足を向けさせた。

 歩きながら少年は、小さな声で歌を唄っていた。それは歌詞が無くメロディーだけだが、バレエ音楽の『ジゼル』の一幕だと言う事は直ぐに解かる。

 先程のミラーの様な『ボレロ』といい、この『ジゼル』の曲といい、この少年が話す言葉遣いを合わせると、不思議な存在で仕方が無い。どのような環境で育った子供なのか?それ以上にこれ程の才能の有る少年を知らない自分はバレエ界で何を見て来たのか!。コンクールに出場していないのか?色々な事が頭に浮かぶ。

それ程今この少年に、自分が惹き付けられている事を自覚したロイだった。

「名前を聞いていなかったな、私はロイ。ロイ=マスタングだ。」

「………エドワード。」

フルネームを名乗らない少年は汗が乾き寒いのか、コートの襟をキツク掴んで身体を小さく丸めてロイの後を追い駆けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

連れられて来た建物を見上げたエドワードは、その大きさに驚きを隠せなかった。

 

白を基調とした建物は暗闇の中でも存在感は大きく、周りの建物よりその重圧感は見事である。視線を動かしその建物を見詰めている少年に声を掛け様とした時、彼はロイに突飛押しも無い事を聞いて来た。

 

「ここって『スタジオ』?」

「そうだが?」

「………俺のヌード写真撮るつもりなのか!?」

「何故そうなるっ!!」

指差すプレートを見ればダンススタジオの名前が掲げてある場所だ。良く見れば『スタジオ』の場所には照明が当たっているが、肝心の『ダンス』の部分に当たる筈の照明がずれている。

ロイは、小さく溜め息を付けば

「ここは『ダンススタジオ』だ。変な想像はよしてくれ。」

と言い放ち、少年を連れ建物内へと進んだ。

 

 

 

 

 建物内に入り気付いた。

少年はかなり汚れているのだ。顔はそうでもないが、首筋やコートを握り締めている手や腕、煤けている感が大きい。ロイは少年を強引な態度でシャーワールームへと案内し、強制的にそこへ押し込んだ。

「洋服はそこの洗濯機に入れろ。二時間ほど有れば乾燥も出来る。」

「………」

ロイの言葉に不信な眼差しを送るエドワードに、ロイはその疑問を目で促す。

「俺にシャワー浴びさせて……綺麗になったら『イタダク』とか?」

「………どこからそんな発想を思い浮かべるんだ!他意は無い、着替えは用意しておくからゆっくり入りなさい。それと私は、さっき入って来たホールから突き当たるレッスンスタジオに居るから声を掛けなさい。簡単な夕食を出そう。」

エドワードは驚きを表す様に大きな瞳を更に開け、目の前の大人を凝視する。

その行動の意味を解かりかねるロイは、暫しその少年を見詰めたが、ロイ自身やらなけばならない事がある為そこを後にした。

 

 

 

 

 

 身体を温める意味も含め、ロイはバーに掴まりプリエに時間を掛けていた。イキナリ踊れば時間の短縮かもしれないが、下手をすれば怪我をしてしまう。

明日の初日を控えている今、無理な踊りは厳禁である。

薄っすら汗が流れ始める頃、ドアがゆっくり開かれた。姿勢をそのままで鏡に映るその人物を目にした時、一連のプリエを止める結果となった。

 

 本来ジュニア用に購買している清潔な白無地のショートサイズティーシャツに黒のスパッツを着たエドワードは、先ほどまでと違った色をロイに見せ付ける。金髪は思っている以上に明るく自ら光りを生み出す様である。煤け汚れていた時もその肌は白かったが、今は陶磁器の様だともロイは見詰めた。

 

「サンキュー、洗濯機も借りてるよ。」

「……あぁ、構わないよ。」

 

エドワードの声に弾かれた様に現実に帰ったロイは、今だ呆然とその姿を追い続けた。

少年は遠慮無く部屋の隅まで進むと、チョコンと腰を降ろし

「夕飯くれるの?」

と催促を始めた。その瞳は暗闇で見る時より金を増し、力強い生命力とも取れる焔が揺らめいている。

 

 

 

――― まさに『光りから生まれた様な子供』だ。

 

   色々な人を見て来たが、ここ迄人を魅了する存在は居ただろうか?

 

 

魂を獲られたか如く動く事を止めたロイに、エドワードは眉を潜めた。

 

「………あんた、疚しい事考えている?」

「違う!見事な金髪だと……」

「俺は嫌いだ。………アイツと同じこの髪は嫌いだ。」

 

少年の声は弱々しい物だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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