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「何を言って居るんだ!この状態を無視している訳にいかないだろう!!」 「駄目なんだっ!医者は……駄目なんだ…。」 ロイの胸座を掴むエドワードの声は、語尾を弱めた。苦痛とも違う痛みを堪え、固く瞑った瞼は震え奥歯を食い縛る。 掴むその手も震えていた為、ロイはそっとその手に自分の手を添えた。 「……その理由を聞いても?」 「………」 答えたくても痛みで声が出せないのか、苦痛の表情は緩む事無く身体を細かく振るわせるエドワード。そんな子供をロイは問答無用に抱き上げた。 「医者へ!」 「ハボックが車を回している。」 大人達の言葉を聞いたアルフォンスは、咄嗟にロイの腕を掴んで蒼白の顔を向け叫ぶ。 「駄目です!医者は駄目なんです。」 厳しい顔を向けたロイは、先程から拒絶ばかりを表す兄弟達に理由を促す。 アルフォンスは、少し戸惑って視線をさ迷わせたが、何かを吹っ切る様に瞳を閉じ小さく息を吐き出すと、意を決死ロイに真剣な眼差しを向けた。 「僕達兄弟は『身分証明書』を持っていません。僕達を保護した大人達が所持して居る為、社会福祉や保険が使えません。仮に病院に行って診察できたとしても『自由診療』として莫大なお金を請求されて、その上、未成年として警察に通報されて僕達の保護者に連絡されてしまいます。そうなれば……また地獄へと帰る事に成ります。兄さんをこんな身体にした大人達の元に行かなくちゃイケナイ。だから僕達は今まで身を潜めてあの人達から逃げて来た!それが全て無駄になってしまう!!」 肩で息をするほど興奮したアルフォンスは、更に話しを続ける。 「僕だって兄さんの脚を……腕だって診てもらいたい。でも…もしあの大人達に掴まったら、兄さんは今度こそ殺されてしまう!そうなった……今度は僕が……切れて、あの大人達を―――」 「アル、お前が言いたい事は解かった。」 アルフォンスの話しを後ろで聞いて居たヒューズは、諌める為に肩へと手を置いた。その手をゆっくり頭へと移動し、視線を自分へと向けさせれば優しい父親の顔を見せた。 「俺達はお前達の味方だ、エドを危険に曝そうとは思っていない。解かるか?」 「………」 どう返事をするべきか悩むアルフォンスに、ホークアイは言葉を足す。 「私達も伊達に大人じゃ無いのよ。エドワード君とアルフォンス君が何かから逃げて居た事は想像していたの。でも、貴方達が言うまで誰もそれに触れなかった。私達は、貴方達兄弟が大好きよ。だから信用して欲しいの。」 後ろに控えているフュリー、アームストロング、ファルマン、そしてブレダ頷き同意見だと態度で示す。アルフォンスは戸惑い今だロイの腕で苦痛に苦しむ兄を見ると、俯き何かを考えて居るようだ。 クイッと顔を上げたアルフォンスの瞳は、決心したその強い眼差しを隠す事無く大人達に向け、頭を深深と下げる。 「兄さんを、お願いします!」 その言葉に安堵の顔を浮かべたロイは、集まった仲間達に視線を巡らす。 「後は頼む。私はノックス先生の所へ行って来る。」 「俺も一緒に行こう。」 「あぁ、頼むヒューズ。アルフォンス行こう。」 「はいっ!」 足早に歩き始めたロイとヒューズをアルフォンスは慌てて追い掛けた。 そこは、お世辞にも綺麗と表現できない診療所だった。 エドワードを抱えたロイ達が尋ねた診療所は、手入れがされてい玄関と点滅する外灯が全てを物語って居た。その荒れ果てた建物に驚きと呆れを浮かべたアルフォンスを他所に、ロイとヒューズは躊躇う事無くそのドアを叩いた。 「先生!ノックス先生!!」 「診療時間外に悪いが急患なだ、診て欲しい。」 深夜に近い時間帯にも関わらず、大人達は大きな声を張り上げる。その大人達を不安そうに見詰めるアルフォンスの視線をヒューズは視界に入れた。 「まぁ、アルが驚くのも無理無いな。見ての通り建物は汚い、これから出てくるだろうオッサンは小汚い―――」 「人を馬鹿にするのなら帰れ。」 ヒューズの話を折る様に声を掛けて来たのは、診療所から顔を出したノックス。痩せた風貌に剃り残した顎鬚、眼鏡の下にはキツイ瞳が時間外の患者に『迷惑だ』と語っている。 しかし、それに気を悪くした感を見せないロイは、躊躇う事無く声を掛けた。 「夜分悪いが急患だ、頼む。」 「悪いと思ったら顔を出すな。」 アルフォンスは眉を寄せもう一度ロイとヒューズを見詰めた。しかし、ロイ達は言葉とは裏腹に、その目は笑っている。これが彼ら日常の挨拶なのだと解かった時、小さく安堵の息を吐いた。 ノックスに通された診察室で診療を終えたエドワードは眠って居た。聞けば数日痛みを堪え寝不足の日々を過ごして居たのだという。そんな兄を見て居たが、どうする事も出来なかったアルフォンスは、一先ず眠りに着いた兄を見てホッと胸を撫で下ろす。そして、事を終えたノックスは皆を集め、その隣接した部屋でアルフォンスを囲み病状を説明し始めた。 「ハッキリ言うがな、どうすりゃあんな脚が出来あがるのかこっちが聞きたいくらいだ!」 待合室だろうその部屋で、ノックスは煙草に火を付けながら唸るように呟く。 ノックスが診たエドワードの脚は酷かった。 脚の甲に在る五本の骨は、全て『折れて』居た。しかし、治療の後は無くそのままの状態で放置した為、不自然な形で骨を筋肉が固定し、形成されてしまった。歪んだ脚は日常的に使われて居た為、左足と言わず腰にも相当な負担が掛かっていただろう。 炎症で熱を持った身体は、ここ数日の疲労も合わさったのだろうとノックスは言った。 「一先ず痛み止めを注射したから落着いているが、根本的に解決した訳じゃない。俺自身、この仕事を長くして居るが、あんな脚は見た事が無い。その上、身分証も無い、身元保証人も居ない……。どう言う事か説明してもらおうか。」 ギロリと向けられた視線に身を引いたアルフォンスは、歪んだ顔を俯かせて言葉を無くした。 しかし、医者に見せる事を決意した時、こうなる事も予想の範囲だった為、重い口はゆっくりとポツポツと語り始めた。 「兄さんの許しも無く、こんな事人に話しても良いのか……。でも……話します。それが兄さんの為に成るなら。僕達兄弟の両親は居ません。正確には『父さんは行方不明』で『母さんは病死』しました。父さんと母さんは、バレエ界では有名な人だったらしく、両親を無くし身元を誰が引き受けるか決める時かなり揉めたそうです。……その名前が欲しい大人達が、当時地元で『踊りが上手い少年』として有名だった兄さんを奪い合いました。兄さんは、僕が一緒じゃなければ何処にも行かないと言い出して……、結局、経緯は解かりませんが、ある男達が僕達を迎えに来て……」 そこでアルフォンスは言葉を止めた。 その表情は蒼白で、何かに怯えた感が強い。大人達は声を掛け様としたが、それを揺れる心で制止させ暫らくその続きを待つ。 少しの間の後、アルフォンスは小さな声で重大な事を口にした。 「僕達を引き取ったのは、ヨキと言う人です。実際その人は僕達を『管理』していた人で、僕達の身元を保証する人は『コーネロ』と言う人だそうです。」 その人物に大人達は驚き顔を合わせた。 『コーネロ』と『ヨキ』 コーネロは代議士だ。大物政治化の名前を挙げろと街頭インタビューをすれば、間違い無くその名前は上がる程の人物だ。熱狂的な後援者が居る彼は、温情派の政治家としても有名で次の政権は彼が握るとまで言われている。しかし、彼には暗い部分が多く在ると噂されている。実際それに首を突っ込んだ報道関係者は、事実を公表する事無くその身を隠して居るとも言われている。 そしてヨキは、彼の私設秘書で黒い部分を担当して居るのが彼だとも言われていた。 ――― 何故、そんな人物がこの兄弟に関わっているのか? 大人達はゆっくりとアルフォンスにその視線を集中させた。 「……詳しい事は僕にも解かりませんが、引き取られた僕達は、ユースウェルという村に監禁されて育ちました。僕が9歳で、兄さんは10歳だったと思います。そこには、家庭教師が何人も来ました。一般学習の家庭教師は勿論、バレエの先生も尋ねて来て僕達に踊りを教えました。」 「その教師がエドの身体を?」 余りにも苦しそうに語るアルフォンスに見兼ね、ヒューズは口を挟む。しかし、小さく首を横に振ったアルフォンスは懐かしそうにその目を細め、そこか遠くを見詰めた。 「先生は僕達を……兄さんを庇ってくれました。あのヨキと言う人は、兄さんを『金の道具』と言って次回のクラシックバレエコンクールに出場させ優勝させろ!って言ってましたから……。」 「僅か10歳の子供に優勝だ!?冗談じゃない!!」 ヒューズは声を荒げた。その大会は、プロ試験と同じだ。 このコンクールに優勝すれば、プロ・バレエダンサーとしての道は大きく開く。その為に16歳から18歳ぐらいの子供達は、血の滲む思いで練習を重ね出場する。 もちろんコンクールなのだから勝者も居れば敗者も居た。この大会で入選も出来ずその道を去るものも大勢居る。しかし、プロを目指す以上ここで優勝しなければ光りの道を歩む事は出来ないのだ。ロイ自身もこの大会優勝者で、それによってプロの道を歩み始めた。 それを10歳の少年が優勝などと……、夢物語も大概にしろと誰もが言うだろう。幾ら天才と言われる子供だろうと、それ程甘いコンクールでは無い。 「ヨキと言う人は、兄さんが優勝すれば『コーネロ様が有利に成る!』って言ってました。どう言う意味かは解かりませんが、先生はそんな考えを正し僕達……兄さんを庇ってくれました。家を借りて先生の旦那さんと一緒に暮らして、出来るだけあの人達と関わらない様にしてくれました。先生は身体を壊していました。子供も授かったらしいのですが、死産だったそうです。その子が生きていれば、ちょうど僕らぐらいの年齢だったとも言っていました。だからでしょうか?僕達兄弟をとても愛してくれました。でも…、そんな暮らしは3ヶ月で終わりました。先生は解雇させたんです。」 押し黙ったアルフォンスの姿を見れば、どれだけその『先生』が彼らに愛情を注ぎ込んだのか想像出来る。彼らにとってはその人は唯一の救いだったのだろ。 ロイは、アルフォンスの肩に手を置きその先生の名を尋ねた。その名前はバレエ界に身を置くものならば驚愕する名前だった。 「先生の名前は『イズミ=カーティス』って言います。」 「……カーティス……『黒鳥のイズミ』か……」 『イズミ=カーティス』 彼女は遅咲きのプリマドンナだった。 彼女がその存在を世に知らしめたのは25歳の時。それまで舞台センターに主役として立った事は一度も無かった。彼女は長期に渡り『群舞』の一人として劇団に在籍していたのだ。 そんな彼女に在る日転機が訪れる。 それは、トリシャが立つ舞台『白鳥の湖』のオディール役である。 その公演は、公演発表記者会見時から話題性に高い舞台だった。ジークフリード王子にホーエンハイム、オデットにトリシャと夢の顔合わせの上に、ロートバルトには、引退し暫しこの世界から身を引いて後輩指導をしていたブラッドレイ。そしてオディールには、当時トリシャと人気を分けていたラストが配役されていた。 本来は、オデットとオディールは、同じバレリーナが踊る慣習が在るのだが、今回は一人二役では無く、各々配役が在りそこに人気の高いダンサーを投入している。その事も、今回この作品にどれだけの意気込みが在るかを証明して居る様でも在る。 世界が注目し、公演回数も限定された物だった為、そのチケットの入手は困難を極め『プラチナチケット』としてその事も話題となった。 しかし、その上演1ヶ月前に事か起こった。 昨日まで共に練習に励んで来たラストが、突如行方不明になったのだ。事件性も絡め捜査が行なわれたが、調べていくうちに、ラストは自らの意思でその身を隠した事が判明した。 理由は『トリシャとの比較』。 オディールは『白鳥の湖』の話の要で在るが、実際には準主役と言う立場。扱いがトリシャと余りにも違うと腹を立てその役を正式に降りてしまったのだ。 急遽オディールの代役を捜す嵌めに成ったスタッフは、行き詰まった。オデットに化け王子を誘惑するその踊りは、大変な技術を必要とする物だ。特に有名な『第三幕のグラン・フェッテ・アントールナンで三十二回連続回転をするという大技』は、この話の見せ場で、この踊りで王子を誘惑すると言う重要な場面である。 三十二回転のグラン・フェッテは、スピードとバランス。そして優雅さを全面に出し人を魅了しなければならない。未熟な者がそれを行なえば、無様にも舞台上で転倒し、間の悪い公演は免れなくなる。 今回は唯技術が優れていれば良いと言う訳にも行かない。古典クラッシックバレエの型から大きく脱し、独自の解釈を多く取り入れた『現代版』である。 バレエは台詞が無い。感情の全てを踊りと音楽、表情とマイム(仕草)で現さなければいけない。古典ならば、ある程度見慣れた作品な為、お約束的な踊りで十分だが、今回は新作に近い表現が多すぎる。そして『妖精トリシャ』に見劣りしないダンス。 ならば、トリシャに二役を!と言う案も浮上したが、今回は新作に近い表現が多い為、今から二役をこなす事はトリシャに掛かる負担が大き過ぎる。 ………条件が悪過ぎた。 公演中止も考えなければ成らない状態に追い込まれたスタッフは、連日の会議で思考も停止していた。 そんな時、その会議に顔を出したのがトリシャだった。 「私が提案するのはおこがましいのですが、オディール役に相応しい人を紹介したいのです。」 優しい気に包まれた彼女は、揺るぎ無い自信を覗かせ一人のダンサーを推薦した。 名前は『イズミ=カーティス』。この公演にも『群舞』として参加するダンサーで在る。この公演を最後に劇団裏方のジグと結婚し、家庭に入る彼女にとってはラストダンスでもある。 無名の彼女の名前にその場に居た誰もが耳を疑った。 トリシャ自身が推薦する自分を凌ぐダンサーが無名の群舞ダンサーなどと誰が信じられるだろう。しかし、彼女は譲らなかった。イズミ以上のダンサーは居ないと言い、彼女でなければ勤まらないだろう……下手をすれば主人公で在るトリシャは食われる。光りを闇が制するぐらいの力の在るダンサーだと言いきった。 急遽イズミは舞台に呼び出された。 監督やスタッフが見守る中、トリシャ自ら必至に彼女を説得したのだ。 トリシャにとって二期上の彼女は、憧れであった。 彼女を目指し踊り続ける毎日だった。なのに、彼女自身はコンクールに出場する事も無く、ただ群舞の一員としてその才能を隠し今に至る。 誰よりも鮮烈な眼差し、群を抜いた踊り……存在感。一度で良い、センターに立つ彼女を見たかった。 自分の我が侭だとも言いそれでもトリシャは頭を下げお願いした。 腕を組み目を細めたイズミが、眉を寄せ苦い表情を作ると天井を見上げ大きく息を吐いた。 イズミにとってトリシャは『可愛い妹』の様な存在。学生時代から何時も背中から声を掛け走ってくる可愛い後輩だった。彼女が主役を務める舞台で何度も群舞として踊った。それが憎いとも感じなかった。唯、後ろから彼女が踊っているのを見るだけで幸せだった。 「私は、今回の公演で引退する。未来の在るダンサーを推薦した方が良いと思う。……違うか?」 「でも、私はイズミさんと踊りたいんです。」 「……ならば、私はこの公演を降りる。」 「イズミさんが降りるなら、私も降ります。」 「…………」 「…………」 「……大馬鹿者、今回だけだからな。」 「あの時は、お前と観に行ったんだよな、ヒューズ。」 「あぁ、知り合いにチケットを譲って貰って観に行った。俺は未だに覚えて居るぞ!あの素晴らしい舞台。」 「………良く解からないんだが?」 「先生はこの業界に興味無いから詳しくは知らないだろうが、こう言えば解かるだろう?『プラチナ=スワン』だ。」 「プラチナ……スワン……。あぁ、それがこいつらの先生か……。」 「父親は『ジークフリード』、母親が『オデット』。そして、先生が『オディール』。層々たるメンバーだな。」 「『金の成る木』。………この兄弟がそう言う価値観で見られるのも無理は無いか……。」 「バレエ界にとっては稀な遺伝子の産物だな。」 膝を付き合わせて話を弾ませる大人達を、アルフォンスは首を傾げて眺めている。 先程ヒューズが言った『プラチナ=スワン』。バレエ界に身を置くものは当然の如く知る伝説の舞台だ。豪華キャスト以上にその舞台は、観る人に鮮烈な記憶を残した。白鳥は儚く美しく、黒鳥は高貴に妖しく……彼女達無しでは、この舞台は有り得ない!人々は口を揃えて絶賛したのだった。 「あのー、………兄さんの話、続けて良いですか?」 弾む話の腰を折る様で気の引けたアルフォンスは、それでも遠慮がちに大人達へと声を掛ける。つい夢中に成り話が逸れてしまった大人達は、顔を見合わせ苦い笑いを浮かべた。 |
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