報告書シリーズ それは長〜〜い等価交換 8.狭隘(きょうあい)な惑乱 |
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あの日は、かなり疲れていた上に腹も減っていて、執務室に珍しく飾られていた黄色い花が美味そうに見えた。 待ちくたびれてしゃがみ込んだ足下に咲いたタンポポが、俺の空腹に追い討ちをかける。 ――― 視察と言うなの昼食 大佐に捉えられたあの日は、俺にとって遠い昔で、暑かったあの日と同じ様に今日の日差しも強い。 運命なんて言葉は信じていない。でも、あの時一緒に食事をしなければ…、あの時一緒に買い出しなんてしなければ…。 いや、俺達が出会ってなければこんなに大佐を想う事は無かっただろう。 でも、出会ってしまった。惹かれてしまった。 そして……落ちてしまった。 『ロイ=マスタング』に…… なぁ、大佐。あんたの行動の意味が解からないよ。 でも、この気持ちに名前を付けたら答えは一つだよな…。 アンタの記憶が無くなった日、俺は決めたのに……。 大佐の幸せを願うなんてカッコイイ決断をしたのに……。 優柔不断な俺は…… 。 風邪が治り、また軍へと手伝いに出た俺だったが、大佐の仕事が落着き始めた事も在り、今までフォローに回っていた中尉が本来の仕事をこなせる様に成り始めた。 こうなると、俺は大佐の護衛兼スケジュール管理などと言う仕事は無くなりフリーな時間が多くなる。 そして俺は、本来ここへ赴いた理由……、『中央図書館』への出入りが多くなった。だけど、相変わらず忙しい軍部は、イレギュラーな仕事が飛び込み中尉もフォローの為時間が無くなる。その為、俺は、朝と昼、中尉に連絡を入れその日の行動を決めていた。 午前のみで大佐のお守を開放された俺は、中央司令部の廊下を歩いていた。 それでもここ数週間出入りしていた事も在り好奇な目で見られる事は減ったが、始めも頃は軍人に『迷子』と間違われた事もある。 昼食を摂る為食堂へと続く廊下。進行方向から見慣れた軍人達が歩いて来た。 「よお、大将!これから昼食か?」 そう声を掛けて来たのはブレダ少尉で、その後ろには准尉そしてアルの姿。皆、手には崩れんばかりのファイルが積み重なっていた。 「あぁ、昼食摂ったら図書館だ。」 「そうか、まぁ頑張れよ!」 「アンタ達もな。」 適当な会話の後、最後尾にいたアルフォンスに声を掛ける。 「アル、この前は有り難うな。」 「兄さん、身体は大丈夫なの?」 少尉と准尉は、アルフォンスに先に行くと声を掛け職場へと行ってしまった。残ったアルと俺は、廊下のど真ん中じゃ失礼だろうと、少し端に避け久し振りに会話をする事にする。 「お陰で腕が動くよ。有り難うな!」 そう言って腕をグルグル回して見せれば、呆れた声でアルが俺に言った。 「まったく!兄さんは無茶し過ぎだよっ!!」 「わりーって。」 「本当に反省してるのかなぁ?いっつも言葉だけなんだもんっ!!」 「これからは気を付けるって。」 「……言葉に真実味が無い。」 「兄を疑うな……。」 こんな会話をするのは何時ぶりだろう? 前回会った時は、俺はまだ熱が下がらずウツラウツラしているベッドでの事で、その時は肩に填まった鉛玉を取って貰った時だった。その時は、アルも忙しかったらしく、二言三言話した程度で直ぐに大佐の家から軍へと帰ってしまった。 その前は、……挨拶程度ならばしょっちゅう顔を付き合わせてはいるけれど、まともに会話をしたのは大佐の記憶がぶっ飛ぶ前だったりする。 久しく話す事が無かった俺達の会話は弾んだ。 「――― そうなんだ!ブラハも毎日出なんだよ。」 「それで『無能』より使えるって?」 「……そこまでは言っていないよ。」 「そうか?でも事実だろう?」 「………」 微妙な会話はそれで楽しい。 しかし、そんな時間はあっという間に終わる物だ。 「アルフォンス君!」 「「中尉!!」」 俺の後ろから声を掛けて来た中尉は、柔らかな微笑を浮かべ俺達に近付いて来る。アルの肩をポンと叩き俺へとその視線を向けた。 「ゴメンナサイね、折角ゆっくり話しているのに。アルフォンス君、そのファイル至急運んでくれる?」 「スッ…スミマセン!!直ぐにっ!!」 「あっ!!悪い。忙しかったんだな。」 「ご免ね兄さん。」 「こっちこそすまなかったな。」 名残惜しそうに振りかえりながら別れを告げたアルは、もう一度立ち止まり俺を見詰めた。 「………どうした?アル??」 「うん…、兄さん……あのさぁ……」 「何だよ?」 言いにくそうに言葉を含むアルフォンス。どうしたのかと首を傾げれば、隣りにいた中尉がアルに声を掛けた。 「アルフォンス君、急いでね。」 「あっ……、はい。じゃあ兄さん……辛くても頑張ってね。」 「………???あぁ、アルも頑張れよ。」 アルの言い回しに再度首を傾げた俺は、隣りの中尉へと顔を向けた。俺の視線に気付いた中尉は、やはり首を傾げて見せ俺の質問を受け付けない雰囲気を漂わせる。
「………アルは何を言いたかったんだ?」 この言葉は独り言と成って、答えを貰えないままに成ってしまった。 午後、ある程度の調べ物を終えた俺は、大佐の家へと戻る。 あの日以来俺はなるべく大佐と顔を合わせない様務めている。いや、正確には『考え無い様に』している。 『そんな単純な事は自分で考えるんだな。』 あの熱が出た日、大佐に言われた言葉が俺の脳内を占拠していたが、今はそれを拒絶している。 仮に深く考えて見たとしても、その答えで俺の行動が変わるわけじゃない! 俺が好きなのは『記憶のあった頃の』ロイ=マスタングであって、今のアイツじゃ無い!!だから、考える事を放棄したんだ。 今日の大佐の予定は、夕方からの閣議がある為何時に帰宅するか解からない。だから、夕食は軍で用意してもらう事に成っている。 一人分の食事を作るのは結構面倒臭いが、適当に並べた料理に手を伸ばしながら、俺は今調べている事を綴ったレポートを読んでいた。 目で追っている筈の内容は、ちっとも俺の頭には入って来ない。代わりに脳内を占拠しているのは、結局アイツがのたまった言葉で、俺は深くその思考へと入り込んで行った。
左手で頬杖を付き、右指で机をトントンと叩く。 小さく溜め息を落せば、悩んでいる内容すら馬鹿らしく盛大な溜め息が再度口から吐き出された。 俺は、知らず知らずに今の大佐に要らない事をしていたらしい。それがアイツの好奇心に火を着けたのか?俺を構う様に成り始めた。 無視されるのはある意味悔しいが、俺の意図としていない方向に傾いたのは失敗だったと思う。 ――― 今更だと思うが、出来るだけ冷たい態度で接して行こう。 そんな事をボーっと考えていた。 「鋼の。」 「ぎょわぁぁぁーーー!」 耳元で囁いた声は、俺の身体にゾワッとした感覚を残す。耳を押えて立ち上がった俺はその声の主を睨み付けた。 「おっ驚かすなっ!!」 業とらしくおどけた表情の大佐は、帰宅した直後なのか軍服姿だった。胡散臭い笑いを顔に浮かべ俺を見る大佐は、芝いがかった仕草で俺を非難する。
「もう少し色気のある声が出無いのか?」 「うっせー!そんな物俺に求めてどーする!?女に求めろっ!!」 未だに顔が赤くなっている事を自覚しながら虚勢を見せる俺もどうかと思うけど、言わずにはいられない。 「仕事はどうした!」 「そんな物とっくに終わった。」 「そんなもの……って…」 時計を見れば二十二時を過ぎていて、俺は夕食をまともに口にいれること無く無駄な思考の海に身を投じていたらしい。 すっかり冷めてしまったコンソメスープは、ベーコンの油臭さが鼻に付き手放しで美味いとは言えない状態だ。でも、空腹に気付いてしまった俺は今更温め直す気にも成れず、椅子に座り直し掻き込む様に放置していた夕食を口に入れ始めた。
「何かツマメる物は無いのか?」 「んぁ?」 軍服の上着を脱ぎソファーの背へと投げた大佐は、俺が食べ始めた料理をマジマジと眺めている。その視線が餓鬼の『腹減った!母さんオヤツまだぁ?』に似ていて、小さく肩を窄めた。
「軍の夕食では物足り無い。酒のツマミに何か出してくれ。」 「何で俺が?」 「……出してくれないのか?」 「………」 「………」 ………微妙な沈黙。 この大人の甘えは、俺の行動の結果か? これがイソイソと手を出していた俺の行動のせいだと思う。何せこの大人は、洋服から食事から俺の手を借りないと行動できなく成っている。 その理由は全て俺に有ったりする。俺がこの家にい候し始めた時目に入ったのは、箱に入れられた生活用品。中央に来てから忙しかったのか、その箱の殆どが未開封の状態だった。
『遣る時は徹底的に!そうでない時はそれなりに……』 その考えそのまま、手が空いている時間を見付けては荷物を整頓した為、俺じゃなきゃ荷物の場所が解からなくなってしまった。凄い誤算だと今更ながら後悔している。
でもって、今だ沈黙を続ける俺達………。 肩を竦めた大人は、俺の視線を占領し業とらしく溜め息を付いて見せる。ムッと口を結んだ俺は、食べ残した料理が乗った皿を積み重ね、シンクへと向かう為椅子から立ち上がった。
隙を見せたのが行けなかった。大佐に背を向けた瞬間、後ろから覆い被さる様に絡み着いて来る腕。咄嗟に左肘を大佐へと振るが、体格差に物を言わせた大佐によって俺の身体は机にうつ伏せる様固定された。
「何しやがるっ!」 「何って…何だろうな?」 「何だろうな…、じゃねーだろう!!退けっ、重い。」 背後に顔がある為、振り返ってもその表情を捕らえる事が出来ない。服越しに伝わる大佐の体温が、ジワジワと俺を侵食し小さく震えてしまう。髪を括っていたゴムを口で外され机へと捨てられる。バラバラと落ちて来た髪が今の状態を更に意識させ、得体の知れない恐怖が俺の中に生まれ始めた。
「風呂には入ったんだな。」 「――― !それがどーしたっ!!退けっ!!」 「嫌だ。」 「!!寝言ほざくなっ!」 「俺は寝ていない。」 「――― クッ!『溜まっている』んなら、そこらで女引っ掛けて抜いて来い!アンタの冗談に付き合う気は無い。」 組み拉がれた身体を捻り、どうにかしてこの状態から脱出しようとするが、要所要所を固められている俺の身体は、この体制から脱け出す事が出来ない。
耳に掛かる大佐の息にビクリと身体が反応する。その行動に気を良くした大人は、業と俺の耳元で囁いた。 「この頃良く寝付けなくて困っている。お前ならどうする?」 「知るかっ!!」 低い声が俺の身体に変化を起こす。囁かれる言葉は甘い物ではないが、それでも反応してしまう俺は『パブロフの犬』なのか!?眉を潜め奥歯を噛み締め、感情に流されない様に務めるので精一杯だ。
「毎日同じ夢を見るんだ。どんな内容だと思う?」 「それこそ知ってたまるかっ!!」 「お前は知らなければ成らないんだよ。」 僅かに身体を離した大佐は、器用に俺を反転させ仰向きにする。視界一杯に大佐の顔があり慌てて顔を逸らすが、顎を掴まれ顔の向きを強制させられた。
「お前が出て来る夢だ。」 「俺の許可なく勝手に出演させるなっ!金取るぞっ!!」 胡散臭い笑いを喉の奥で発した大佐は、口角を上げ目を細める。それは『肉食獣』の瞳……。恐怖に嫌な汗が浮かぶ。 「お前は俺に『さようなら』と言って去って行くんだよ。」 「――― !!」 「俺の足はその場に縫い付けられる様に動く事は無い。叫んでもお前に届く事も無い。どうしてこんな夢を見るんだ?」 「知るかっ!!」 「考えて見れば簡単な事だ。お前は私の事を知りすぎている。味の好みも、収納の癖も全て俺のプライベートを把握している。それは何故か?俺とお前が『上官と下官』以上の関係だからだ。」 「…………」 その言葉に俺は目を開く。聡い男だけに何時かは何か言って来る事は覚悟していた。でも、覚悟していたとはいえ、実際口に出されると対処し様が無かった。
「沈黙は肯定か?」 「………確かに…アンタとは『上官と下官』以上の関係だった事は有る。だけど…それは『過去』だ。」 「過去?」 大佐の眉が上がる。 スッと目の色を変えた大人は、俺の言葉を待つ。 「全て過去だ。俺達は世間一般で言う異常な関係だったよ。だけど過去だ!」 「なるほどね。」 大佐の体重が右肩に乗りギシリと機械鎧が悲鳴を上げる。顎を掴んだままの手が俺の前髪を掻き上げる様に鋤けば、不敵な笑顔は策略家の顔に成った。
「『過去の男』に尽くすとは、お前は俺と再燃したいのか?」 「ばっ!!馬鹿な事言っているんじゃねーぞっ!寝言は寝てから言えっ!!!」 ニヤリと笑った大佐が心底恐ろしく感じる。 奥歯を食い縛り睨み上げた俺は、唸る様に声を荒げた。 「アンタは何か勘違いしていないか!?俺は中尉に『私生活の面倒を頼まれた』だけで、アンタに少しも好意なんて感じていない!仮に『過去の想い』が在ったとしても、それはアンタじゃ無いっ!『記憶が在った頃の大佐』だ。今の大佐じゃない!!」
………そう、今のアンタじゃ無くて、記憶が在った頃の大佐を好きなんだ。 時間にしたら僅かな時を過ごしただけだろう。だけど、そこには確かに忘れられない ……忘れてはいけない何かが在る。 「だから……アンタなんかには興味なんてある訳が無い!!」 「違うな。」 「――― なっ!!」 余裕の在る大人の笑み。 俺のずっと上を歩く大佐の表情。 この表情を作った時の大佐は『危険』だ。全ての論理を覆される時の顔だ!! 言葉に詰った俺は、口を開閉させどう切り返そうか脳内をフル回転させる。だけど、先に大佐の言葉が俺にダメージを与えた。 「記憶が在った頃の俺も、今の俺も『同じ』ロイ=マスタングだ。だからお前は、俺を好きに成る。」 「絶対成らねーっ!」 「ならばもう一度『口説き落とす』だけだ。」 「冗談は顔だけにしろっ!!」 「至って真面目だ、エドワード。」 言葉が終わると同時に近付いて来る顔。左手が拘束されていない事に今更ながらに気付いて、傍に在った物を掴み俺と大佐の間に差し入れる。 『エルリック・ガード』 小学校に通っていた時、真面目に授業を受けていなかった俺とアルに先生が投げたチョークを弾き返した必殺技!こんな時に役立つとは夢にも思わなかった。
クシャリと紙が拉げる音が室内に響く。大佐の体重が俺から離れ、不機嫌極り無い表情の大佐を確認した時『して遣ったり』と俺は笑って見せた。
「無粋な物をいれないで欲しいな。」 「『過去の男』を口説こうとしているアンタに言われたく無いなっ!」 ニヤリと笑い多さを見上げると、その視線は俺の持っていた物へと移されている。俺自身何を掴み差し入れたのか解かっていなかった為、確認する様にそれへと視線を移した。
それはさっき迄俺が読んでいた……つもりだったレポート。 アルフォンスに掻い摘んで説明できる様書き綴った『東の砂漠の賢者』が語ったとされる文献の内容。この文献を手にいれた事は俺とアルしか知らない事で、この事はハクロのジジーにも、大佐にも離してはいなかった。勿論、ジジーがこの話を小耳に挟んでもどれ程の重要な文献かなんて解かる筈が無い。 しかし、今目の前にいる男は、例え腐っても無能でも『国家錬金術師』なのだ。俺の身体に嫌な汗が流れ始める。 奪う様に取られたレポートを、真面目な顔で読み始めた大佐。それを取り返すべく俺は身体を起こし手を伸ばした。だけど、大佐はそれを天に翳す様上に掲げた為取り返す事が出来ず、手近に在った椅子に飛び乗りもう一度それを奪い返す為手を伸ばした。 俺の行動は読まれていたのか?一歩後退する事で俺の手を空振りにさせた大佐は、満足げに笑い俺を見る。 「酒のツマミが出来た、これは貰っておくぞ。」 「返せ泥棒!!」 「上官命令で没収されたいか?」 「――― くっ!!」 眉間に皺が寄った俺は、奥歯がギリギリと鳴るほど食い縛り殺気を込めて睨み付ける。しかし、大佐はそんな俺の行動を鼻で笑って見せるだけだった。
「夜も遅い、俺は風呂に入って寝かせて貰う。では、おやすみ、エドワード。」 「…………テメーなんかゼッテー好きになるもんかっ!!」 負け犬の遠吠え宜しく、俺はそれしか口に出す事が出来ない。そんな俺をあざけ笑うが如く、大佐は俺に笑い掛けた。 「お前はもう、俺の事を好きだろう?」 その言葉を残し退室した大佐。 痛恨の一撃を食らった様に身動き一つ出来ない俺は、イキナリ自分の本心と向き合う事と成った。 「俺が……今のアイツを……?ゼッテー……違う。………違う?」 俺は………今のアイツを『ロイ=マスタング』と認めている時点で惹かれていた事に今更ながら気が付いた……。 |